第38話

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第38話

 病院地下の霊安室にシドとハイファは降りてみたが、顔と躰に別々の白い布を被せられて横たわったルースに掛ける言葉がなかった。  下りてくる前に聞いたが、ゼノフォン医師のリモータには臓器ケースを持って出ていった医師たちから次々と『移植不可』の報が入ってきていた。  布を退けてルースの顔を少しだけ眺めると布を戻す。そうして二人は急激に体温が低下しつつある手を交互に握った。あとはルースの部屋から持ち出してきたウィスキーをグラスに注いで供える。クッキーとチョコレートも添えた。  死という現象に慣れているつもりの二人だったが、敢えて声も出さず互いの顔も見ないままルース=ワイアットという友に別れを告げて霊安室を出る。  牧場側の十二階に戻るとルースの部屋に再び入った二人はルースが残したウィスキーをひとくちずつ飲んだ。それで喉の奥の熱い塊も飲み下す。  部屋を出る際にチェス盤と箱に収めた駒をハイファが手にした。  十七階D3ルームに戻り、チェスセットをハイファはショルダーバッグに入れる。  意識が戻ったノエルを二人は見舞ったが、ただ手を握ってやることしかできない。 「お兄さんたち、待ってて、くれたんだね。痛くないよ、良かった」  完全には麻酔が醒めていないのか、たどたどしい言葉だったがシドはハッとする。 「痛くねぇのは良かったな。でもな、この先には痛いことだってあるかも知れねぇ。だがその時こそ頑張って耐えろ。このバルドルの現状をテラ連邦議会ははっきりとした形で認識したんだ。将来、何らかの措置が執られる可能性がある。何せ別室絡みだからな」 「んー、何だか難しくて、分かんないよ」 「まあ、惑星警察の刑事になれるよう頑張れってことだ。じゃあな、後輩」  握手して病室を出ると今は往き来も自由になったヴァリ・ナレル記念病院側に移った。一階に降りて溢れかえった兵士たちを縫うようにエントランスを出る。脇に停まっていた無人コイルタクシーの一台に乗り込み、バルドル第一宙港を座標指定した。  子供相手に思い付きで糠喜びさせてしまうかも知れない発言をしたことでシドが考え込んでいるうちに雨が降り出していた。ハイファはハイファで思いに沈み、宙港までの約二十分間は無言で雨がコイルを叩く音だけを聞き続ける。  宙港メインビルに着くと十六時過ぎだった。タイタン行きの便は十六時半発だ。チケットを押さえ当然のような顔でシドは喫煙ルームに向かい、ハイファは従う。  紫煙を吐き出しながらシドは何を喋ったものか考えた。ノエルに言ったことをハイファに疑問としてぶつけるのが間違いだとは分かっていて、だが喉のつかえを吐いてしまう。 「助けられる者も助けない、それが正解なのか?」 「サバイバル・ロッタリーみたいに倫理的答えが出ない、簡単に公平性を欠き、または通常の心理状態の人間なら嫌悪を催す……最低でも『良くはないんじゃないか?』って疑問を抱くようなことが横行しないように制定された法なんだよね」 「十人の命を助けるために一人を殺すってヤツか。だがルースは――」 「仕方ないよ。受け売りっぽいけど事実として法は例外を認めたら法じゃなくなる」 「俺はあいつと最期に交わした約束も守れなかった」 「タイミングが悪かっただけ、貴方が自分を責めるようなことじゃないよ。貴方がルースに頷いた、それでルースは満足だったんじゃないかな」  煙草を消すと喫煙ルームから出て通関とチェックパネルをクリアし宙艦に乗った。四十分置きに三回のワープ、二時間四十分で土星の衛星タイタンだ。タイタンのハブ宙港からはショートワープ一回を挟んだ四十分でテラ本星の宙港に着く。  テラ本星の宙港に着くと二十二時半、懐かしの二人の部屋がある単身者用官舎ビルまでは定期BELで一時間半である。  夜中に着いた官舎ビルでは停機場となった屋上からエレベーターで直接、地下のショッピングモールに下った。キッチンをこよなく愛するハイファが冷蔵庫内全滅を嘆くものだから二十四時間営業のスーパーマーケットで今日明日の食材の買い出しだ。  五十一階に戻るとそれぞれの自室でリフレッシャを浴びる。シドがグラスにジントニックを作っているとハイファもすぐに顔を見せた。 「晩ご飯、遅くなっちゃったから出来合いで悪いんだけど」 「いいさ。腹、減ったぜ」 「用意するから僕にも飲ませてよ」  プレートに移して綺麗に並べた総菜を温め、それを肴に二人は痛飲した。シドは酔うにも酔えない体質だがハイファは結構な酔い方をしている。 「もう一時半過ぎか。片付けておくから、お前は先に横になってろ」 「うん、ありがと」  ふらりと立ち上がったハイファは雲の上でも歩くような足取りでシドの寝室に向かう。咥え煙草で食器を洗浄機に放り込んだシドが寝室に行くと、ハイファはベッドで毛布を被り目を瞑っていた。  眠り人形のような顔を暫し眺めてから、シドはそうっと隣に潜り込んだつもりだったが、動きを止めるなりハイファが背後から抱き締めてくる。 「起こしたか、すまん」 「いいよ、起きてたから……待って、点けてて」  ライトパネルを消そうとしてリモータに触れたシドの手をハイファが掴んだ。 「もう少しだけ貴方を見てていい?」 「見るだけでいいのか?」  半身を起こしたハイファにシドは口づけた。何度もついばむようなキスを繰り返し互いに割った歯列から温かな舌を堪能し合う。  不思議に体温がそっくり同じなのも手伝い、温かいというのは分かるのだがそれがどちらの舌だか分からなくなってくる。
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