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第4話
料理音痴故に何だか分からないが、食欲をそそる匂いにつられキッチンに行く。
「旨そうな匂いだな」
「玉ねぎ炒めたからね。もうすぐできるよ」
テーブルには既に和え物やサラダなどが載っていた。付け合わせの人参とポテトが載ったプレートにチーズ入りハンバーグを盛り、赤いソースをかけて出来上がりだ。
しっかり野菜サラダのガラスの器もあった。こちらに茹でキノコが入っている。生野菜が苦手な上に酸っぱいもの嫌いなシドのためにドレッシングも手作りなので仕方なくいつも食う。
せめてもの手伝いでカトラリーを用意したシドはワイングラスもふたつ出した。料理に使ってそのままテーブルに置かれている赤ワインを注ぎ分ける。
向かい合って着席すると二人は行儀よく手を合わせた。
「では、いただきます」
「いただきます……うわ、メチャメチャ旨いな、このハンバーグのソース」
「そんなにがっつかないで、ちゃんと味わってよ」
「だから旨いって言ってるじゃねぇか」
職業柄、早食いが常になっているシドは、それでも優雅に食すハイファに合わせてペースを落とす。だが他愛もない雑談をしつつ、シドはワインをジントニックに切り替えてロンググラス三杯を空にし、四杯目を作ろうとしてハイファに睨まれた。
「幾ら酔わないからって、ほどほどにしてよね」
じつはシドはどれだけ飲んでも酔わず薬の類にも並外れて強い体質だ。それでついつい進んでしまう。だが薬はともかくアルコールに元から強かった訳ではなかった。
それは互いに十六歳で初めて出会った日に遡る。敷地が隣というだけで例年行われるポリアカ初期生と軍部内幹候の対抗戦技競技会でのことだった。
動標部門にエントリーした二人は戦競の歴史に残る熾烈な戦いを演じた。レーザーハンドガンでは決着がつかず、有反動のパウダーカートリッジ式旧式銃までが持ち出され周囲が緊迫して見守る中、二百発を超えるまで相争った。
そしてふいにハイファが的を大きくハズしたのだ。
勿論、ワザとである。
勝手に勝負の舞台を降りられ勝ちを譲られてシドが喜ぶ筈もない。その場で食ってかかった。だがハイファはにこにこと笑いながら筋肉疲労で震える手を差し出し握手を求めて言い放ったのだ。
『惚れたから、負け』と。
ギャラリーは呆気にとられた。シドも例外ではなかった。呆然としている間にハイファはシドに抱き付き、ディープキスをかましたのであった。当時ウブだったシドは口の中と頭を柔らかな舌で蹂躙され思考が真っ白になった。
しかしギャラリーの囃し立てる声に我に返ると、会心の回し蹴りでその場の決着はつけた。ハイファは笑顔のままでぶっ倒れた。
ところがそれで終わりにはならなかったのだ。
夜の部の打ち上げでシドは先輩たち(代表・当時マイヤー巡査長)にしこたま呑まされた挙げ句、『あんな美人に告られっ放しか?』と煽られたのだ。それに対しシドは『いいや、男がすたる』と言ったらしい。勢いで軍のハイファの兵舎まで押しかけたらしい。
そしてあろうことかハイファを押し倒してヤってしまったらしいのだ。
そんなとんでもないことをやらかしておきながら一切の記憶がないのであった。
起きてみれば見覚えのない部屋でひとつベッドに一糸まとわぬ男が二人だ。シドは激しく勘違いをした。当時『バイ』で『タチ』だという噂のあったハイファに、逆にヤラれたのだと思い込んでしまったのだ。
全ては二人がちゃんと結ばれた際に明らかとなったのだが、ハイファはシドの親友の座を勝ち取るまで長い長い間苦労をし、シドは二度と酔うものかと決めたあの日から根性で体質まで変えてしまったのだった。
ちょっと人間離れしている。
食事中には仕事の話をしないというのがハイファの要請で二人のルールになっている。そんな思い出話や他愛もない噂話をしながら旨い食事を堪能すると、後片付けをシドが請け負い、ハイファはリフレッシャを浴びに自室へと一時帰宅だ。
食器を洗浄機に放り込んだシドはコーヒーを淹れ、リビングの独り掛けソファに座る。湯気の立つマグカップをロウテーブルに置いて煙草を咥え火を点けた。何気なくリモータを操作する。
このガンメタリックのリモータは惑星警察の官品に限りなく似せてはあるが、それより大型でハイファのシャンパンゴールドと色違いお揃いの別室からの強制プレゼントだ。惑星警察と別室とをデュアルシステムにしたカスタムメイドリモータである。
これはハイファと今のような仲になって間もないある日の深夜に寝込みを襲うように宅配され、寝惚け頭で惑星警察のヴァージョン更新と勘違いし、装着してしまったのだ。
無論シドにこんなモノは無用の長物だ。だが別室リモータは一度装着して生体IDを読み込ませてしまうと本人が外す、または強制的に外されるに関わらず『別室員一名失探』と判定した別室戦術コンがビィビィ鳴り出すという話で迂闊に外せなくなってしまったのである。まさにハメられた訳だ。
その代わりにあらゆる機能が搭載され、例えば軍事用語でMIA――ミッシング・イン・アクション――と呼ばれる任務中行方不明に陥った際には、テラ連邦議会加盟星系の有人惑星ならば、必ず上がっている軍事通信衛星MCSが信号をキャッチしてくれるので捜し出して貰いやすいなどという利点もある。
更には様々な場面でのハッキングも手軽にこなすスパイ用便利ツールではあるが、そもそも刑事の自分が何故MIAの心配をせねばならないのか分からない。
司法警察職員がどうしてキィロックコードをクラックしてまで他人のBELを盗んで逃げ回らねばならないのか非常に謎だった。
更にはマフィアと銃撃戦をしたり、ガチの戦争に放り込まれたりしなければならないのはどうしてなのか。そんな状況に否応なく叩き込んでくれる別室をシドは日頃から蛇蝎の如く嫌っている。
しかし使われてばかりでは癪なので、最近では何かにつけてこのリモータを利用するようにしているのだ。不法入星者の犯罪歴検索やプラモデルの設計図を読み込ませる、ゲーム麻雀などである。結構下らない。
そんなことを考えているとハイファが帰ってきた。柔らかな素材の紺色のドレスシャツと黒いズボンを身に着けている。解かれた金髪が背にさらりと流れていた。
自分のマグカップを手に定位置であるシドの向かいの二人掛けソファに腰掛ける。
「遅かったな」
「銃の整備してたから。で、何見てるの?」
「いや、オッド星系第三惑星ガザラってのは何処かって」
「オッド星系……ああ、今日の喧嘩の人だね」
「行ったこと、あるか?」
「聞いたことはあるけど、行ったことはないよ」
シドはリモータアプリの十四インチホロスクリーンを立ち上げ別室戦術コンの検索結果を映しだした。MCSからの映像がズームアップされる形で惑星表面が見える。
「わあ、緑滴る惑星。ジャングルみたいだね」
「こんな星に人なんか住んでるのかよ」
「ええと、衛星コロニーが六つ。ってことは結構な高度文明圏の筈だけど」
ロウテーブルを挟んでひとつの画面に身を乗り出して眺めていた二人は、更に顔を寄せ合うと口づけた。カップを置いたハイファが黒髪の頭に腕を回して深く求める。
「んっ……ねえ、シド――」
「何だ、欲しいのか?」
「……ん」
まだ長い煙草を自動消火の灰皿に放り込んだシドは立ち上がり、ロウテーブルを回り込んでハイファの腕を取り立たせた。回した腕が余ってしまうほど細い腰を抱く。
ハイファは夕食のワインだけでなく目元を上気させて染めていた。
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