第56話

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第56話

「小田切さんはどうしますか?」 「俺はバスで機捜に戻るさ。それより霧島さんの心配をしてやれよ」 「分かりました。有難うございます、副隊長。じゃあ」  包帯で巻き固めた右手首をアームホルダーで首から吊った霧島を助手席に座らせ、京哉の運転で帰途に就く。真城市内に入ると第一目的地はスーパーカガミヤだ。  大量の買い物をしてから月極駐車場に白いセダンを押し込み、車内に幾つもストックしてあった大きなエコバッグを総動員した二人はやっと自宅マンションに帰り着いた。 「久しぶりの我が家だな」  嬉しそうな霧島に京哉も微笑まされる。食品を冷蔵庫に収めながら訊いた。 「一週間ぶりですね。お腹は空いてないですか?」 「腹か。少し減ったような気はする」 「じゃあ何か作りますから貴方は……無理はしないで好きにしてて下さい」  やはり霧島はじっとしていられず室内をうろうろと徘徊し続ける。その間に京哉は手早くパンケーキを焼き、ベーコンとほうれん草のソテーにコーンスープとサラダを作り上げた。普段の京哉が作る朝食的なものは和食だが、こちらの方が食べやすいと思ってのメニューだ。  テーブルにインスタントコーヒーとカトラリーまで準備して霧島を呼ぶ。 「食べられるなら座って下さい」 「ん、ああ、すまん」  着席した霧島は腹が減ったという割に食欲がないのか、パンケーキにぐさぐさフォークを刺してはドレスシャツの袖で額の汗を拭っている。コーヒーだけは空になったので脱水症状まで併発しないよう京哉はグラスにスポーツ飲料を注いでやった。  そうして振り向くと霧島の左手の甲にフォークが突き刺さっていてギョッとする。 「何やってるんですかっ! 忍さん、ちょ、それ、動かさないで!」 「これか。手が痺れて感覚がないんだ」 「真顔でそんな……あああ、もう!」  手を出すまでもなく霧島は自分でフォークを引き抜いた。途端に血が溢れ出し京哉は寝室に走って清潔なタオルと救急箱を抱えて戻る。  タオルを巻いてやると、霧島は何事もなかったようにグラスに口をつけて一気に半分を飲み干した。するともう涼しい顔に戻っている。    取り敢えず京哉はフォークの痕を治療したが涼しい顔は痛みすら表さない。  だがその表情は誰よりも高いプライドの成せる技であり、強靭な意志力を振り絞るようにして作り上げているのを京哉は察していた。そんな状態をずっと維持することなどできる訳もなく、抑えがたい衝動と霧島は全力で戦っているのだ。  まだ何をやらかすか知れない超不安定な愛し人の処置を終えて京哉は食事に戻る。食欲は失せていたが自分まで体調を崩すと目も当てられない。少々無理をしてプレート上のものを綺麗にさらえた。食べ終わるとグラスにスポーツ飲料を足してやる。  後片付けしてからナイフやフォークに包丁などの刃物をひとまとめにして鍵の掛かる食器棚の引き出しに放り込んだ。銃も危ないので自分のものは身に着けたままだ。  霧島の銃を取り上げるのは何よりプライドを傷つける。もし銃で何事か引き起こす事態になったら自分の銃で止めるしかない。これなら勝てなくても負けないだろう。  そんなことまで考えながら食器棚の引き出しの鍵を掛けてポケットに入れた。振り向くと背後に霧島が立っていて、まるで気配がゼロだったため飛び上がるほど驚く。 「うわ! どうしたんです、何かありましたか?」 「いや、ただ……ここに帰ったのは失敗だったかも知れん。すまん」 「何言って。僕も貴方に自宅療養して欲しかったんですから、謝る必要なし!」  少し頬を緩めた霧島だったが心は落ち着きを知らず焦燥の只中にあった。スポーツ飲料を一気飲みし、アームホルダーを早々に外して立ち上がると室内徘徊しだす。  自覚しながら霧島は自身を止められない。だが非常に拙い事態だというのはもっと自覚していて、しかしどうすればいいのか皆目見当もつかなかった。  普段から迷い悩むことを知らない性格である。見当がつかない、出口が見えないという状態そのものもストレスになり、身を炙るような焦燥感に加速が掛かって暴発を繰り返す結果となっていた。  結局その日は昼夜関係なく、京哉の監視下で霧島は室内を歩き回って過ごした。
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