第2話

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第2話

 市内で指折りの商業施設であるショッピングモールで京哉(きょうや)は買い込んだ冬物の普段着が入った紙袋をぶら下げ、珍しくウィンドウショッピングにいそしんでいた。  だが本当は傍に寄り添ってくれている年上の愛し人の霧島(きりしま)が気になり、何度も長身を見上げては微笑みを零している。  そしてこれも何度目かの同じ科白を口にした。 「せっかくの休日なのに付き合わせてすみません」 「構わん。そもそもお前は物欲が薄すぎるからな。着替えすらロクに持っていなかっただろう?」 「まあ、躰はひとつですからね。それにいつ逮捕されるか分かりませんでしたし」  申し訳なくて謝ってしまうたびに自分でも『何度目だ?』と思う京哉だったが、霧島は流すことなく応えてくれる。お蔭で抵抗なく余計なことまで言ってしまった。  対する霧島は痛みを堪えるかように灰色の目を眇めて京哉を見返す。重すぎる過去を抱えたために京哉の心は少々壊れ気味な部分があり、それを見抜いた霧島は勿論のこと、京哉自身も今の失敗は自覚していた。  愛する人の目を見て自分はまた哀しませたのだと京哉は俯く。しかし小柄な京哉の頭にプラチナのペアリングが嵌った温かな手が置かれた。低い声が降ってくる。 「お前は好きで暗殺スナイパーをしていた訳ではない」 「それはそうです。けれど僕は自分がしたことを忘れません。忘れられませんから」 「京哉、以前にも言ったが過去は変わらん。敢えて囚われるなとも言わん。だがお前は自分から一歩踏み出した。だから私もお前に『私の許に来い』と言ったのだ」 「ええ、(しのぶ)さん。貴方も一緒に背負ってくれる、そう言って貰えた僕は大丈夫です」  心の底から安堵できる霧島の傍にいられるだけでなく、この自分が犯した取り返しのつかぬ罪まで共に背負ってくれるというのだ。これ以上の大丈夫な場所など、ありはしない。  更に霧島は感謝しきれないほど嬉しいことを言ってくれる。 「私の一生涯の誓いだ。もうひとつ。この先、お前が撃つ時は必ず一緒にいる。お前独りでトリガは引かせない。この誓いも一生だぞ。だが引け目を感じる必要がないのは分かっているな? 私もお前以外に背を任せ命を預けられる奴はいないのだから」 「はい、任せて下さい」  沁み込むような霧島の低い声が嬉しくて堪らず、小声で応えた京哉はさりげなく野暮ったいデザインのメタルフレームの伊達眼鏡を外してごしごし目を擦った。  この眼鏡も暗殺スナイパー時代に自分を目立たなくするアイテムとして導入したのだが、かけ慣れた今ではフレームのない世界は落ち着かなくなってしまったのである。  それに他人の前で外すと霧島の機嫌が微妙に悪くなるので表では必要不可欠だ。  普段はクールなたちに見えて、じつは優先順位の一から百まで全てが愛する霧島という鳴海(なるみ)京哉は二十四歳だ。  職業は警察官で県警本部にある機動捜査隊・通称機捜にて秘書をしている巡査部長二年生である。今年の春に暗殺専門スナイパーとして所属していた組織が摘発された折、所轄署から機捜へと異動になった。  幾ら警察官でも暗殺専門スナイパーは当然ながら合法ではない。  女手ひとつで育ててくれた母を高二の冬に犯罪被害者として亡くし、天涯孤独の身となった京哉は大学進学を諦めて警察学校を受験した。無事合格したのはいいが、その入校中に抜きんでた射撃の腕に目を付けられて配属寸前に陥れられたのである。  亡き父の罪を捏造されて脅された時から殺人者としての道を歩むことになった。  政府与党重鎮と警察庁(サッチョウ)上層部の一部に巨大総合商社の霧島カンパニーが組織した暗殺肯定派の末端に位置し暗殺実行役として、警察官をする傍ら五年もの間スナイパーとして政敵や産業スパイの暗殺に従事させられたのである。  狙撃の腕は天賦の才で一発必中、狙撃対象として奪った命は三十余人に及ぶ。  結局は京哉も霧島と出会ったのがきっかけでスナイパー引退宣言をした。消されるのは覚悟の上だった。予想通り暗殺されそうになったが、間一髪で機捜隊長の霧島が部下たちを率いて飛び込んできてくれたお蔭で命を存えたのである。  そのあと警察の総力を以て京哉が暗殺スナイパーだった事実は隠蔽されたために今はこうしていられるが、京哉は自分が撃ち砕いてきた人々を忘れない。  相棒(バディ)であり、一生涯のパートナーを誓った霧島も共に背負ってくれている。心まで護ってくれる大切な人がいるのだから、真正面から向き合っていかなければとも思っていた。  その年下の恋人の身も心も護り抜く構えであり、更には警察官としての存在意義に懸けて一切恥じる処のない男と自他共に認めながらも、京哉を誰にも取られないよう傍に置いて厳重に見張るため、機捜に秘書なる新たなポストまでこさえてしまったのが霧島忍である。  ハーフの母譲りの灰色の目が特徴的な二十八歳で階級は警視だ。  若くして得た警視の階級と機動捜査隊長を拝命している理由は最難関と云われる国家公務員総合職試験を突破したキャリアで、それも試験をトップでクリアし入庁しているために警視への自力昇任も当然一番乗りである。  だが通常は内務を選んで警察庁長官と警視総監の二つの椅子取りゲームに邁進するキャリアと違い、現場を切望し実現した異色のキャリアでもあった。何れにせよ全国の警察官約二十六万人の一パーセントにも満たないスーパーエリートである。  おまけに霧島は巨大総合商社霧島カンパニー会長御曹司でもあった。京哉を助けた一件はそのままメディアに洩れて霧島カンパニーは評判を落とし株価も大暴落し窮地に陥った。だが数ヶ月間を耐え抜いて現在は持ち直し、却って上昇傾向にある。  お蔭で喩え警察を辞めても霧島カンパニー本社社長の椅子が待っているのだが、本人は現場のノンキャリア組を背負うことを何より望み、警察を辞める気は微塵もない。    社長の椅子どころか目的のためなら手段を選ばない実父の霧島会長を毛嫌いし、裏での悪事の証拠さえ掴めたら逮捕も辞さないと明言しているほどだ。  現在は京哉の方が霧島会長と気が合い御前と呼んで親しくしている。  ともかくキャリアで御曹司なる超美味しい物件の霧島は見た目も見事で切れ長の目が涼しく、顔立ちは怜悧さすら感じさせるほど端正だった。スリムに見える長身をオーダーメイドスーツに包み颯爽とした姿は女性であれば目が素通りできないだろう。  更にあらゆる武道の全国大会で優勝していたりと、まさに眉目秀麗・文武両道を地でゆく他人から見れば非常に恵まれた男である。  そのため『県警本部版・抱かれたい男ランキング』ではここ数期連続でトップを独走しているのだが、じつは女性が恋愛対象にならない完全同性愛者なので京哉はやや安心していられるのだ。  けれどこうして一緒に歩いていると年上の愛しい男が人目を惹いているのが嬉しいようなマンションの部屋に隠して鍵を掛けておきたいような複雑な京哉なのである。  京哉自身も顔面偏差値の高さ故に霧島から伊達眼鏡を推奨され、最近は『抱かれたい男ランキング』でも上位に食い込み、県警警務部の制服婦警を中心とした二桁もの会員を擁する『鳴海京哉巡査部長を護る会』が作られていたりする。  だがナルシストでもない上に自己評価が低いので、幼い頃から見慣れた自分の顔にはまるで興味がないのだ。  五年間の二重生活を維持するため他人との関係構築を避けてきたのが習い性となり他人にも殆ど興味を抱かないが、霧島の顔には非常な興味を持っているので京哉は長身を見上げっ放しである。 「どうした、京哉。もう腹が減ったのか?」 「違います。昼食後四十分でお腹は空きません」 「そうか、私の顔ばかり見ているから、てっきり」  ふいに霧島は京哉の薄い肩を抱き寄せ、唇が触れるほど耳元に近づいて囁いた。 「ならば私が欲しいのか? いつでも応えてやるぞ」 「ちょっ、なっ、こんな所で……ってゆうか、昨日もあんなに、じゃなくて!」 「昨日は昨日だ。私はお前がいつでも欲しい。なあ、帰ったら……いいだろう?」 「良くありません。いつ重大案件が飛び込んで呼び出し食らうか分からないのに」 「今日は非番じゃない、休日だぞ。もっとリラックスして素直に私に抱かれろ」 「だからこんな所で、もう!」
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