第57話

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第57話

 放っておくと破壊衝動に任せて物を壊し、勝手に外に出て行こうとする霧島はあまりに危険な状態で、二人とも一睡もできずに三日目となっていた。  苦労して朝食を摂らせてから京哉はキッチンの椅子に腰掛け、濃く淹れたインスタントコーヒーを飲んでいた。霧島は京哉の視線をずっと意識しつつ室内徘徊を続けている。  先程も妙な幻覚に取り憑かれて着替え、銃まで吊って外に行こうとしたのを止められ、宥められたばかりだ。  起きて見る悪夢で疲れ果てているのに、じっとしていられない。歩き回ってキッチンに戻ってくると喉から掠れ声を張り上げた。 「おい、京哉。お前もたまにはホテルに独りで泊まりたくはないか?」 「それはいいですけど、僕を追い出して何をする気なんですか?」 「勿論クスリを抜く。三日もすれば抜けるだろう。もう外には出ん、心配するな」 「心配どころか信用できるとでも思ってるんですか?」 「だから内鍵を壊して、外のお前にしか開けられないようにする。どうだ?」 「その間に貴方が壊れるって寸法ですね。そもそも三日で抜ける説が怪しいですよ」  ぐるぐると歩き回った挙げ句にまた霧島はキッチンへと戻ってくる。 「だが京哉、お前は自分が酷い顔色をしていることに気付いているのか?」 「僕の心配なんてしてる場合じゃないでしょう」 「遠回しな言い方を止める。これ以上、お前に迷惑を掛けたくはない」 「いったい何を言い出すのかと思ったら、全く……以前に忍さんが僕に対して言ったことをそのまま返させて貰います。それが迷惑だとでも思っているなら心外、貴方は僕を舐めているんですか?」  言って灰色の目を見上げ睨みつけた。霧島はその強い視線を俯いて躱す。 「私にだってプライドくらいあるんだぞ」  それを知り抜いているからこそ、この男が己を保っている間に無理を押して帰国し、他人の目のないここに戻ってきたのだ。  誰よりも誇り高いこの男にとって、こんな自分を晒している事実がどれだけ自身を追い詰めているのか京哉には分かり切っていたからである。尊重した上で二人で戦える条件を可能な限り揃えたつもりだった。  だが何処よりも安堵できる二人の住処に帰ってきたというのに、愛しい男はなお独りで戦おうとしている。それが京哉には歯痒い。しかし果てが見えない、地獄のような苦痛に耐えている霧島に注文は付けられず、やはり見守ることしかできないのだ。  また室内徘徊を始めた霧島は目を伏せたまま掠れ声を出す。 「ここまで自分のメンタルが弱いとは想定外だった。本当に、すまん」 「貴方は弱くありません。こんなに厳しい離脱症状に耐えてるじゃないですか」 「お前がいてくれるから、強いお前が支えてくれているからな」 「僕は支柱にでも何でもなりますけど、忍さんは本当に強いですよ。間違っても僕は貴方の傍から消えてやったりしませんが、僕がいなければ折れるような言い方は間違いです。貴方のメンタルが弱いというのなら発情期のロバでも首を括ると思います」 「発情期のロバ……夫で上司の私に対して他の喩えはなかったのか?」 「すみません、羊くらいにしておくべきでした」  馬鹿なことを言いつつ霧島が自らを傷つけることはあっても、自殺するタイプでないのは有難いと京哉は思っていた。思いを読んだように霧島がいやに真面目に言う。 「お前の目に私が強く映るのは、本当に私が強いからではない。お前を独りにしないよう常々考え行動しているから、そういう風に見えるんだ」 「そこまで思われてるのは嬉しいですが、何があっても僕は独りにならないですよ。貴方がいない世界に用はないですからね」 「後追いされるより、いい女とでも付き合って欲しいのだがな」 「それ、本気で言ってるんですか?」 「三割くらいは、な。だが実際、この私がお前を独りになどできる訳がなかろう」  珍しく会話がまともに成立していて、京哉は微笑みを浮かべて霧島を見上げた。 「貴方がいなくなったら色んな人と、あーんなことやこーんなこともしちゃいますからねー。今からリスト作っておこうかな」 「何だと! ふざけるな、言っていることが矛盾しているだろう!」 「冗談だから怒らないで……って、忍さん?」  笑っていた京哉は、ふいに霧島に訪れた異変を感じ取り慌てて立ち上がった。霧島の切れ長の目が眇められ中空を睨んでいる。駆け寄って顔を覗き込んだ。  元々シャープだった輪郭が少し痩せてしまい、その荒んだ横顔を汗が流れて顎から滴り落ちている。何か言いたいようだが声が出ないらしい。  またも幻覚に襲われている霧島を京哉は思わず抱き締めた。だが反射的に振り解かれる。  目に浮かんだ狂気を見られたくないらしく、俯いて身を震わせながら独り戦う霧島は京哉に背を向けた。後ろ姿を見つめることしかできない京哉は体温が伝わるくらいまで近づく。  だが椅子の背凭れを両手で掴んだ霧島の震えは一向に止まらない。力が掛かり変色した指先に京哉はヒビが入っている手首を心配した。  フォークで刺した痕も骨がどうなっているのか分からず放置である。そのうち震えが椅子を揺らし音を立てるに至って、そっと肩に触れた。 「忍さん……忍さん?」  背伸びして囁くと霧島の肩がビクリと跳ねる。しかしそれでこちらに戻ってきたように霧島は深く長く息をついた。同時に京哉も全身の緊張を解いて溜息を洩らす。  たった数分で憔悴してしまった愛し人に京哉は水を注いだグラスを手渡した。霧島はその水を一息で飲み干したかと思うと、次には両手でグラスを握り割っていた。
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