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第58話
「忍さんっ!」
慌ててキッチンに引っ張っていき、シンクの上で手を離させる。ガチャガチャと破片が落ちて血が零れた。破片を取り除いて水で流させ、テーブルに待機させたままの救急箱で手早く処置をする。右手に切創があったが幸い深手ではない。
だが京哉の気分は沈んでいた。
方策を探っているのは霧島本人だけではない、京哉も同じである。
消毒してガーゼを当て新しい包帯を巻きつけて処置を終えた。するとまた霧島は室内徘徊を始める。そんな霧島に京哉はなるべく穏やかな口調で切り出した。
「ねえ、忍さん。僕のことがいつでも欲しいって、誰かが言ってましたよね?」
「ん、ああ。誰かが言っていたかも知れんな」
「お願いですから、僕を抱いてくれませんか?」
「だめだと言った筈だ、勘弁してくれ」
「他の人や物や自分にぶつけるくらいなら、僕にぶつけて欲しいんですけど」
振り向いて霧島は京哉を凝視した。白い顔は疲れきっている。当たり前だ。
「お前を壊したくない、それだけは嫌だ」
「だから僕はそう簡単に壊れないし、喩え壊されても構いませんよ、貴方になら」
「私が構う。本当にだめだ。誘わないでくれ」
きっぱりと言った霧島に、だが京哉は抱きつく。ドレスシャツの胸に頭を押しつけた。霧島は京哉の薄い肩を掴んで己から引き剥がす。逸らした灰色の目を澄んだ黒い瞳が睨んだ。
本気で恨みのある相手を蔑んでいるような京哉の視線に霧島は怯んで立ち竦む。それは今の霧島が一番怖かった京哉の表情だった。
こんな自分は今やパートナーの京哉にまで蔑まれている……。
徘徊にかこつけて視線まで逃がしてしまう霧島をその場に留めるため、単に駆け引きとして視線に表情を載せた京哉は、再び霧島を抱き締めて猫のように髪を擦りつけた。まさかこの自分に対して霧島が恐怖しているとは思いも寄らず懇願する。
「壊れないって約束しますから、抱いて下さい」
「頼む、誘うな……煽るなと言っているだろう!」
「あっ……つうっ!」
床に点々と血が滴った。
恐怖した挙げ句に思わず京哉を突き飛ばしてしまったものの、力の加減もできなかった霧島は棒立ちとなり、床に倒れ込んだ京哉を呆然と見下ろしている。
本当にどうしていいのか分からず手を差し出すことはおろか、声も出せないでいる霧島を前に京哉は自分で起き上がった。起き上がったが眩暈でふらつく。
今度は霧島が支えてくれた。かなり強く当たったので軽い脳震盪、それに疲労か。
「そんな顔を、しな、いで……しの、ぶさん?」
「京哉、京哉っ! 大丈夫か、しっかりしてくれ!」
「あ、うっ……ん、もう大丈夫です。すみませんでした」
「……すまん、京哉、私は――」
「こっちこそすみません、吃驚させちゃったみたいですね。事故ですよ、事故」
殊更明るく言った京哉は歯で切った唇の血を洗面所で洗い流してくるとまた霧島を抱き締める。京哉の血を見て霧島は押し返すこともできなくなっていた。更には細い躰がブレナムブーケの香りをまとっているのに気付いて身を硬直させる。
「頼むから京哉……離れてくれ」
「嫌です。お願いだから、忍さん、僕を抱いて」
「何度も言わせるな、無理だ。誘うな」
「そうですか。なら誘いませんし、お願いもしません。その代わり――」
京哉は身に着けたままのホルスタから銃を抜いた。返却・交換できないままずっと脇に吊っているシグ・ザウエルP226の銃口を自分の側頭部に押し当てた。
「脅迫させて貰います。僕を抱くこと、そうでなければトリガを引きますから」
「京哉、冗談は止してくれ。お前までそんな……止めろ、京哉」
「ヘロイン中毒の僕を貴方は抱いてくれた。一緒に戦ってくれたお蔭で離脱症状から立ち直れた。今度は僕が貴方と一緒に戦う番です。僕を抱くと言って下さい」
白い指がトリガに掛かり、遊び分は完全に絞られて危険な状態である。京哉のトリガ・コントロールを信頼しているだけに霧島はその本気度をひと目で悟った。
そっと手を伸ばす。京哉は一歩後退した。
一歩近づかれて一歩下がることを繰り返し、京哉は壁まで追い詰められて指に更に力を込める。猶予はなく霧島は撃発音を耳にする前に叫んだ。
「京哉、止めてくれ!」
「抱くって言って下さい! 三、二、――」
「分かったから指を離せ、私の傍からいなくなるな!」
これも駆け引きではあったが脅しではなく完全に本気だった。霧島は額の冷や汗を拭う。そんな霧島を真正面から見つめ、京哉はごく静かな声で訊いた。
「今更、嘘なんてつきませんよね?」
「ああ。こっちだ、来い!」
寝室で互いにショルダーホルスタを外すと霧島はもう抑えきれずに京哉をかき抱いた。すると肌に触れたいという想いの他は何も考えられなくなり、ドレスシャツの胸元を掴んで力任せに引き破る。弾けるようにボタンが飛んだ。同時にブレナムブーケが濃く香る。
引き裂いたドレスシャツを毟り取ってベッドに華奢な躰を押し倒した。膝下をベッドのふちから投げ出した状態の京哉にのしかかり脚の間に自分の身を割り込ませる。
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