花音ちゃん

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花音ちゃん

僕たちは運命だ。 田舎の村に生まれた僕は身体が弱くて気も弱かった。過干渉してくる近所の大人たちが嫌いで仕方なかった。何をするにも常に監視されているようで、物心ついた頃から息苦しさを覚えていた。そのため余計に内気な性格のまま育った。 こんな小さな村では子どもは少なくて、全員集めても二桁に満たない。 けれどその中で、僕は運命の人と出会った。 それは三歳年上の花音ちゃんだった。 出会った瞬間、心を奪われた。笑顔で僕の手を握り「よろしくね」と笑う彼女は、生きづらさを感じていた僕にとっての唯一の輝きだった。花音ちゃんがいればこの村にいてもいい、そう思えた。 学校でも常に一緒にいたくて、どこに行くにも隣を歩いていた。他の誰よりも花音ちゃんといたい。誰にも取られたくなかった。 花音ちゃんはそんな僕のことを「美里くん」と優しく呼んでは手を繋いでくれていた。きっと周りの大人は、気弱な年下に優しく接するいいお姉さんに見えていただろう。けれどそう思われるのは悔しくて仕方なかった。早く大人になって、身長を越してかっこよくなって、花音ちゃんを包み込める男になりたいと思っていた。 ずっとこの村で、大人になっても、花音ちゃんと過ごすのだと思っていたのに。 花音ちゃんは高校進学のタイミングで村から出ていってしまった。小学生の僕は、中学生の花音ちゃんと頻繁に会っていたのにそんな話は一度も聞かされなかった。僕に話したら寂しがると思っての花音ちゃんの気遣いだったのだろう。花音ちゃんはずっと僕を思っては優しくしてくれた、けれどその時の優しさは僕にはとても辛かった。 まだ子どもすぎた僕にはなんの力も無くて花音ちゃんの後をすぐに追うことは出来なかった。花音ちゃんのいない村は、色のない世界だった。僕は毎日のように花音ちゃんの写真を眺めては心をギリギリ保つ日々を過ごしていた。 そして僕は決めた。花音ちゃんとまた会うために、その為だけに生きようと。 年の差のせいで中学からは学校が被らない。高校も追いかけるように同じ高校に進学したものの、僕が入学する時には花音ちゃんはもういない。それでも“同じ高校”という部分が重要だった。もちろん大学も同じ場所に進学した。 僕が一年生の頃、花音ちゃんは四年生。本当はずっと声をかけたかったし、一緒に過ごしたかったけれど僕の中には計画があった。自分の力で稼げるようになってから迎えに行くのだと心に強く決めていた。 その結果、大学一年生の間は花音ちゃんの後ろ姿ばかりを見ていた。構内を歩く姿、食事をする姿、友人と楽しそうに笑う姿。ずっと眺めていた。そのせいで僕に友人は出来なかったけれど、そんなことはどうでもよかった。僕には花音ちゃんがいればいい、花音ちゃんさえいれば他に何もいらない。 そんな一年間はあっという間に幕を閉じる。花音ちゃんは卒業して社会人になると居候していた家からマンションに引っ越した。 これは僕にとって好都合だった。前の家では眺めることこそ出来れど、家の人にバレたら二度と近づくことは出来なくなっていただろう。 けれど引越し後ならば、花音ちゃんはひとり暮らしだ。 そして僕も大学を卒業して、社会人になった。もちろん会社は花音ちゃんのいる会社に入社した。けれど部署が違うし階層も違う。そのせいで仕事中に見守ることが出来なくてもどかしかったけれど、遠目に確認することは出来た。花音ちゃんは僕に気づいていないみたいだ。 それでも満足だった。新社会人とはいえようやく、自分の力で生きられるようになったから。 そろそろお迎えに行く頃合だ。もう我慢が出来ない。 今日の花音ちゃんはいつもに増して忙しそうだった。 僕はまだ新人で残業をするほど仕事が回ってこない。終業後、花音ちゃんの仕事が終わるまで会社前にあるカフェでずっと待っていた。 そうして会社を出てきた花音ちゃんは酷く疲れた顔をしていた。僕は急いでカフェを出ると、少し後ろをついて歩く。 花音ちゃんはしっかり者で優しいから仕事を押し付けられているんだろう。断れないから無理してでもこなしているのだろう。 花音ちゃん、そんなことはもうしなくていいんだよ。これからはずっと二人で幸せに過ごせるようにするからね。 今日の僕はいつもに増して気持ちが昂っている。 マンションに着き、花音ちゃんがエレベーターに乗った後に偶然を装い乗り合わせる。「何階ですか?」と聞かれた際、あまりにも久しぶりに僕に声をかけてくれた事に感動してしまい、すぐに返事が出来なかった。涙が出そうだったのを必死に堪えた。 その興奮を抑えて返事をしようとした時、花音ちゃんは振り返り僕を見上げる。いつの間にか僕の方が背が高くなっていた。花音ちゃんがこんなに華奢だったなんて、いつも遠くから見ていたから気づけなかった。 「み……さとくん?」 「あ、か、花音ちゃん……?」 花音ちゃんはすぐに僕だと気づいてくれた。僕のことを忘れてなんていなかった。ずっと覚えていてくれていた。すぐに分かってくれた。花音ちゃんはやはり僕を大切に思ってくれていた。 「どうしてここに?」 僕がこのマンションに引っ越して来たのは花音ちゃんを迎えに来るためだった。近くで見守る為だった。けれど花音ちゃんは僕に気づいていなかったらしく、可愛い目を見開いて驚いた様子でそう聞いてきた。 「今年から社会人だから、引っ越してきたんだ」 「え、このマンションなの? 私と同じなんてすごい偶然だね!」 あまりにも可愛らしい発想に内心完全に浮かれていた。花音ちゃんは優しく、あの日のような笑顔で話す。 あぁ、この顔だ。声だ。匂いだ。 花音ちゃんがすぐ目の前にいる。目眩がしそうだ。何年もただ遠くから見守り続けていたのも今日で終わりなんだ。 僕、我慢出来てたよね? いい子にしてたよね? 「本当だね。またこうして会えるなんて夢見たい。花音ちゃん、大人っぽくなった」 「美里くんこそ。大きくなっいて一瞬気づかなかったよ」 今すぐにでも力強く抱きしめたい、その気持ちを必死に抑えながらあくまでも温厚に話続ける。久しぶりに会うのに怖がらせたくなんてない。 「……あの、もしよければ僕の部屋に来ない? 越してきたばかりで綺麗だし、久しぶりに話したい」 もうこのタイミングしかない。そう思いながら震える声で提案した。緊張と興奮でこんなにも声が落ち着かなくなるなんて正直情けない気持ちでいっぱいだった。それなのに花音ちゃんは微笑みながら耳を傾けてくれている。 優しいところは変わらない。ずっと僕の大好きな大好きな花音ちゃん。 「もちろん、行きたい! 何階?」 「嬉しい、ありがとう。四階だよ」 二つ返事で答えてくれるとは思ってもみなくて、心臓が口から飛び出そうだった。 「そうなんだ、私のひとつ上の階だね。引っ越してきたなんて気づかなかったよ」 「荷物が少なかったからすぐに終わったんだ」 もう気が気ではない。僕の目を見て、声を聞いて、反応してくれている。 花音ちゃんが今から僕の部屋に入ろうとしている。二人きりの部屋で、僕は理性を保てるのだろうか? 「ついたね」 エレベーターが四階に到着した音でハッとする。あと少しでも遅ければ手が伸びていたかもしれない。自分の貪欲さに呆れながらも冷静さを取り繕いエレベーターから降りる。 僕の部屋の前に着くと、花音ちゃんはソワソワし始める。きっと緊張しているのだろう。その姿が可愛くて愛おしくて堪らない。 「鍵、あいたよ。何も無い部屋だけど入って」 「お邪魔します」 部屋に招き入れ鍵を閉める。僕たちの時間を誰にも邪魔されぬよう。そして、花音ちゃんが逃げ出さぬように。きっと僕の行為に驚いてしまうかもしれない。最初は逃げ出すかもしれない。だから、鍵をかけておかないと僕が安心できない。 「自分の部屋だと思って寛いでね」 「ありがとう」 緊張からか固まる花音ちゃんにそう伝えると、歩みを進めて部屋に入る。自然に履いてくれたスリッパは、花音ちゃんの為に買っておいたものだ。想像していたよりも遥かに似合っていて自分のセンスに感心した。 花音ちゃんはクッションに座ろうとするも立ったまま部屋をキョロキョロ見渡し始める。初めての場所で落ち着かないのだろう、その姿がとても可愛くてずっと見ていたくなるが、花音ちゃんに寛いでもらいたくて隣に立ち声をかける。 「スリッパのサイズは平気だったかな」 「うん。でも私が履いてよかったの?」 「どうして? 花音ちゃんの為に買ったものだよ」 花音ちゃんは不思議そうな表情を浮かべる。用意周到な僕に引いてしまっただろうか? これから一緒に住むことを考えていたらいてもたってもいられずに買い揃えてしまった。ふたりで選ぶのも良かったけれど、花音ちゃんに似合いそうなものを見つけた途端、気づいたら購入していた。 花音ちゃんの肩に手を置き、花音ちゃんの為に買ったクッションに座るよう促した。素直に座ってくれた姿はあまりにも可愛い。僕が買ったクッションに僕が買ったスリッパを履いて座っている。 「フフ、花音ちゃんがいる。嬉しい」 隣に座り花音ちゃんを見つめた。何度も想像してきた幸せな光景が実現していることが未だに信じられない。何年もこの瞬間を待っていた。 「久しぶりだもんね」 「そうだね、本当に久しぶりに話せた。僕はずっと見守ってたんだけれど、花音ちゃんは知らなかっただろうし。でもこれからはもう遠くから見つめているだけじゃなくていいんだね」 「……どういうこと?」 僕はポケットに入れておいた睡眠薬を取り出して口に含んだ。僕のやり方は強引かもしれない、けれどこれは僕らが幸せになるために必要な事だと思っている。 そして花音ちゃんを押し倒した。 目の前には驚いた表情の花音ちゃんがいる。 僕にとってあまりにも刺激的な状況に気を抜いたら我を手放してしまいそうになる。 「これからは、この家で僕と一緒に暮らそうね……。僕がぜーんぶお世話するから、安心して? 今日は疲れてるだろうし、びっくりしてるだろうからゆっくり休もうね」 顔を近づけ唇を重ねた。何度も夢見ていた花音ちゃんとのキスだ。唇を触れ合わせただけなのに意識を遣ってしまいそうになる。 花音ちゃんは口を開いて僕を受け入れようとしてくれて、感激でがっついてしまいそうだった。 含んだ錠剤と一緒に舌を入れて我慢できずに絡ませ合う。 「っん! う……っは……ぁ……」 花音ちゃんが甘い声を漏らすから、これ以上をしたくなる。けれど急いではいけない。女の子は優しくされたい生き物なのだから。 僕の独りよがりはダメだ、花音ちゃんと一緒に幸せになるんだから。これからずっと一緒にいられるのだからゆっくりでいい。 「はぁ、花音ちゃんと、キスしちゃった……好き、大好き、ねぇ花音ちゃん……気持ちよかった? これからたくさんしようね? 毎日いーっぱいしよ? フフ、楽しみだね……花音ちゃん、愛してるよ」 興奮のあまり呼吸が整わない。きっと格好悪い。けれど花音ちゃんはありのままの僕を受け入れてくれるって信じている。だって花音ちゃんはどんな僕にも優しくしてくれた。 「花音ちゃん、愛してるよ、ずっと一緒にいられるよ、嬉しいよね? 僕も嬉しい。言葉じゃ伝えきれないくらい愛してるんだよ……」 花音ちゃんは驚いたのだろう。肩を小さく震わせながら目を逸らしてしまった。いきなり押し倒されキスをされたらそりゃ驚くだろう。僕は少しの後悔を覚えつつも、花音ちゃんに愛を伝え続けた。 次第に花音ちゃんの目は虚ろになり始める。想定より早く薬が回ってきてしまった。本当はまだ話していたかったけれど、きっと仕事で疲れているだろうし今はゆっくり休んでもらおう。 完全に瞼を閉じた花音ちゃんは小さく寝息をたて始める。そんな花音ちゃんの頭を優しく撫でた。 「花音ちゃん、おやすみなさい、僕の運命の人……」
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