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美里くん
私たちは運命なんだと思う。
田舎の村に生まれた私、朝木花音は狭い田舎から早く抜け出したいと思っていた。
近所の大人もまるで親族かのように可愛がってくれていたが、成長するに連れ、噂がすぐに近所中に広まってしまう環境に異常さを感じ始めていた。それに同じ歳の友人がいなくて寂しさを覚えていた。
全校生徒が二桁に満たない小学校では、同じ教室で一年生から六年生の皆が一緒に授業を受けていた。年はバラバラでも、少人数ゆえに全員仲が良かった。その中でも特に、三歳年下の比良美里くんはとても懐いてくれていた。
どこに行くにも後を着いてきては「花音ちゃん」と控えめの声で呼んでくれる。あまり感情を表に出すタイプではなかった美里くんは、周りの大人からは人見知りだと言われていたけれど、私にだけはベッタリだったから大人が抱く印象にピンと来なかった。
けれど私が高校生になるタイミングで会えなくなってしまった。私はこの村に耐えきれずに高校進学をキッカケに母の姉の家に居候する形で家を飛び出した。その頃ようやく携帯を持たせて貰えた私は、村の家族以外の連絡先を知ることは無いままだった。
それから大学に進学して、卒業した後は遂に社会人になった。そしていつまでもお世話になるのは申し訳無いとひとり暮らしを始めた。会社から二駅隣のマンションは、立地の割に家賃が抑えられてラッキーだった。
そんな生活に慣れてきた私も今年で社会人三年目に突入した。仕事に慣れてきて、責任の伴う仕事も任されるようになってきた。
新人研修に書類整理、新年度は色々と忙しくて帰りが遅くなってしまう。マンションに着いてエレベーターに乗り、扉が閉まりかけた時、足音が聞こえた。咄嗟に開くボタンを押すと男性がひとり乗ってきた。特に目を合わせずに、何階で降りるのか訊ねるも返事がない。
彼の方を向くと、目を見開き驚いた様子の男性が私を見つめていた。そして私もすぐに気づいて同じく驚いたまま硬直する。
「み……さとくん?」
「あ、か、花音ちゃん……?」
まさか美里くんがいるなんて思いもよらない展開だった。
最後に見た時より随分大人になっていた彼に驚きが止まらない。けれど面影は残っていて、私を呼ぶ声は懐かしいあの日々を彷彿とさせた。お互い顔を見合わせたまま止まったエレベーターの中で心臓をバクバクと鳴らしていた。
「どうしてここに?」
「今年から社会人だから、引っ越してきたんだ」
「え、このマンションなの? 私と同じなんてすごい偶然だね!」
あまりにも奇跡的な出来事に内心完全に浮かれていた。私の昂る感情が乗った言葉に、美里くんは優しく、あの頃のような笑顔で答える。
「本当だね。またこうして会えるなんて夢見たい。花音ちゃん、大人っぽくなったね」
「美里くんこそ。大きくなっていて一瞬気づかなかったよ」
「……あの、もしよければ僕の部屋に来ない? 越してきたばかりで綺麗だし、久しぶりに話したい」
美里くんは目を逸らしておずおずとした様子でそう聞いてきた。いつも私に何かを聞く時はこんな風だったな、と懐かしくなる。
「もちろん、行きたい! 何階?」
「嬉しい、ありがとう。四階だよ」
「そうなんだ、私のひとつ上の階だね。引っ越してきたなんて気づかなかったよ」
「荷物が少なかったからすぐに終わったんだ」
四階のボタンを押して、その間にも美里くんと話をする。
もう美里くんも社会人なんだ、そう思うと昔の内気な美里くんのままじゃなくなったんだと嬉しい反面寂しさも感じていた。
私が村を出てからは会ったことは一度もなく、手紙を送り合うとかもしたことはなくて、すっかり美里くんの中から私は消えてしまっていたんじゃないかと考えていた。
「ついたね」
エレベーターが四階に到着して二人で降りる。一番端まで歩くと私の部屋の真上だと気づいた。こんなに偶然が重なるなんて、何だか運命みたいだなと思う。
また会えた、それも同じマンションで。不思議な偶然が重なり続けて変に意識してしまう。
「鍵、あいたよ。何も無い部屋だけど入って」
「お邪魔します」
暗い玄関に入ると、美里くんは扉を閉めてすぐに鍵とチェーンをかける。用心深い部分は何となく美里くんっぽいな、と思い私もしっかりとしなくちゃ、と思った。
たまに鍵を閉めるのを忘れてしまう日があるのは、美里くんに知られたらビックリされてしまいそう。
「自分の部屋だと思って寛いでね」
「ありがとう」
美里くんとはいえ異性の部屋に入るのは初めてで一気に緊張が加速する。用意されていたスリッパを履いて部屋に入る。部屋の灯りがつくと、最低限の家具や生活用品が置いてある綺麗だけど殺風景な部屋だった。ふとベッド横にある袋が目に入った。半透明の袋の中には未開封の歯ブラシや最近話題の洗顔料やクレンジングオイルが入っていた。他にもいろいろ入っているようだけれど、私から見えたのはこのくらいだった。
(彼女さん用なのかな? これから一緒に住むとか? それなら私、お邪魔しちゃ悪いよね……。あまり長居はせずに帰ろう)
ふたつ並んだ色違いのクッションに腰かけようとした時、ベッドの大きさがセミダブルなこと、クッションだけではなく、今履いているスリッパも美里くんが履いているスリッパと色違いのものであることに気がつく。もしかして彼女さん用のを勝手に履いてしまったのかと焦り脱ごうとした時、美里くんが真横に来る。
「スリッパのサイズは平気だったかな」
「うん。でも私が履いてよかったの?」
「どうして? 花音ちゃんの為に買ったものだよ」
その言葉の意味がすぐに理解出来ずにいると、美里くんは優しく微笑みながら私の肩にポンと手を乗せて座るよう促した。私は体の力がスっと抜けるように、可愛いピンクのクッションの上に座る。美里くんは隣の紺色のクッションに座ると私をじっと見つめて楽しそうに笑い始める。
「フフ、花音ちゃんがいる。嬉しい」
「久しぶりだもんね」
「そうだね、本当に久しぶりに話せた。僕はずっと見守ってたんだけれど、花音ちゃんは知らなかっただろうし。でもこれからはもう遠くから見つめているだけじゃなくていいんだね」
「……どういうこと?」
美里くんは自分のポケットから何かの錠剤を取り出すと口に放り込む。そういえば、美里くんは昔から身体が弱くてよく薬を服用していたのを思い出した。今も変わらずそうなのだろうかと心配になり声をかけようとした瞬間、視界がグラりと揺れる。
目の前には美里くんの顔がある。
私は美里くんに押し倒されたらしい。
「これからは、この家で僕と一緒に暮らそうね……。僕がぜーんぶお世話するから、安心して? 今日は疲れてるだろうし、びっくりしてるだろうからゆっくり休もうね」
私が何かを言う前に美里くんは強引にキスをしてきた。突然のことに抵抗する隙もなかった。逃げようとしても離れられず、呼吸をしようと口を開くと舌が捩じ込まれてきた。
「っん! う……っは……ぁ……」
美里くんの熱が伝わってくるのと共に、さっきの錠剤を私の口に入れてきた。私は咄嗟に飲み込んでしまい、得体の知れない薬が怖くなり不安が襲い始めた。
今目の前にいる美里くんは、本当に美里くんなの?
どうして無理やりこんなことをするの?
「はぁ、花音ちゃんと、キスしちゃった……好き、大好き、ねぇ花音ちゃん……気持ちよかった? これからたくさんしようね? 毎日いーっぱいしよ? フフ、楽しみだね……花音ちゃん、愛してるよ」
興奮した様子で息を切らしつつそう話す美里くんは、もはやあの頃の美里くんではなかった。
怯える私を見て心底嬉しそうに笑う姿が怖くて堪らなかった。美里くんは私を押し倒した姿勢から動こうとはせずにずっとブツブツと何かを言っている。私は怖くて動けないまま美里くんから目を逸らして目頭に涙をためていた。
次第に睡魔が襲ってくると、危険だと思いつつも一度瞼を閉じてしまった。
美里くんの声が遠ざかっていく。
「花音ちゃん、おやすみなさい、僕の運命の人……」
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