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 ある資産家が死んだ。  夕食後の団欒中に突然胸を押さえて蹲り、激しく痛がったと思うとゆっくりと動かなくなり、目を開いたまま死んだ。  側に座っていた妻と家政婦は、あまりに突然の出来事に何も出来ずその様を眺めていた。主人が動かなくなってから、家政婦が悲鳴をあげて駆け寄った。呼びかけても揺すっても反応の無い主人を見ても、妻は死を理解しなかった。  妻は沙耶子という。  二回り近く年上の男と見合いで結婚した。両親も大層気に入り勧めた。男は稼ぎも良く貯えもあり、羽振りも良かった。沙耶子の望むものは与えてくれたし、ハウスキープの為の家政婦とは別に沙耶子専属の家政婦も当てがってくれたので、何不自由なく暮らしていた。  その男が死んでしまった。  沙耶子の結婚生活は三年で終わりを迎えた。  子供は居ない。沙耶子はまだ独身気分のまま与えられた自由を謳歌したかった。子供などいつでも出来ると思っていたし、主人も積極的に求めなかった。  沙耶子は主人に対して愛情があったのか、よく分からない。  主人は再婚だった。歳の離れた沙耶子が不自由せぬ様に、いろいろと気にかけた。しかし、主人もそこに夫婦としての愛情をかけていたのか、分からなかった。  不自由はしなかったし、これで良いと思っていたが、街で歳が近いであろう夫婦を見かけると、羨ましく感じる事もあった。隣の芝生は青く見えると言うが、その通りだと思った。  主人の通夜と葬式は、家政婦と主人を慕っていた青年達によって滞りなく終わった。  主人は生前、自宅の空き部屋を使って私塾を開いていた。経済や経営について学生に教えていた。  その私塾に通っていた青年数人が、主人を慕い、懐いていた。何度か沙耶子も含めて食卓を共にした事もあった。  青年達は突然の訃報に駆け付け、何も知らぬ沙耶子に代わって世話を焼いたのだった。  青年達の中には主人の葬式で涙ひとつ流さない沙耶子に良い感情を抱かない者も居た。主人が沙耶子を大切にしていたのを知っていたからだ。なのに悲しそうな素振り一つ無いのは何事だと。中には沙耶子が一服盛ったのではないか、とすら憶測する者も居た。  しかし、配偶者の突然の死にショックを受けて無感情になってしまっているのではないか、と哀れむ者も居た。また、一服盛ったと言う憶測は、あの世間知らずな奥様が毒の入手方法も、何の毒がどれ程の量で人を死に至らしめるか等知る由もあるまい、と言う憶測で上塗りされた。  当の沙耶子は、葬式が終わってがらんとした我が家を見て、やっと主人の死を実感した。 (夜ってこんなにも静かなのね――)  一人で寝るには大き過ぎるベッドに横たわり、天井を見つめた。
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