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六
翌朝、件の彼は主人の通夜と葬式に参列していた記憶が、朧ながら浮かんだ。
「ねぇ、タエさん。あの人の芳名帳って、何処にあるのかしら」
「書斎の机の一番上の引き出しにありますよ」
既に香典返しも経理的な事務も済ませてあるから、何故今芳名帳が必要なのか、タエは疑問に思い、尋ねた。
沙耶子は少し悩んで、愛人の存在と自分の考えを話した。
タエは驚いた。
主人が沙耶子の事を大切に思い、また大切に扱っていた事は明らかだった。それなのに愛人を作っていたとは、不誠実ではないか。思い違いであってほしい。
「愛人だと思う証拠……いえ、確信はあるの」
沙耶子は、墓に添えられていた向日葵について話した。
自分と主人だけの秘密であったはずの向日葵。
主人の性格的に愛する人、特別な人にしか語らないだろう。あの向日葵を供えたのは沙耶子でも愛人でもないとすると、亡き先妻が供えた可能性が高い事になるが、それは可笑しな話である。
タエは、沙耶子の少し寂しそうな表情に胸を痛めた。
芳名帳は直ぐに見つかった。
会社を経営していた資産家だけあって、参列者も多く、芳名帳もびっしりと黒く厚みがあった。
この中から件の彼の名を探し出すのは無理だと思った。
何とて、沙耶子は彼の名前を一文字も知らないのである。
その時、玄関のベルが鳴った。
タエとは別の家政婦と若い男のやり取りの声が聞こえて来た。
芳名帳を閉じて玄関に向かうと、見覚えのある男が立っていた。
「やぁ、奥様。ご無沙汰しております」
挨拶をした男は、主人の私塾に通っていた生徒の一人だった。いつも参加していた彼は、愛想も良くて、沙耶子の印象に残っていた。
「突然訪ねてしまって、すみません。お仏壇にお線香をと思いまして」
そう言う男の手にはお供物が入っているのだろう、紙袋が下げられていた。
沙耶子は招き入れた。
仏間に案内し、男が線香を供え、拝み終わるのを待った。
しんとした空間に、鈴の余韻だけが僅かに響いている。
(この人なら、例の人を知っているんじゃないかしら)
愛想が良く、いつも参加し、他の生徒達ともよく会話をしていた、この目の前の男なら。
一か八か、聞いてみた。
「あぁ、きっと清水という奴ですね」
男が答えた。
沙耶子は一言断りを入れて、書斎から芳名帳を持って戻った。
男は直ぐに指を指して、教えてくれた。
「奥様、そいつに何か用事でも?」
「えぇ、ちょっと人探しを」
「あまり深くは聞きませんが……そいつは食えない男ですよ。お気を付けなさい」
こんなにタイミング良く、簡単に件の彼が判明するなんて、思いもよらなかった。まさに渡りに船。自分はついているわ。
幸運を噛み締める沙耶子に、男の忠告は届いていなかった。
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