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 数日後、沙耶子は件の彼――清水の家を訪ねようと支度をしていた。  その様子を見たタエが、心配だから付いて行くと譲らず、二人で向かう事になった。  地下鉄に乗り、三つ目の駅で降りる。  近くに大学や企業がいくつかあるからだろうか、人の通りも多く、飲食店や商店が並び、活気に満ちている。 「綺麗になりましたねぇ」  焼けたのが嘘みたいですね、とタエが付け加えた。  この周辺は、先の大戦時の空襲で大部分が焼かれてしまっていた。しかし、今ではそんな雰囲気は一ミリも感じさせない程、綺麗で整った街並みが続いている。  清水の住まいは、そんな街並みを抜けた一角にあるアパートであった。  木造二階建てで、六世帯分の部屋がある。  若葉荘と書かれたプレートが、少し日に焼けていた。 「私一人で行ってくるわ。タエさんはここで待っててちょうだい」 「いえ、一緒に行きます」 「大丈夫。いきなり二人で訪ねたらびっくりさせちゃうかもしれないから」  沙耶子は言い聞かせて、一人で清水の部屋へ向かった。  清水の部屋は二階にあるので、外階段を登って行く。アパートという建物に足を踏み入れる事自体、沙耶子は初めてだった。  ヒールが鉄製の階段を一段上がる事に、カン、カンと音を響かせた。  緊張して、鼓動が早くなっているのが分かる。  二〇一号室。  呼び鈴が無かったので、沙耶子はドアをノックした。 「ごめんください」  呼びかけるが、応答は無い。  平日の昼前である。仕事をしていれば、この時間は留守かもしれない。  もう一度、ノックをして呼びかける。 「だぁれ?」  ドア越しに間延びした声が返って来た。  その声は、女の声だったので、一瞬戸惑った。  沙耶子は自分の名前を告げる。  すると、バタバタと物音がして、ドアがゆっくりと開けられた。  端正な顔立ちの若い男。  沙耶子の記憶の中にある塾生の男と同じ顔。間違いなく、清水という男だ。 「すみませんね、今妹が田舎から来てまして。勝手に出るなと言ったんですが……」 「いえ、こちらこそ突然訪ねてしまって申し訳ないわ」 「先生の葬式以来ですね。お元気でしたか?」  沙耶子は短くお礼を言って、今日訪ねた理由を簡単に話した。  勿論、探しているのは愛人という事や金銭に関わる内容は伏せて。  清水は暫く考える様な仕草をした。  腕を組み、口元に手を当て、伏し目がちなその様は、まるで西洋の絵画や彫刻を思わせた。  少し長めの睫毛が震えて目が上を向く。 「もしかしたら女じゃないかもしれませんよ」 「えっ」  清水の言葉が、上手く理解出来なかった。
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