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数ヶ月前に篠宮マネージャーから打診されていた、次のステップであるチーフへの試験。山下さんにこのままじゃ試験に受からないぞ、とチクリと釘を刺されていた。せっかく期待されているのに申し訳ない反面、どこか穴があいたままの自分をどうすることもできなくてもどかしい日々が続いていた。 船に乗客を迎え入れる準備がすんで、彼らが待機するラウンジに乗船可能になった旨のアナウンスを流し、俺は同僚たちと一緒にプロムナードに立ち、乗船するお客様を笑顔で出迎える。熟年の夫婦、子供を連れた家族、若いカップル。海外からの乗客も多く、皆笑顔で乗船する。これからのクルーズを楽しみにしていただいていると思うと、毎回身が引き締まる思いになるのだ。 中には一人で参加という乗客もいる。目の前にいる男性は一人のようで彼は小型カメラを持参していた。『ウイングスオーシャン』のクルージングの様子を配信した動画は多くあり何本か見たことがある。彼も動画配信用の撮影を行うのかもしれない。 カメラを持つ男性に続いて歩いてきたのは、こちらも一人で乗船と思われる海外の男性。長身の彼は品のいいコートを身に纏っていて、オールバックにした金髪に青い瞳。俺の前を通る時に、軽く会釈をした。エキゾチックな香水の香りがふんわりと香った。ヨーロッパ系の乗客は珍しくないというのに、彼に目がいったのは俺の『好み』の男性だから。 俺は出迎えが終わった後、スタッフルームに戻り今日の乗客名簿を確認してみることにした。海外の乗客は多かったのだが、男性一人でというのは珍しい。もしかしたら名簿で名前が分かるかもなんて考えながらパソコン画面を見てみるとどうやらそれらしい人物を見つけた。 アレックス・サウス。三十四歳のイギリス人のようだ。俺はそれを確認すると、パソコンの画面をシャットダウンした。 俺は中学生くらいから恋愛感情が生まれる相手は全て男性だ。高校生の時にクラスメイトの女子から告白され、一度付き合ってみたものの無理で、彼女の友達である男子に目が行く始末。結局初めてのお付き合いは三ヶ月もたなかった。 それからは自分の性癖に正直になろうと、上京をきっかけに男性との出会いを求めた。 手っ取り早いのはゲイバー。どうやら俺の容姿は『モテる』ほうらしく、声をかけてもらうことが多い。真っ黒な髪の毛と、吊り上がった瞳に少し華奢に見える体つきがいいのだと、ベッドの上で言われた。 ハメを外さない程度に出会いを求め、割り切った関係となったこともあれは付き合いに発展した出会いもあった。ただ、クルーズ客船に勤務となってからは休みのタイミングなどがネックになって長く続かなかった。今までは仕事に夢中だったから寂しくなかったけれど…… そんなところに、今回、自分の好みの彼を見つけてしまったので少し目で追ってしまった。まあでも乗客に手を出すのは御法度。バレれば解雇は当たり前だ。だからそんな仲になることなんて有り得ないから今回のクルーズで、少し目の保養をさせてもらおう。それくらいの楽しみは許されるだろう。 出航は十七時。汽笛が大きな音が付近に響く。港に別れを告げて湾を出る頃には、乗客たちが思い思いに船内を彷徨いている。デッキで海を眺めたり、レストランでお茶をしたり、早めの食事をとっている乗客もいた。 俺はというと、この時間はレストランでの接客応対をしている。『ウィングスオーシャン』には三つのレストランがあって、それぞれ趣が違っている。和をメインとした『とまり木』、リーズナブルな『フレンドシップ』、そして本格フレンチの『セトロボンウィングス』だ。
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