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3.
俺のこの時間の持ち場は『とまり木』。比較的、ご年配の方や海外の乗客が来ることが多い。俺はフロアを見渡しながら給仕に勤しむ。乗客は料理に舌鼓を打ちながら笑顔で談笑している。忙しなくフロアを周りながらドリンクを提供していると、ある乗客が目に入った。
俺が目を奪われた金髪の海外の乗客だ。一人で食事しているだけなのに姿勢が良くて見とれてしまう。そして彼の飲み物が少なくなりかけていることに気づき、そっとテーブルに近づいた。
『お飲み物はいかがいたしましょうか?』
そう英語で話しかけると、彼は俺の方を向く。スッと通った鼻筋に青い瞳。そして長いまつげ。にっこりと微笑んだ彼は流暢な日本語で答えた。
「日本語で大丈夫ですよ。都内に住んでいるのでね」
思ったより低い声だが、耳に心地よい。何もかも完璧だ。
「これは失礼いたしました」
「この料理に合う飲み物を君のチョイスでお願いできるかな」
白身魚の刺身がテーブルにあったのでそれならば日本酒だろうと思い、世界的にも人気のある山口県の日本酒を勧めることにした。
「お持ちいたしますので、少々お待ちください」
「うん。楽しみにしているよ」
それがアレックス・サウスとの初めて交わした会話だった。
今回のクルーズは四日間の日程で、横浜港を出発、南下して四日目に港へ帰港する。十二月初旬ではあるが『クリスマスクルーズ』と銘打っているこのクルーズコース。船内の装飾はクリスマス一色で、カップルや家族連れに人気のあるコースとなっていた。クリスマスイブや当日の便は早くから完売となることが多い。
たった四日間。されど海の上で過ごす格別のクリスマス。船内ですれ違う乗客はみんなどこか嬉しそうだ。それを見ているとクルー冥利に尽きる。
アレックスと言葉を交わした翌日の夜。二十二時を回った頃に、一日の業務を終え、少し風に当たろうとデッキに向かいドアを開けた。この時間になるとデッキにいる人影はない。真っ暗な海と空はどことなく畏怖の世界だし、この時期の海風は寒すぎる。だが俺はこの身を切るような空気が好きで、たまにデッキに足を運ぶ。
ふと、数歩先に誰かがいることに気がついた。こんな時間に珍しいなと思いつつ近寄った先にいたその姿に俺は小さく声が出る。
すらりとした長身の男性。それは昨夜、『とまり木』で言葉を交わしたアレックスだった。こんなに寒いのに一人でデッキの柵にもたれて海を眺めている。デッキの照明が彼の顔を映し、端正な顔を浮かび上がらせている。
(あれ?)
ふと彼の頬に何か伝っているのが見えた。周りがが暗いせいもあり、よく見えないが彼はもしかしたら、泣いているのではないだろうか。
この時期に一人のクルーズだなんて、何か理由があるのかも知れないなと思いながら、俺は顔を背けようとしたけれど、その横顔が寂しそうに見えてきて目が離せない。それに柵があるとはいえ、アレックスの体勢が何だか危なっかしくみえてきて、そのまま転落してしまわないかと不安になってきた。そしてこれは事故を防ぐためなんだ、と言い聞かせて俺はアレックスに元に近寄る。
「お客様、お体が冷えてしまいますよ」
背後からそっと声をかけると、体をこちらに向けアレックスは口を開いた。その目はやはり濡れている。俺はポケットの中からハンカチをとりだして彼に差し出す。アレックスは少し驚いた顔を見せたが、やがてハンカチを受け取り、涙を拭う。
「……もしかして私が泣いていると分かって?」
「いらぬお声がけをして申し訳ございません」
するとアレックスはふふっと笑った。何故だろう?
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