幸福に教科書など存在しない

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ

幸福に教科書など存在しない

 ステレオタイプの幸せは、国や時代で変わる。それこそ、国民的アニメの家族構成が昭和と平成で異なる様に……かは分からないが、時代によって「ステレオタイプの幸せ」は変わる。  平成の国民的アニメであれば、持ち家(但しローンは数十年)に自家用車、夫一人の稼ぎで妻に子供二人と犬も養える。そして、高望みをしなければ、不自由をしない暮らし。平成初期こそ、家族のステレオタイプだったアニメ(なんなら、収入についての愚痴まで出る始末)だが、令和初期において、あの一家は「勝ち組」に入っている。そもそも、「子供は高級品」と皮肉られる位に、今や子供を持とうと思える夫婦は勝ち組だ。なんなら、結婚することですら、世代によっては勝ち組扱いだ。  この国は、「何処かで躓んだ誰か」へ手を差し伸べる仕組みに乏しい。躓いて、自力で立ち上がれる人はそう多くない。なんなら、躓いた人を「なんとしてでも下に見たい。なんとしてでも下において自分の心を満たしたい人」までも存在する。もしくは、「アリとキリギリス」のキリギリスが幸せになることを許さない「自称アリ」の数が多いとも言えるだろうか?  何かを成すのにどうしても必要な労力や努力を苦労や受難と勘違いし、「楽をしているように見える相手」をこれでもかと痛め付ける。そう言う性格の人が、何かに躓いた人の足首を掴んで立ち上がることを遮ろうとするのだ。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!