そもそも、時代によって幸せは変わる

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そもそも、時代によって幸せは変わる

 例えば、学校に通わない子供が居たとして、それを外野の大人達は許すのだろうか? 子供を許す大人も居れば、それを許した大人を叩く人も居る。ある人にとっての「普通」から逸脱した誰かを、ここぞとばかりに叩く人は存在する。  平成初期であれば、「当時の適齢期を過ぎても未婚な人」に対しての当たりは今よりも強かっただろう。平成の国民的アニメ内でも、未婚の先生に対する扱いは、令和の感覚からすると酷いものだった。勿論、そのキャラの性格も癖が有るのだが、主人公の一家がステレオタイプの家族の幸せを描いている、その対極にある様にも思える。ただ、長期連載の作品であるだけに、描かれた時期によって表現がマイルドになっていくのは、子供への影響を考慮してのことだろうか? 裏を返せば、子供向けアニメにならなければ、未婚女性はその作品の中で「劣った存在」として描かれ続けた可能性もある。その価値観のまま令和を生き抜こうとする人がいるなら、夏のホラーよりも寒気がするかも知れないとも思う。  令和では「ミッションの為に集められた家族」を描いた漫画がアニメにもなり、どうにも人気な様だ。下手に平成初期のステレオタイプの家族の幸せを追い求めるより、偽りの家族を構成し、なんなら開き直る位の方が精神衛生上に良い可能性もある。勿論、フィクションの話なら笑えることも、現実世界では「周囲からの冷ややかな眼差しに耐えるメンタル」が必要になってくるのだが。
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