オーバードーズ

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 死んだように眠るのをよく見た。寝る前に彼女は決まって必ず何錠か口に固形物を含んで水で流す。  それを初めて見たのは二人でホテルに泊まったとき。一通り遊んだあとそろそろ寝ようかって話をしてベッドに寝転んだあと、彼女は向こうのローテーブルでなにかを口に入れ、ルームサービスのペットボトルの水で身体の中に流し込んでいた。 「・・・お酒飲んだあとに大丈夫?」  的外れだと思う。でも事実二人してかなり酔ってたし、そのあといくら水を飲んで中和したって、身体を動かして汗を流したって、まだアルコールは身体中に滞留している。 「うん、飲まないと眠れないから」  仕方なくしたような小さな笑顔を見せてくれた。大丈夫の問いの答えになってはいないような気もしたが、実際飲んですぐこの腕の中でぐっすり眠っていたから、危ない薬なんかではないのは間違いないらしい。  結局いつも寝る前に彼女は飲んでいた。飲んだあとそして寝たあとのその顔はいつもよりも柔らかかった。いつも会ってすぐの顔は疲れきっている。人に教えてもらって間もないような笑い方が彼女の笑顔だった。  俺にはわからない一日中働くことの苦しみ。それを拭うには俺の浅い人生経験では事足り無い。歳上なのに情けなくてごめん、なんて聞きたくない口癖を減らすことは、今になってもまだ出来ていない。  俺と会っていないときの彼女。共有の知人なんていないから知る術もなくて、だからこの彼女しか俺は知らなくて。それがこんなにも苦しいのかと。もっと知りたいなんて、他の人が俺の知らない彼女を知ってるなんて許せないなんて、そんな好奇心や嫉妬心が入り混じった可愛らしいものではない。ただただやるせなさしかないんだ。  ある夜、薬を持ってくるの忘れたときがあった。もう終電の時間もないのに、俺の家から自分の家までタクシーで何千円かけてでも帰ろうとした。普段節約節約って言って、外食しようとしないし私服もプチプラばかりなのに。  そんな青ざめた彼女を必死で掴んでただただ抱き寄せることしかできなかった。大丈夫だから大丈夫だよって安っぽい言葉しか出てこなくて、彼女が泣くのを辞めるのに時間がかかった。 「死にたくなるの、寝たあと、意識を失うまで。意識を失ってそのまま戻ってこなければいいのにって、よく思う」  なにも言えない。彼女のなにもかも知らないんだって、それに気づいてしまったから。彼女が俺の前で見せていた顔は、頑張っていたものだって。ただ俺は彼女を抱きしめたまましばらく立ち尽くしていた。 「面倒かけるかも」  一緒に風呂に入って一緒に髪を乾かして一緒に歯を磨いて、一緒にベッドで横になった。彼女を抱きしめたままなにも言わず目を閉じていた。  やがて彼女は泣き出した。無責任なことを言えなくて、でも気休めの励ましがなんの力になるのかわからなくて、そのまま抱きしめながら柔らかい髪を撫でていた。  しばらく立って落ち着いたのか寝息を立て始めた。薬の代わりになれたのだろうか。どうかこのまま穏やかな顔で、なにもない一日を過ごしてくれたら。  明日は二人とも休み。買い物に行く予定だったけど、そんなもの無くていいから、このまま優しい夢を見ていてほしい。現実よりも優しい夢。そのために俺がいるのだと、少しだけ抱きしめる力を強くした。
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