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はじまり
革靴が石に当たる音がする。
月明かりのもと、ささやかではあるが、粉雪が舞っている。わたしは鬱蒼と茂る木の陰から萌香の姿を捉えた。萌香はわたしがいることに気づいていないようだ。
イイ気味ダ。わたしではない悪魔の声がする。いや、わたしがそんなふうに思っているわけではない。
萌香が少しずつ小屋に近づいてくる。その小屋はわたしたちが小学生のときから使っていた秘密基地だった。誰にも言えない悩みを打ち明け、秘密を吐露する場所だった。
わたしは悩みがあると言って、萌香を呼び出した。いや、わたしが呼んだのではなく、悪魔の誘いに乗ってあげただけだ。
真っ暗な小屋が怖くなったのか、萌香は「胡桃、どこにいるの?」と叫び、スマホを確認し始めた。わたしは少しだけ間を空けた後で「もう少しで着くよ」と送った。
せめて部屋を明るくしておけばよかった。わたしが後悔していると萌香は一歩だけ前に進んだ。足が地面に吸い込まれ、萌香の姿が急に見えなくなった。それと同時にドスンと鈍いと音がした。
わたしは灯油の入ったポリタンクを持って、木の陰から姿を現した。状況を把握できない萌香は落とし穴の中で尻を押さえて悶えていた。紺色のセーラー服が茶色の土で汚され、まるで糞尿を被っているようだった。
腰を屈めて、わたしは「大丈夫?」と心にもない言葉を吐き、萌香のもとに手を伸ばした。萌香も手を伸ばそうとしたが、立ち上がることのできない萌香にとって土の壁は余りにも高かった。
わたしが立ち上がると萌香は「胡桃、助けて!」と泣き声に似た声を発した。「今、助けてあげるから」と言って、わたしは赤いポリタンクの白い弁を開け、中にある灯油を穴に向かって注いだ。
萌香の顔についている茶色の土が洗い流され、セーラー服がビシャビシャに濡れた。白くて醜い顔が硬直し、蛇に睨まれた蛙のように目が歪んでいく。
灯油の刺激臭が漂う。わたしはポリタンクを穴に投げ捨てて鼻を押さえた。ポリタンクが萌香の膝に当たった。
わたしはポケットからマッチを取り出して、萌香の前で振った。萌香は右手をワナワナと震わせ、「やめて、やめて、やめて」と喚いた。わたしは「何も怖くないよ」と笑った。
マッチ棒に火が灯る。線香花火を楽しむように、わたしはマッチ棒を揺らした。萌香が何やら叫んでいるが、日本語になっていなかった。わたしは何度かマッチ棒を穴の底へ落とすフリをして萌香を弄んだ。
萌香が同じようなリアクションを繰り返すようになり、次第に飽きてきた。
早ク、落トセ。早ク、落トセ。早ク、落トセ。早ク、落トセ。悪魔の命令が聞こえる。
わたしは親指と人差し指を開いて、マッチをそっと下に落とした。火の手が足から広がり、膝、胴体、首、顔の順に萌香の全身を飲み込んだ。セーラー服のスカーフが溶け、萌香は火だるまになった。
獣のような声が穴の底から聞こえる。亡者が叫んでいた。
足や手をバタバタと動かし、火の粉が周囲に零れる。そのうち体が動かなくなって、萌香はただの焚き火となり、ポリタンクが液状化した。その上に粉雪が少しだけ降っている。粉雪は火に当たるとさっと消えた。
美しかった。思わず、わたしは胸に手を当てた。至福という言葉では言い尽くすことができない快感を味わった。
いや、わたしが喜んでいるわけではなく、わたしの中にいる悪魔が喜んでいる。わたしはそんなことに興味はない。今のわたしはわたしではない何かだ。わたしではない何かがわたしの体を使って悪さをしている。
火がすべてを燃やし尽くすとそこにあるのはただの黒い人型の塊だった。ただの炭だった。そこにはもうあの白い肌はなかった。
興が醒めた。人がもがき苦しむ様にしか興味がないのかもしれない。もう動かなくなった玩具には用がない。
先生が小説の中で書いていたように世の中には死体をバラバラにすることに興味を持つ少女もいたらしい。けれども、わたしと馬が合いそうにない。異常な性癖にも多様性があるのだと思う。
胡桃チャン、頑張ッタネ。モット、殺セ。モット、殺セ。モット、殺セ。モット、殺セ。モット、殺セ。モット、殺セ。モット、殺セ。
もう一人だけでは満足できない。大勢の人がのたうち回って死ぬところを見てみたい。想像するだけで胸が躍る。
わたしはクラスのみんなが死んでいく様子を思い描きながら、小高い丘を下っていった。
楽しいバレンタインになりそうだ。
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