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スターバックスでアイスのドリップコーヒーを飲んでいると辻田さんが僕の隣に座った。女の人が自分の隣に座るのは大学の講義以来だった。
カラカラ亭で重たい話をするわけにもいかず、僕は辻田さんをスターバックスに呼んでいた。
「草間さんの小説、読みましたよ。『妖魔の住む村』。割と残忍なものを書くんですね」
辻田さんが僕の小説を読んでくれると全く思っていなかったので、僕は胸を弾ませた。
「ありがとうございます。気分が悪くなりませんでしたか?」
「私、ホラーは好きなので」
軽く雑談をした後に本題に入った。
「事件のことですね。何でも聞いてください」
辻田さんはどこか嫌そうな顔をしていたが、僕は好奇心に勝てなかった。
「あれだけ大きな事件が起こる前に何らかの予兆はなかったのですか? いきなり若菜さんが殺害されたとは思えなくて」
「予兆。あったかな」
辻田さんは眉をひそめた。必死に思い出そうとしているのだろう。
「確か学校周辺の野良犬がバタバタと不審な死を遂げたっていう話はあります。ただそれがあの子のせいかどうかまでは」
正確なことは分からないが、おそらく沢村のせいで犬が死んだのだろう。人間を殺害する前の予行演習だった可能性がある。
「本当に沢村と殺害された少女たちとの間にトラブルはなかったんですか?」
「全くないと思います。学校以外のところで何があったのかは知りませんが」
「本当に何か恐ろしいことが起こる予兆のようなものはなかったのですか?」
「特にそんなことは。あの子、若菜ちゃんが亡くなった後も普通に学校に来てました」
クラスメイトを殺しておきながら、涼しい顔をして学校に登校できることが信じられなかった。
「殺された少女たちのことで気になるところがもう一つあって。最初に殺された若菜さんと最後に殺された桜さんのご両親は手記を本の形で出版してるんですよ。でも、ちひろさんに関する本だけが見つからなくて。何か特別な事情でもあったのでしょうか?」
「そうなんですね。ちひろだけが。詳しくは分からないんですけど、ちひろは家族のことで悩んでいました。もしかしたら、仲が悪かったのかもしれませんね」
一区切りをつけて、僕は最も尋ねたいことを切り出した。
「僕も沢村に関する本を読んだんです。その中で警察に逮捕されかけたクラスメイトがいると書いてあったのですが」
さっきよりも一段と辻田さんは嫌そうな顔をして俯いた。最も触れてはいけないことだったのかもしれない。
「あのー、言いにくいんですが」
僕はここまで来て辻田さんが何を言おうとしているのかが分かった。
「逮捕されかけたっていうのは大袈裟ですが、最初、警察に疑われたのは私なんです」
辻田さんはため息をつきながら、ダージリンを飲んだ。
「すみません。嫌なことを思い出させて」
「別に大丈夫です。十年以上も前のことですから」
辻田さんはカラカラ亭で事件について語ったときと同じように涙を滲ませた。
「だから、前に雑誌の記者かどうか聞いたんですね?」
「ええ。何度も取材をさせて欲しいって。でも、良かったです。草間さんが記者とかじゃなくて」
「でも、なんで疑われたんですか? 辻田さんが言いたくなかったら、これ以上は聞きません」
「ただ任意で事情聴取を受けただけです。あの子に殺された桜と私は中学のときから友達でした。桜は明るくて友達が多い子で。陽キャっていう言葉があるじゃないですか? ほんとそういう言葉がぴったりな子で。それなのに私は地味でモテなくて」
「そんなふうには見えませんよ」
きれいな辻田さんの横顔からは想像がつかないことだった。
「今は垢抜けたって言われますけど、高校生のときはほんとにダメで、クラスでも浮いていたんです。そのせいだと思うんですけど、クラスで桜を殺したのは私だっていう噂が流れて」
「それで事情聴取をすることになったんですね?」
「草間さんなら、分かってくれると思いますが、ほんとに事情聴取を受けただけです。それなのに、クラスで犯人扱いされて。いじめられたわけではないんですが、みんなに無視されました」
「そんな酷いことがあったんですね」
「それだけじゃなくて、記者の中には『少女Sは犯人ではなかった』っていう変な記事を書く人もいたんですよ。それも、私に取材なんかせずに。まあ、容姿だけで言ったら、そう思うのもおかしくないですが」
辻田さんは声を荒げながら、記者の悪口を言い放った。僕はずっと辻田さんの話に耳を傾けた。
僕が肩を落とすと辻田さんはハンカチで涙を拭った。辛い過去を思い出せたことに対して申し訳ないと思ったが、ますますこの事件を小説で扱いたくなった。
「辻田さん、こんなことを言うのはおかしいと思うのですが、この事件をモデルに小説を書いてもいいですか?」
一応、こんな僕にも良心があった。辻田さんの許可がなければ、小説を書いてはいけない気がした。
「いいですよ。それで草間さんの役に立てるなら。その代わり、本ができたら、教えてください」
「ほんとにいいんですか?」
「あることないこと勝手に書かれるより、フィクションだって前置きしてもらった方がいいですし。もちろん、私の名前を出さないでくださいね」
辻田さんは冗談めかして、僕に向かって笑ってくれた。これで心置きなく小説を書くことができる。
「ありがとうございます」
僕はすぐさまアパートに戻った。
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