第一章 波紋

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 プロットを書こうと思っていたが、オンライン家庭教師のバイトが入っていた。僕はパソコンの前に座り、胡桃さんが入室するのを待った。  指定された時間から二十分ほど過ぎたが、画面に胡桃さんの顔が映ることはなかった。胡桃さんが授業を休んだことはなかったので、なんだか不思議な気がした。  ずっと待っているわけにもいかず、僕はNolaというアプリを開いて、プロットを組み立てた。  胡桃さんから連絡が来なかった。そうこうしているうちに萌香さんが入室した。 「萌香さん、胡桃さんが休みだったんだけど、何か知らない?」 「やっぱり、そうなんですね」  萌香さんは意味ありげに語尾の調子を上げた。 「もしかして、何か知ってるの?」 「先生も胡桃のことが気になるんですね」 「先生もってどういうこと?」  なんだか馬鹿にされているようで嫌な気分になった。 「クラスの担任も最近の胡桃がおかしいって心配してました。気になるなら、わたしじゃなくて胡桃に言えばいいのに。先生もそう思いますよね?」  普段は僕と話したがらない萌香さんにしては饒舌だった。 「具合でも悪いのかな? 先週はそんな感じしなかったけど」 「なんだと思います?」  萌香さんはカメラに顔を近づけた。大して美しくない顔が表示される。 「もったいぶらないでよ」 「いいな。胡桃はみんなに心配されて」  吐息が混じった不快な声だった。 「早く何があったか教えてよ。単純に気になるんだ」 「わたしから聞いたって言わないでくださいよ。胡桃に新しい彼氏ができたみたいなんですよ。クラスの誰かがチャラい人と手をつないでいるところを見たって。夜遅くまで二人でイチャイチャしているみたいですよ」 「胡桃さんに限ってそんなことはないでしょ」  僕は萌香さんが言っていることを信じることができなかった。 「あくまでも噂ですよ。わたしもほんとのことは分かりません。もしかしたら、先生の授業なんて忘れて、夜な夜なチャラ男とデートしてるかもしれません」  胡桃さんが見知らぬ男と手をつなぐ様が頭に過る。僕は嫉妬に近い感情を抱いた。僕のささやかな楽しみを奪った男を許すことができそうにない。 「胡桃さんみたいに知的な女の子がそんなことするはずないよ。多分、今日は具合が悪かったんだよ」 「そうだといいですね。でもなあ、今日の胡桃、楽しそうだったな。空いている時間はいつも宿題をしているのに、ずっとスマホを確認してたんです。おかしいと思いません?」 「彼氏とLINEしてたとは限らないでしょ。じゃあもう授業するよ。今日は三角比からね」  僕が強引に授業を進めると萌香さんは歯を出して笑った。 「先生は胡桃のことが好きなんですね?」 「別にそういうわけじゃないよ。真面目な胡桃さんが授業を休んだから、心配しているだけで」 「無理しなくていいですよ。顔にちゃんと書いてありますから」  僕は萌香さんの手に乗らないように淡々と授業を続けた。  萌香さんとの授業が終わった後に胡桃さんが遅れて入室した。 「草間先生、すみません」  萌香さんと入れ替わって画面に映った胡桃さんは一段と美しかった。 「大丈夫だよ。何かあったの? 遅れるなんて珍しいから」 「ちょっと用事があって」 「本当に?」 「本当ですって。学校で用事が」  胡桃さんが言葉を濁したせいで、かえって僕は不信感を抱いた。  いつもより胡桃さんの反応が悪かった。僕が三角比について説明しても、胡桃さんはあまり頷いてくれなかった。 「今日はどうかしたの?」  僕は心配になっていた。 「草間先生はわたしのことが好きなんですか? 前からずっと萌香がそう言っていたので」 「萌香さんの邪推だよ。そういうつもりじゃないって」  パソコンに映る自分の耳が赤くなっていて、僕は恥ずかしくなった。 「先生、ごめんなさい。わたし、実は付き合っている人がいるので。先生のことは尊敬してますし、いい人だと思うんですよ。でも、そういう感じじゃないっていうか。本当にすみません」  胡桃さんが真面目な顔で僕に謝っている。 「だから、そういうふうに思ってないよ。気にしないで」  僕は顔を引きつらせながら、無理に笑うほかなかった。真綿で首を締められるような嫌な気分だった。
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