第二章 模倣

4/31
前へ
/89ページ
次へ
 胡桃が部活を終えると教室で礼愛が待っていた。先に部活が終わった方が教室で待っているのが暗黙のルールだった。 「吹奏楽、終わったの?」 「終わったよ。一緒に帰ろう。萌香は?」 「わたしが止めたんだけど、野口さんとケンカ中」 「みんな、仲良くできたらいいのに。同じ部活なのに、ケンカばっかなんてもったいないよ」  胡桃、萌香、礼愛の三人は同じ中学校に通っていた。中学の頃から萌香と礼愛は同じクラスで胡桃は違うクラスだった。高校生になってから、胡桃は礼愛と席が近くだったおかげで自然と友達になれた。胡桃は礼愛の明るいところが好きだった。  自転車に乗って、二人は駅に向かった。 「ねえ、久々にマック行こうよ」 「ごめん。今日、用事があるから。また今度、行こうね。どうせ行くんだったら、萌香がいた方がいいし」  実際のところ、胡桃は礼愛とマクドナルドに行きたかった。けれども、どうしても外せない用があった。  礼愛が一人でマクドナルドに行くことになり、胡桃は電車に乗って、バイトに出かけていった。  胡桃が働いているのは浜辺屋というラーメン屋だった。豚骨ラーメンを売りにしている。ここを選んだ理由は時給の高さと学校からの距離だった。浜辺屋は学校から遠い位置にあった。  胡桃が通うS女子高校は原則としてアルバイトを禁止していた。それゆえ、生徒や教師に働いているところを目撃されるわけにはいかなかった。  店の前で店主の浜辺が暖簾をかけていた。 「すいません。遅くなって」 「そんなことないよ。いつもありがとね」 「胡桃ちゃんは接客が上手だし、飲み込みも早いし」 「ありがとうございます」  夜の部が始まり、仕事帰りのサラリーマンが続々とやって来る。もう二ヶ月ほど働いている。胡桃はテキパキと客をカウンターに案内し、注文を取った。その手際の良さを浜辺は高く評価していた。  十時に近づくと丸々と太った中年の男性と後輩らしき男性がカウンターに座った。 「ご注文はお決まりですか?」 「お姉ちゃん、何歳?」  中年男性の目は少しだけ据わっていた。居酒屋で酒を飲んできたのだろう。いかにもほろ酔いといった具合だった。 「ご注文は?」 「だから、何歳なの? もしかして高校生?」  隣にいる後輩が宥めても、中年男性は無駄口を叩いた。胡桃は困惑し、どのように対応していいのか分からなかった。 「お客さん、豚骨味噌バターがおすすめですよ」  厨房にいた浜辺が取りなすと中年男性は「それで!」と答えた。胡桃は心の中で「助かった」と呟いた。  店が閉まり、胡桃は皿を洗った。洗っても洗っても、キリがないような感覚に襲われる。  他のクラスメイトが家でゆっくりしテレビを見たり、宿題をしたりしている中で自分だけが取り残されている。自分だけが不幸な気がした。  隣にいる浜辺が皿を拭き始めた。 「さっきはありがとうございます」 「たまに変な奴がいるから、考え物だよ。困ったら、遠慮なく頼ってね」 「ありがとうございます」 「もう帰っていいよ。高校生をこんなに働かせるのほんとは悪いんだから」 「大丈夫です。やらせてください」 「胡桃ちゃんは真面目だね」  真面目だから、皿を洗っているわけではなかった。胡桃は家に帰りたくなかった。あの男が帰るまで、ここにいたかった。
/89ページ

最初のコメントを投稿しよう!

32人が本棚に入れています
本棚に追加