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第一章 波紋
深夜のコンビニはあまり人が来ない。ただ立っているだけで時給が発生する。ありがたい限りだった。
僕の隣にいる須藤くんは口を押さえずにあくびをしている。つられそうになったが、僕は口を固く結んであくびを我慢した。
「暇っすね」
須藤くんの声がいつもより大きく聞こえる。僕は須藤くんと会話をしたくなかったので、黙っていることにした。
「草間さんって、なんでこんなところでバイトしているんですか?」
「深い理由なんてないよ」
「普通に働こうと思ったことないんすか? 前にどっかで正社員だったって?」
「まあね。塾でね」
僕はそれ以上のことを言いたくなかった。
「コンビニの接客がまともにできない草間さんが子ども相手に仕事なんかできたんすっか?」
大学生の須藤くんはあからさまに二十八にもなってコンビニで働いている僕のことを馬鹿にしていた。コンビニの仕事と塾の仕事は別物だと反論しそうになったが、僕は無理に笑ってその場を切り抜けた。
須藤くんはバイトなどただの通過点くらいにしか思っていないのだろう。ゆくゆくは普通に働くことができると人生を甘く見ている。僕のようにちょっとしたきっかけで鬱になればいい。
僕が心の中で呪っていても、須藤くんはヘラヘラ笑いながら、ビールを買いに来たおじさんの接客をしていた。
おじさんと入れ替わりに大学生だと思われる若者が店内に入ってきた。僕はする必要もないのに、おにぎりを整頓した。
「草間さん、余計なことしなくていいっすよ。次はレジをお願いします」
「僕よりも須藤の方が得意でしょ」
「得意っていうか、普通っす」
須藤くんが僕の肩を叩いて、レジの方を指差した。僕はしぶしぶレジの前に立った。恥ずかしい話だが、いつになってもレジに慣れない。僕は見知らぬ人に見られるのがどうも苦手だった。
大学生は僕の前にプリンを置いた。震える手でプリンのバーコードをスキャンする。大学生が僕を睨んでいる。素早くお釣りを渡し、プリンをビニール袋に入れ、何も言わず、頭を下げた。
僕がため息をつくと店長が目の前に立っていた。白髪が四方八方に伸び、頬に茶色のシミがくっついている。昔話に出てくる醜い妖怪のようだった。
「ちゃんとレジできるんだね」
「そりゃあ、一応」
僕は頭を掻いて誤魔化した。
「でも、三十点の接客だね。今のお客様に挨拶しなかったからね。またこうやってお店の評価が下がっていくんだから。草間くん、いい加減にしてね」
「すみません」
僕は仕方なく頭を下げた。
「心がこもっていない謝罪はいらないから。次から行動で示してね」
なんでこんなことを言われなくてはならないのか。僕は無意識のうちに親指をかじっていた。こんな生活から脱出したい。僕には僕に向いている生き方があるはずだ。
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