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寂れた二階建てのアパート。見るからに整備が行き届いておらず、外観からして汚かった。胡桃はその一階に住んでいる。
胡桃はびくびくしながら、ドアに耳をつけた。これといって、何も聞こえなかった。ひとまず安心して、胡桃はドアを開けた。
「胡桃ちゃん、お帰り」
小田嶋という茶髪の若い男が手を振って、胡桃を出迎えた。その横で胡桃の母親はじっとしている。胡桃は帰ってきたことをすぐに後悔した。
上半身は裸で辛うじて下はズボンを穿いていた。白いベルトは通し終わっておらず、ビロビロに伸びている。ちょうど母親はブラジャーをつけ終わったところだった。
小田嶋が近づくと胡桃は襖を閉めて、隣の部屋に閉じこもった。
「胡桃ちゃん、ちょっとお話しようよ」
襖の向こうから陽気な声がする。胡桃は猿のように高いその声が嫌いだった。
「いいから」
母親が小田嶋を襖から引きはがそうとするが、「胡桃ちゃん」と呼ぶ声がする。
「もう胡桃のことはいいでしょ!」
「ノリちゃん、ちょっとしゃべりたいだけだよ」
「胡桃にちょっかい出さないで!」
「もしかして、ヤキモチ? そういうノリちゃんも好きだよ」
「ありがとう」
小田嶋と母親が惚気ている中で、胡桃は本を読んで意識が襖の向こうにある世界に向かないようにするほかなかった。
胡桃が高校生になってから小田嶋という男が頻繁に来るようになった。詳しいことは分からないが、母親が職場で出会った男らしい。
チャラチャラしていて誠実さの欠片もないような男なのに、母親はいたく気に入っている。
胡桃は小田嶋を心の底から嫌っていた。不誠実な人間だからというよりも、嫌らしい視線を自分に注いでいるからだ。
こんな家から抜け出したい。胡桃は一人暮らしをするために、バイトに勤しんでいた。もちろん、母親や小田嶋は胡桃がバイトをしていることなど知らなかった。
酒に酔った小田嶋の声がする。そんな状況下で読書をしても、頭に入るはずがなかった。
胡桃は父親が幼いときにくれたネズミの人形を握って必死に祈った。父親は胡桃が中学生のときに母親と離婚した。原因は父親の浮気だったが、胡桃は父親のことが好きだった。
「ノリちゃんもシュシュ、似合うと思うんだよね」
「わたしに似合うかな?」
「オレ、ノリちゃんの横顔が好きなんだ」
シュシュという単語を聞いて、胡桃は一週間前のことを思い出した。
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