第二章 模倣

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 坂上がテニスコートでボールを上げていた。梓を含めテニス部員が順繰りボレーを決めている。  胡桃、萌香、礼愛の三人はコートの脇にある歩道を歩いていた。胡桃はスポーツウェアを着ている坂上に見惚れていた。  坂上はラケットを三人の方へ向けて手を振った。少しだけ嬉しくなって、胡桃は頭を下げた。 「もしかして胡桃の方が坂上先生のこと好きなの?」 「そんなことないって。ただ頭を下げただけ」  萌香が胡桃のことをからかうたびに礼愛がフォローしてくれた。頭の悪い話をしていると自然に気が紛れるものだが、駅に近づくにつれ、胡桃は憂鬱な気分に苛まれた。  アパートに小田嶋がいる。何をされるのか分からなかった。 「今日、礼愛の家に行っていい? テスト勉強したいなあって」 「じゃあ、わたしも」 「いいよ。でも、そんなに長くは無理かな」  三人は電車に乗って、無人駅で降りた。家に帰るまでの時間が長くなったことを胡桃は喜んだ。  和風な住宅街を抜けると寂しい通りに出る。歩道の幅は狭く、その脇には見渡す限り木が生い茂っていて、その隙間から夕陽が見えた。  道なりに歩いて行くと右手に大きな建物が現れた。一言で言えば、昭和期に建てられた西洋館のような邸宅だった。  石垣でできたアーチをくぐると目の前に木でつくられた犬小屋があった。胡桃と礼愛が近づくと犬小屋からチワワが出てきた。萌香は犬嫌いのため、二人の後ろに立った。 「ただいま。チャッピー」  礼愛はチャッピーの頭を優しく撫でた。 「久しぶり。チャッピー」  胡桃と礼愛はチャッピーを可愛がった。その様子を萌香はつまらなそうに見ていた。  少し前にチャッピーと遊んだことを思い出す。公園で胡桃と礼愛は交互にフリスビーを投げた。フリスビーを拾ってくるたびに胡桃はチャッピーを抱きしめた。  ドアを開けると二階につながる大きな階段が二人を待ち構えていた。やけに静かなせいで階段を上るたびにその音が思った以上に反響した。  礼愛の部屋にはベッド、勉強机、ローテーブルの三つしかなかった。勉強をするためにつくられた部屋と言っても差し支えなかった。 「学年一位の人の部屋って感じだよね」  萌香は面倒くさそうに問題集を開いた。 「必要最低限の物しか置かないから」 「きれいな部屋だね」  胡桃は缶ビールが転がっている自分のアパートを思い出した。帰りたくない。胡桃は勉強に集中して家族のことを忘れようとした。  萌香は礼愛に教えてもらいながら、数学を解いていたが、次第に飽きてきたように背伸びをした。 「彼氏さんともここで勉強するの?」  胡桃は礼愛に付き合っている人がいることを知らなかった。 「私のことはいいでしょ。ちゃんと勉強しないとまた赤点だよ」 「大丈夫だって。ギリギリで回避するから」 「こないだ野口さんもここで勉強したんだよ。今、萌香が解いている問題、野口さん、普通に解けてたよ」 「なんであんなのに勉強、教えたの?」 「萌香ほど嫌いじゃないから。教えてって頼まれたら、断れないでしょ」  礼愛が発破をかけたおかげで萌香は勉強を再開した。  二人は二時間ほど礼愛に英語や数学を教えてもらった。一区切りがつくと礼愛は左腕にはめていた腕時計を見始めた。 「ごめん。そろそろ、二人は帰った方がいいかも。野口さんがもう少しでここに来るから」 「こんなところで会いたくないよ。胡桃、帰ろう!」 「わたしは大丈夫だから」 「帰ろうよ!」  胡桃は礼愛の家に留まりたかったが、萌香の押しが強かったので、しぶしぶ帰ることにした。  犬小屋の前に立ち、胡桃はチャッピーに「また来るね」と言って頭を撫でた。チャッピーは嬉しそうに尻尾を振った。萌香が早く帰るように急かしてきたが、チャッピーの笑顔は胡桃の癒しとなった。
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