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ヘラヘラしている須藤くんが珍しく僕のことを睨んでいた。
「さっきから、どうしたんすっか? 手を開いたり閉じたり。キモイっす」
須藤くんに指摘されて分かったが、僕の手は変な動きをしていた。
「なんていうのかな。須藤くんには分からないと思うけど、僕は今、大変なんだよ」
「あのお姉さんに告って振られたんすっか? ほら、言ったじゃないですか。やめとけって!」
「違うんだよ!」
客が来ない間、僕は須藤くんに「失恋でおかしくなった」と揶揄された。
頭を抱えながら、僕はカラカラ亭に向かった。もう習慣になっていて、いちいちカラカラ亭に行こうと思わなくても体が勝手に動く。
レジの前に立っている辻田さんを見ると手の変な震えが止まった。
「草間さん、どうしたんですか?」
「今から変な相談をするんですけど、真面目に聞いてもらっていいですか?」
僕は身を乗り出していた。
「落ち着いてください」
「すみません。緊急事態なもんで」
辻田さんは呆れたように首を傾げた。
「実は僕、小説を書いているんですよ」
「小説家なんですか? 良かった。雑誌の記者とかじゃないんですね。だったら、コンビニでバイトとかしませんもんね」
「雑誌の記者? そんなふうに見えますか?」
「いえいえ、なんでもないです。忘れてください」
僕は順を追って自分が置かれている立場について説明した。
「なるほど。殺人鬼を題材にした作品を書きたいんですね。力になれることなんてあるかな」
辻田さんはずっと黙っていた。そのせいで、僕は居心地の悪さを覚え、小説の話をしたことを後悔した。
「こちらの方こそすみません。変なことを言って。突然、殺人鬼と言われても、困りますよね?」
僕は笑って話をなかったことにしようとしたが、辻田さんが口を開いた。
「殺人鬼っていうわけじゃないんですけど。沢村奈緒って知ってますか?」
「サワムラナオ? 有名な人ですか?」
「じゃあ、少女Sって言ったらどうですか?」
僕はとある深夜のドキュメンタリー番組を思い出した。記憶に誤りがなければ、少女Sは同級生を三人も殺害した凶悪犯だ。
「N市女子高生連続殺人事件のことですか?」
口にしてはいけない言葉だったのだろうか。辻田さんは一言も発しなくなった。
「すみません。変な空気になって。もう過去の話なのに。今でも嫌なことを思い出すんです」
辻田さんの目には涙が溜まっていた。泣き出しそうになるのを必死に食い止めているようだった。
「私の友達、少女Sに殺されたんです」
僕は何も言えなくなった。小説のアイディアを求めて不用意に変な話をしたことを謝りたくなった。
「中学生の頃から、本当に仲が良かったんです。それなのに、あの子が。今でも許せません。でも、単純に気になるんです。なんであんなことが起こったのか」
「確かに不思議な事件ですよね」
「あの子、彼氏もいて成績も良くて優等生だったんです。こんなことをするような人には見えなかった。なおさら、なんであんなことをしたのかよく分からないんです」
辻田さんの目から涙が零れた。僕はその悲しみに寄り添わなくてはならない立場にあったが、どこか興奮していた。女子高生が同級生を殺める様子がありありと頭の中に浮かぶ。
「少女Sに関する本を読んだのですが、あの子、事情聴取で『人間のフリをするのに疲れた。殺せそうなら、誰でもよかった。もっと殺してみたかった』って言ってたみたいなんです」
「人間のフリ?」
その言葉が不思議と僕の胸を捕らえた。
「ありがとうございます。なんだか書けそうな気がします」
「こんなんで、お役に立てるなら」
辻田さんの目は悲嘆の色を帯びていた。
少女Sはネームバリューもある少年犯罪者。彼女を題材にして小説を書けば、注目を浴びるかもしれない。小説家の業のようなものが僕を奮い立たせた。
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