第1話

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第1話

「ああ、空が青いな。空気も旨いぜ」  晩秋の冷たく澄んだ空気でシドは深呼吸する。  気象制御装置(ウェザコントローラ)に頼らず晴れ渡った蒼穹の下、ハイファは微笑んだ。相棒(バディ)のシドが嬉しければ自分も嬉しいのがハイファである。  七年間もの片想いをようやく実らせ、ハイファは約一年前にシドを堕とした。          シド=ワカミヤ、若宮(わかみや)志度(しど)なる名の通り前髪が長めの艶やかな髪も切れ長の目も黒い。三千年前の大陸大改造計画以前に存在した旧東洋の島国出身者の末裔だ。  飛び抜けて背が高い訳ではないが、しっかりした体つきでラフな綿のシャツにコットンパンツを身に着け、チャコールグレイの対衝撃ジャケットを羽織っている。  煙草の匂いの染みついたこれは余程の至近距離でもなければ四十五口径弾をブチ込まれても打撲程度で済ませ、生地はレーザーの射線もある程度弾くシールドファイバ製だ。  自腹を切った命の代償は六十万クレジットという高額商品で、外出時に欠かせないシドの制服だった。  ハイファの視線に気付いたか、振り向いてシドが何気なく訊く。 「何だよ、そんなに見て」 「何でもないけど……愛してる」 「今更何言って、違った、人目があるだろっ!」  押し戻そうとしながらも結局シドはハイファが胸に寄り添うのを許した。オーディエンスが「おお~っ!」歓声を上げ、口笛を吹いて冷やかす。そんな中で「よしよし」と頭を撫でながら、ふと左手首に嵌めたリモータを見た。  八時二十七分だった。 「ハイファ、ヤバい。遅刻だぞ」 「あっ、本当だ。急がなきゃ」  先に立って足早に歩き始めたシドをハイファは追う。ファイバの歩道に併設されたスライドロードも使わず数百メートルを二人は歩き、林立する超高層ビルのひとつ、左側のエントランスに足を踏み入れた。更に左側のオートドアをくぐれば職場に出勤完了である。  だが出勤した途端にヴィンティス課長の恨めしげな声が呼び止めた。 「シド。その『ツアー客』はいったい何だね?」 「ひったくり二名にオートドリンカ荒らし一名、不法入星が一名ですが」  シドとハイファの間にはオーディエンス、いや、現行犯逮捕した四人の男たちが樹脂製の結束バンドで両手首を数珠繋ぎにされ、連行されていたのだった。  ここは太陽系広域惑星警察セントラル地方七分署・刑事部機動捜査課の刑事(デカ)部屋だ。今は深夜番との引き継ぎなどで喧噪にまみれている。 「シド。昨日の出勤時は痴漢と万引き、その前は強盗(タタキ)だ。何故道を歩いて、いや、表に立っているだけでキミには事件・事故が寄ってくるんだね?」  哀しげな色を湛えた青い目で殆ど縋るようにヴィンティス課長は訴えた。毎朝の同じやり取りに飽き飽きしたシドは一蹴する。 「知りませんよ、事件も事故も俺がこさえてる訳じゃない」  しかしヴィンティス課長は食い下がった。 「サイキ持ち並みの特異体質『イヴェントストライカ』としての自覚が足りん。この平和な母なる地球(テラ)本星セントラルエリアで、確率論の新境地を拓く実験は止めてくれたまえ。暫くは三十九階のスカイチューブで出勤するように」  サイキ持ちとは約千年前に存在が確認された、いわゆる超能力者のことだ。スカイチューブは超高層ビル同士の腹を串刺しにして繋ぐ通路で、内部がスライドロードになっている一種の交通機関である。繋がったビル内に住んでいるか職籍を持つかしないと利用不可となっていた。  故にこれを使えば余計な事件(イヴェント)にも遭遇(ストライク)せずに済むという訳だ。  けれど嫌味な二つ名まで口にされては黙っていられない、ポーカーフェイスながら眉間に不機嫌を溜めたシドが今度は噛みついた。 「俺にだって朝の爽やかな空を拝む権利はある筈です。横暴なパワハラだ。おまけに今日はまだ一発も発砲してないんですよ?」 「それが普通だ。キミの感覚は危険な方向にブレている」 「そうやって何で俺だけ責められなきゃならないんですか? ハイファもいるのに」 「えっ、僕?」 「バディだろうが。心底ガチで心外なツラするんじゃねぇよ」  ハイファ、本名をハイファス=ファサルートという。  ごく細く薄い躰を上品なドレスシャツとソフトスーツで包んでいた。タイは締めていない。シャギーを入れた明るい金髪は後ろ髪だけ伸ばし、うなじの辺りで縛ってしっぽにしている。しっぽの先は背の半ばまで届いていた。瞳は優しげな若草色だ。  このミテクレに皆、騙されるのだとシドはハイファを睨む。  睨まれても涼しい顔でハイファは朗らかに歌い出した。 「『シド=ワカミヤの通った跡は事件・事故で屍累々ぺんぺん草が良く育つ~♪』なあんて昔から言われてきた人が、今更何を言い訳してんのサ」 「おーまーえー、それを歌いやがったな!」 「だって事実だもん。毎日がクリティカルすぎて組んだバディがみんな一週間と保たずに病院送り、僕がくるまでずっと単独だったんでしょ」 「事実は事実として、ナイーヴな俺にはもっとソフトな言い方があるだろ!」 「貴方がナイーヴだったら、さかりのついた羊だってガラスの心臓です!」  その馬鹿馬鹿しい口論がエスカレートし、二人が互いの首筋に銃口をねじ込み合い始めたのをヴィンティス課長は哀しげなブルーアイで見つめる。こめかみを揉んだ。  AD世紀から三千年、人々は醒めている。それにここは汎銀河一治安がいいと云っても過言ではないテラ本星、それもセントラルエリアだ。  機動捜査課は殺しやタタキといった凶悪犯罪の初動捜査を担当するセクションだが、あまたのテラ系星系を統括するテラ連邦議会のお膝元で、そんな事件を起こす奴はレッドリストに入れてもいいほどの稀少種である。  現に他の機捜課員は大概ヒマで、他課の下請けまでやっているほどなのだ。  それなのに約三年前この部下が異動してきてからというもの、管内の事件発生率が想定されたゴールテープを切り、更にグラウンドを目まぐるしく駆け巡っている。  あまりに危険な日常故にシドはずっと単独だった。そこに一年前ようやくバディをつけることができて事態が好転するかと思えば、始末書の数が倍に増えただけだった。外見にそぐわずハイファス=ファサルートは狙撃逮捕をきっちり半分受け持つ男だったのだ。  唯一の救いといえば事件発生率と検挙率がほぼ正比例しているという点だが、毎日毎日このイヴェントストライカが事件を運んでくるたびに血圧が下がる思いだ。  事実、眩暈を感じたヴィンティス課長は多機能デスク上の瓶を取り上げ、赤い増血剤とクサい胃薬とを掌にザラザラと出す。デカ部屋名物の通称・泥水コーヒーで嚥下した。 「二人とも危ないオモチャで遊ぶのは止して、仕事に取り掛かりたまえ」  その声でするりと銃を仕舞った二人は、ヒマを持て余し鼻毛を抜いて長さを比べる賭けをしていた同僚らに応援を頼み、ひったくりと飲料泥棒を取調室に連行していった。  不法入星者は入星管理局の役人が引き取りにくるまで地下の留置場行きだ。  銃だって、とヴィンティス課長は自分の左手首に嵌ったマルチコミュニケータのリモータを撫でながら思う。常時携帯が許されているのは、あの二人だけだ。  そもそも太陽(ソル)系では私服司法警察職員に通常時の銃携帯を許可していない。武器といえばこの惑星警察支給の官品リモータに搭載された麻痺(スタン)レーザーで充分なのだ。  他の課員はそれすら殆ど使わないというのに、イヴェントストライカとそのバディに限ってはそんなものでは事足りず、銃はもはや生活必需品と化していて捜査戦術コンも必要性を認めざるを得ない状況だ。  全く、現代で三日と開けず衆人環視の発砲で警察官職務執行法違反の始末書ばかり書いている部下を持った自分は不幸極まりない。  来月は総監出席で署長会議が行われるが、それに先立ち課長会議を控えている。きっとまた我が七分署管内における建築基準法違反並みの犯罪発生率と自分の部下との相関関係をネタにした論文まで読まされるのだ。  そんな憂いと胃痛を抱えたヴィンティス課長は厭世的になりながら、くるりとフロアに背を向けると超高層ビル群に切り取られた窓外の青空を眺めだした。
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