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第5話
「で、午後はどうするの?」
「そうだな。倉庫街辺りまで歩いてから署に戻るか」
「じゃあ十五時は過ぎるね。書類を上げるには充分かな、ストライクしなければ」
ポーカーフェイスは変わらないが微妙なバディの不機嫌を感じてハイファは黙る。
カップを干してしまうと二人は腰を上げた。本日の当番ハイファがマスターとリモータリンクしてクレジットを支払い店を出る。そのまま右側、署とは逆方向に針路を取った。
一時間近く歩いて辿り着いた倉庫街は業者の大小の倉庫が数百も建ち並ぶ地区だ。時折大型コイルトレーラーや貨物BELが広めの通りにやってきて荷物の出し入れをしていくだけの、淋しいながらもいっそ清々とした場所である。
その手前、五百メートルほどの所にポツリと建つコンビニのオートドリンカで買ったレモンティーの保温ボトルを手に、二人は秋風に吹かれながら倉庫街の入り口脇に積まれたファイバブロックに腰掛けて、ある種荒涼とした光景を眺めた。
「うーん、人がいないだけに平和だなあ」
呟いたハイファの唇をふいにシドが奪う。歯列を割って入り込んだ舌がハイファの口内を舐め回し舌を絡め取った。唾液と共に甘く痛むほど強く吸い上げる。
「んっ、んんぅ……はあっ! 何をいきなり表で欲情してるんですか、あーたは」
「誰も見てねぇぞ」
「そういう問題じゃありません。帰ってから、ね?」
密やかに笑い合ったとき、ふとシドが顔を上げた。
「どうかしたの?」
「気のせいならいいが……こっちだ」
倉庫街の細い通りへ入って行くシドにハイファも続く。百メートルも行かないうちに、ハイファもシドが感じた異変を嗅ぎ取っていた。
嗅ぎ取る、まさに異変は漂う臭いだ。
そうしてイヴェントストライカとそのバディは異変の元に辿り着いてしまう。
「うーわー、やっちゃった!」
大きな倉庫と倉庫の間、幅一メートルくらいの雑草の生えたスペースにそれはあった。死後かなりの時間が経った、いわゆる腐乱死体というヤツだ。
強烈な臭いに口と鼻を手で押さえながらハイファはシドに訊く。
「男……自然死? 自殺かな?」
「いや。頭、撃たれて割られてやがる」
「自殺の線は残るでしょ?」
「手の位置が不自然だ。得物も見当たらねぇな。ハイファ、リモータ発振」
「ん。……あっ、ちょっと待って!」
口呼吸で耐えて近づいたハイファは丈高い草地に倒れた死体の服装を確かめる。その服はシドにも見覚えがあった。濃緑色の制服、それはテラ連邦陸軍のものだった。
ハイファが更に胸元を示す。普通の陸軍ならばタイは制服と同じ濃緑色、だが死体は焦げ茶色のタイを締めていた。
焦げ茶のタイは別室員ハイファと同様に中央情報局員の証しだ。
ハンカチを出して指を覆い、死体の嵌めたリモータをハイファがそっと操作する。だがプロテクトが掛かっていた。ハイファは自分のリモータからリードを引き出して死体のリモータと接続した。幾つかコマンドを打ち込む。
「あっ、この人、ティム=カーライル二尉だ!」
「知ってるのか?」
「うん、別室員だよ。こんな所で別室員が殺られるなんて……」
「どうする。署が先か、お前んとこが先か」
「悪いけど、ウチが先で構わないかな?」
後でも先でも軍、それも別室が絡めば根こそぎ持って行かれるのは分かり切っていた。シドは諸手を挙げて細い通路から出る。
ハイファがリモータ音声発信で事の次第を誰かに伝えると、十分と待たず迷彩塗装を施した軍用BELが上空に現れた。
ためらいなく下降してきたが接地せず、約五十センチで滞空し、戦闘服の兵士たちと制服で焦げ茶色のタイを締めた指揮官らしき男が飛び降りてくる。その男にハイファが身を折る敬礼をした。
「ブレア一佐、お久しぶりです。直々におでましですか?」
「ファサルート二尉、元気にやっているようだね。……こちらが?」
身内の死体の傍で涼しく訊かれ、シドもポーカーフェイスを崩さず応える。
「シド=ワカミヤ、惑星警察でハイファとバディを組んでいます」
自己紹介のみで握手はしない。
「話は伺っている。ファサルート二尉がいつもお世話になっている上に、あの室長までが御執心だともね。きっと優秀なのだろうが、この件は――」
「全面的に別室扱い、ですね」
「申し訳ないが、そういうことで良いかな?」
「良くはありませんが、いいですよ……ホシを挙げられるのなら」
暫し互いの目を探り合ったのち、難儀しつつも保護材で包んだ死体を運び出す兵士たちを横目でチラリと見たシドは軽くブレア一等陸佐に会釈し短く辞去を告げた。
「失礼します。ハイファ、帰るぞ」
二時間ほど歩いて署に帰り着くまでシドは口数も少なかった。
デカ部屋では『午後にイヴェントストライカがストライクする』方に賭けていた同僚らがあからさまにガッカリとし、ヴィンティス課長は大きく安堵の息をついた。
……じつは大イヴェントにストライクしていた訳だが。
それはともかく朝のひったくりとオートドリンカ荒らしに宝飾店強盗の報告書類、合計八枚と始末書A様式一枚の大仕事が待っていた。シドは泥水コーヒーと煙草を糧に黙々と慣れた書式を酷い右下がりの文字で埋めてゆく。
一緒に書類作成に励みながらハイファは隣のポーカーフェイスを窺った。
「機嫌、悪いね」
「そう見えるか?」
「全然。それがまた怖いんだけど。捜査報告なら僕がちゃんと別室から貰うよ」
「是非ともそうしてくれ」
真面目に没頭したために、十七時前には全ての報告書や始末書をFAX様式の捜査戦術コンに流すことができて油断したときだった、二人のリモータが振動し始めたのは。
忘れようのない発振パターンは、別室からのものであると告げていた。
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