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目の前の警察を名乗る不躾な来訪者は懐から取り出した警察手帳を開いて、バッジと身分証を田口の鼻先に翳して見せた。
村井という名前だけが読めた。あとはよく見えなかった。だがどうでもいい。目の前の警察を名乗る不躾な村井が刑事であることだけは確かなのだ。それだけがわかってさえいれば、あとはどうでもいい。
「お出かけするとこでしたか」
「ええ。忙しいので長居されては困るんですよ。用があるんでしたら、要点だけを手短にお願いします」
「ほう」
村井刑事は狡猾そうな細い目を、妖しく光らせた。
「田口さん。貴方は、私が長居すると思ってるわけですね。何か身におぼえでもあるんですか」
目の前の警察を名乗る不躾な村井という男は、どうやら一筋縄ではいかない刑事であるようだ。田口は長期戦を覚悟した。
「いいえ。警察が訪ねて来るなんて、まったくの予想外です。何かあったのですか」
「ええ、何かあったんですよ。だからこうして田口さんをわざわざ訪ねて来たんです。ちなみにこの時間は、私の勤務時間外なんですよねえ」
「だったら私が出勤する前の朝六時とか七時とかに来たらいいじゃないですか」
失業中であることは敢えて自分からは言わない。訊かれていないからだ。
「ええ、貴方の逮捕状が取れたら、もちろん朝六時に来させてもらいます。でもまだ令状を発行する段階にまで至ってませんからねえ。まあ、この時間を選んでわざわざ勤務時間外に訪ねて来たのは、貴方に対するせめてもの温情ですよ」
「温情も何も。そもそも私には何も身に覚えがありませんから」
「身に覚えがない。そうですか。暑さで記憶が飛んでらっしゃるようですね」
村井刑事は田口の肩越しに、部屋の中を指差した。
「上がってもよろしいですか」
「駄目です。すぐに出掛けますので」
「どうしても?」
「どうしても上がりたいなら、令状とやらを持ってきてください」
「では、玄関の立ち話で失礼して、まずはこれをご覧になってもらって、と」
一枚の便箋のコピーを取り出した。折り畳まれたそれをひろげて、田口に見せた。
「これ、ギルドという人気ロックグループのメンバーのマツダ――本名松田良平さん――に送られて来た脅迫状なんです。本物は持って来られないので、これは写しですけどね」
――貴方を殺して有名になりたい――
便箋にはただそれだけが記してあった。ボールペンによる手書きだ。
「単刀直入にお訊きします。これを書いてギルドのマツダさんに送りつけたのは田口さん、貴方ですよね」
「はあ?」
田口は顔を歪めた。
「知りませんよ。私じゃないです。何でまた私だと?」
「その質問にはお答え出来ません」
村井は脅迫状の写しを折り畳んで懐に入れて仕舞った。
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