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銃は、銃本体だけでは、銃として機能しない。銃が銃であり続けるためには、口径が完全に合致する実弾が必要不可欠だ。
田口は仕事――燃えるゴミの収集――のことなどすっかり忘れ去り、行政指定ゴミ袋を逆さまにして、その中身をアスファルトにすべてぶちまけた。腐臭を漂わせる生ゴミに埋もれたレミントン製38スペシャル弾の紙箱――五十発入り――を見つけ出し、中身を取り出してみた。ただの一発も欠けることなく、中身は完全に揃っている。田口は狂喜した。小躍りしたい心境というものを、田口は生まれて初めて知ったような気がしてならなかった。
非正規労働者として、虫けらか何かのようにただひたすら小突き回されるだけの毎日だった。だが、もう違う。銃を手にした田口は人間をはじめとするありとあらゆる生物の生殺与奪権を握ったのだ。
不思議な力が沸き上がって来るのを感じた。全能の神になったような気分とでもいうのだろうか。上手く言葉に出来ない不思議な感情に突き動かされて、その日のうちに田口は、大学を出たての生意気な上司をしこたまぶん殴って、潔く仕事を辞めた。
仕事を辞めてから数週間は、ただひたすらギルドの曲を聴いて過ごした。マツダの超絶ギターテクニックを身体に感じていると、すべてを忘れていられた。
マツダのギターは田口のすべてだった。一度でいいからマツダに近づいてみたい。コンサート以外でマツダに会い、マツダの記憶の中に自分という存在の爪痕を残したい。だからと言って、脅迫状などといった馬鹿げたものを書くはずがない。ましてやそんなものをギルドのマツダに送ったりなどするはずがないではないか。村井とかいうあの刑事はイカれている。何をどう勘違いしたのか、あのイカれ男はどういう基準でそうなったものか、よりによって田口春生を犯人と決めつけて掛かっている。あの刑事はどうかしている。
田口は舌打ちしながら携帯電話に冤罪事件と入力して検索してみた。過去に警察がやらかした、ありとあらゆる冤罪事件が、次から次へと現れては消え、やがて雪崩に埋め尽くされたような暗黒世界となって、画面をことごとく覆い尽くしてゆく。
過去の色々な冤罪事件を大まかにではあるが調べてみた結果、田口はそこに幾つかの共通点を見いだしたのだった。
現場の警察官の暴走。
現場の警察官の怠慢。
現場の警察官の思い込み。
現場の警察官の決めつけ。
そこに共通して存在するのは、最初の段階で容疑者を少人数に絞り込んで犯人はこいつであると決めつけ、あとはその犯人へと至る道筋――ストーリー――を現場の警察官が強引かつ無理矢理に作り上げるという、まるで近代警察とも思えない驚愕の捜査手法である。
冗談ではない。やってもいない罪を背負わされて、監獄に入れられてたまるか。
しかし唯一の救いは、ギルドのマツダが危害を加えられたという話を、ネットの噂レベルでさえもまったく聞いたことがないという点であった。
だが救いがある一方で、救いの無い事実がある。田口はロックスターに対する脅迫に匹敵するか、あるいはそれよりも遥かに重い罪を犯してしまっているということだ。
田口は実弾五十発とセットになった実銃を手にしている。重罪だ。とは言え、銃を誰にも見せず、一度も使わず、金庫の中に仕舞っておく限り、その罪が発覚する可能性はゼロに等しい。この日本国内には箪笥の奥に仕舞い込まれたまま永い眠りについている銃――本体に錆びが浮いてもその殺傷力は少しも失われない――が、数万から数十万丁も存在すると言われている。何しろかつての日本国は、敗戦によって占領軍総指令部から市民の銃器所持を禁止されるまでは、警察に簡単な届け出をしさえすれば誰でも平等に拳銃を所持出来たからだ。敗戦によってアメリカに銃を取り上げられるまではどこの家庭にも鉄砲刀剣の類いがあったのである。それらの多くは回収されることなく箪笥の奥で永い眠りについている。しかし近年になってそれらの銃が警察によって摘発されたという話はほとんど聞かない。銃を所有していることを殊更にアピールさえしなければ罪が発覚することはないという、それが何よりの証拠だ。
ともあれ。
再び窓際へ行き、カーテンの隙間から目だけを覗かせてみた。
村井刑事が、缶コーヒーを片手に、あんパンにかじりついていた。
「くそっ」
田口は拳銃と弾薬を手提げ金庫の奥に厳重に仕舞って、ダイヤルを確実にロックした。
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