第2話

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第2話

 結果ミケは小田切の膝を降りて京哉の手から竹輪を旨そうに食べ、機嫌を直して長いしっぽをピンと立て、晩飯休憩で戻ってきた二班の隊員らの許に歩いて行った。  迷うことを知らない霧島が注文する弁当は夜食も含め、一日四食三百六十五日全て近所の仕出し屋の幕の内だが皆は文句も言わず食っている。そうしながら皆が猫を揉んでいて京哉はホッとした。  ミケに関しては猫好きの同志を募って当番表を作ってあるためトイレもエサも心配はない。マンションで飼えなかったのは残念だが、ミケは却って幸せそうである。  安堵するとまた京哉の心は明日からのクルージングに飛んだ。  初冬という今現在においてクルージングは季節に即したレジャーではないが、(おか)にいたら大事件だの、県警本部長を通して下される毎回ガチンコで命懸けの特別任務だのが降ってきては休日が潰れてしまう。  その点、携帯の電波すら届かない沖に出てしまえば誰にも邪魔されることなく霧島を独占できるのだ。気が逸って霧島の腕を取りそうになり慌てて自粛する。 「さてと。今度こそ帰りましょうか、隊長」  霧島隊長と小田切副隊長に倣って京哉も機捜本部の指令台に就いた二班長で機捜の長老・田上(たがみ)警部補に身を折る敬礼をした。年季の入った答礼を受け、あとは幕の内弁当を頬張る隊員たちに京哉は敬礼する。明朝の交代まで頑張る皆に礼は欠かせない。  全て終わらせ気が済んで踵を返すと隊員たちの野次を背に受けた。 「隊長、鳴海を壊しちゃだめですよ!」 「鳴海もちゃんと避妊して貰えよな!」  恥ずかしくて堪らない京哉だったが左薬指にペアリングまで嵌めているのだ。片割れの霧島が鉄面皮のまま、もとい涼しい顔を保っているのに力を得て、京哉も心して表情を固定したまま詰め所を出た。古い建物の廊下は冷え冷えとしていた。  小柄な京哉は長身の霧島と小田切を足早に追う。階段で一階に降りてバス通勤の小田切に手を振った。小田切は正面エントランスから出て行く。  霧島と京哉はジャンケンしながら古めかしく重々しいレンガ張り十六階建て本部庁舎の裏口から出て、すっかり夜になった中、関係者専用駐車場に駐めてある自家用車の白いセダンに乗った。  ステアリングを握るのはジャンケンで負けた霧島、京哉は助手席だ。 「煙草、構わんぞ」 「遠慮なく吸わせて貰います」  セダンが裏門から出るのを待って京哉は言葉に甘え、一本咥えてオイルライターで火を点ける。煙を逃がすため寒風が吹き込まない程度にサイドウィンドウを下げた。  ここは白藤(しらふじ)市で辺りは高低様々なビルの林立だ。だがさすがに機捜隊長を張っているだけあり霧島の運転は非常に巧みで、普通なら選ばないような一方通行路や細い路地を走り表通りの帰宅ラッシュを避けてゆく。そうして最短で白いセダンをバイパスに乗せた。  やがて二人のマンションのある隣の真城(ましろ)市に入る。真城市は白藤市のベッドタウンといった位置づけで、バイパス沿いには郊外一軒型の店舗が過剰な明かりを灯して佇んでいるだけ、あとは住宅地が平たく広がっていた。 「京哉、今週の食事当番はスーパーカガミヤに寄らなくていいのか?」 「あ、一応寄って下さい。旅行用サイズの歯磨き粉とか買いたいですから」 「出掛ける時にコンビニに寄ればいいだろう?」 「だってスーパーの方が絶対安いじゃないですか」  喋っているうちに霧島の運転する白いセダンはスーパーカガミヤの駐車場に滑り込む。入店すると京哉がカゴを持ち、あれこれ小旅行グッズを買い込んだ。レジで支払って品物を袋詰めすると店を出ようとし、気付いて京哉は霧島のスーツの裾を引く。 「どうした、買い忘れか?」 「違います。『千円以上お買い上げの方にビッグチャンス』、抽選会ですって」  指差した方向には特設会場があり、店員と店長らしき男女が鉢巻きに法被姿でテンションも高く声を張り上げていた。時折当選した合図か鐘の音も聞こえている。 「レシートを見せたら引けるみたい。二回分、回せますよ。行きましょう」  つまり京哉は六角形の抽選機を回してみたかったのだ。目を輝かせた年下の恋人を止める理由も見当たらず、霧島も京哉に寄り添い特設会場に近づいた。二人は並んだ賞品を見定める。 「実用的にボックスティッシュでも当たればいいのだがな」 「そうですか? 僕はお皿がいいな」 「いや、やはりティッシュだろう。最近は寝室での消費が激しくて――」 「分かったから黙ってて下さい!」  法被のオバちゃんに京哉はレシートを見せた。二回分の検印を押して貰い京哉は期待してガラガラを回した。しかし出てきたのは白い玉の残念賞でポケットティッシュだった。  自分が回したかったのだから霧島も回したいに違いないという発想で、残り一回を霧島に譲る。霧島は無造作にガラガラを回した。  コロリと出て転がったのは金色の玉だった。  途端に特設会場のテンションが最高潮に達し、がらんがらんと鐘が鳴らされる。 「特等『ペアで古城を巡る旅、薔薇の香るエレガ王国への誘い』大当たりですっ!」  ◇◇◇◇ 「ふう。却って疲れちゃったかも」  寝室でジャケットを脱ぎながら京哉は溜息をついた。月極駐車場にセダンを駐め、白い息を吐きつつ歩いて戻った五階建てマンション五階の五〇一号室である。    タイを解き手錠ホルダーと特殊警棒を付けた帯革を外した。そしてショルダーホルスタごと銃を外す。  普通の刑事は普段から銃など持ち歩かないが、初動捜査専門の機捜はいきなり凶悪犯と出くわす可能性を考慮して職務中は銃を携帯することが義務付けられていた。  おまけに京哉と霧島は県警本部長から直接下された特別任務において、県下の暴力団から恨みを買っていることもあり、職務時間外でも銃を携行する許可、いや、常に銃を携行して身の安全を図るよう命令されている。  機捜隊員が持つのはシグ・ザウエルP230JPなる薬室(チャンバ)一発マガジン八発の合計九発を発射可能なセミ・オートマチック・ピストルで、使用弾は三十二ACP弾だが通常弾薬は五発しか貸与されないという代物だ。  しかし二人が所持しているのはシグ・ザウエルP226なる合計十六発を発射できるセミオートで使用弾は九ミリパラベラムだった。  更には三十二ACP弾より九ミリパラの方が余程威力も強いのに本体は十六発フルロード、プラス十五発満タンのスペアマガジンも二本という重装備をパウチに入れて持ち歩くハメになっている。  二人合わせて九十二発でいったい誰と戦争するんだろうと霧島と京哉だって初めは思っていた。けれど残弾がそれぞれ三発になった時には、なるほどと思ったものだ。  とにかく重たいそれらをダブルベッドの傍にあるライティングチェストの引き出しに並べて入れると、京哉は洗面所で手洗いとうがいを済ませ、キッチンで黒いエプロンを着けた。  霧島も洗面所を使った後は早速ウィスキーとカットグラスを出してストレートで一杯やりはじめる。  そして調理台に向かっている京哉がわざと置いた、テーブル上のパンフレットを眺めて溜息だ。何故なら海外旅行だというのに現地のホテルチケットの有効期限が明日から二週間しかないという段取りの悪さだったのである。 「お前、本当に行く気なのか?」 「だって前回の海外は特別任務でさんざんだったし。思い出させたならすみません」  サッチョウ上層部の秘密まで知った二人は却って便利にこき使われ、県警本部長を経由して何度も『上』から特別任務を課されてきた。その任務の一環で前回は南米にまで飛ばされた挙げ句、霧島がマフィアに囚われて嬲られ、麻薬漬けにされたのである。  帰国後も禁断症状に苦しみ自ら右手首にヒビまで入れて戦ったのだ。  そんな状態から回復して日常を取り戻したばかりでもあった。 「いや、それは構わんが。しかし明日の出発というのはどうかと思うのだがな」 「どうせ三連休だし、クルーザーは逃げないし。だめですか?」  答えを保留して霧島は再びウィスキーを注ぐ。どれだけ飲んでも霧島は殆ど酔わない。だが年上の愛し人の健康を気にする京哉は、すかさずサラダと切ったかまぼこの皿を差し出した。最近二人で気に入っている胡麻ドレッシング付きである。 「これでも食べながら飲んで下さい。で、エレガ王国って何処でしたっけ?」  そんなことも知らず特設会場のオバちゃんに勧められるまま、航空機のチケットを予約してしまった京哉に霧島は呆れたが『二人で初プライヴェート海外旅行』に心が動いているのは自分も同じである。パンフレットを手に取りながら答えた。 「ヨーロッパの小国だ。イギリスに近いが海流の影響でそう寒くないと聞いている」 「首都がマイザーって書いてありましたよね。薔薇と古城が綺麗だって」 「古い城なら皇居の堀でも眺めに行けばいいんじゃないのか?」 「そんなこと言わないで、二人で古いお城がある街を歩いてみたいな」  京哉の作戦は三連休利用プラス二日の代休消化でしのいでしまおうというものだ。 「はい、御飯が出来ましたよ」 「旨そうな感じはするが、これはいったい何だ?」 「冷蔵庫一掃セールの闇揚げです。食べられないものは入ってませんから」 「なるほど、分厚い衣に隠れている辺りがスリリングだな」  ソースとからしをつけて齧ってみると一個目は当たりで豚肉だった。二個目の酸っぱいトマトを食いながら霧島は京哉を眺める。プライヴェート旅行に心が前のめりで気もそぞろらしい。  そんな京哉を眺めていると古い城のひとつやふたつ見せてやらなくてどうするという思いが湧いた。ここ暫くは互いに過酷な特別任務が続いたのだ。  海外旅行二回目の京哉と国外で心ゆくまでアレをナニするのもいいかも知れない。 「では明日は午前中に一旦出勤だぞ。皆に一応告げておかねばならん」 「って本当に忍さん、旅行に行ってくれるんですか?」 「本当も何も、お前がチケットまで予約したんだろうが」 「だって貴方は全然乗り気じゃなかったし、何だか急に言われると嘘みたいで」  今更ながら半信半疑といった顔つきの京哉に霧島は珍しく苦笑してみせる。 「お前がそこまで喜ぶことを私が止めると思っていたのか? 最近ずっと精勤していたしな。但し、明日になっていきなり特別任務が入らないよう祈っておくんだぞ」 「分かりました。わあい、やったあ! 忍さんと初プライヴェート海外旅行だ!」
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