賽の河原業務事情及び改善要望書

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 三途の川沿い担当の一獄卒である私は、最近暇を持て余している。賽の河原にやってくる子供を呵責してその罪を償わせるのがその職務内容だが、ここ数十年はとにかく罪状も刑罰の内容も食い違いが続いているのだ。  そもそも、親の虐待で堕ちてくる子供ばかりだ。やんちゃをして事故を起こしておっ死んだ子供というのは少ないし、その罪の内容を見ても、獄卒としても「別にいいじゃねえかこれぐらい」と思うこともしばしばある。地獄に堕とされその罪を償うようなことをしている子供などほんの一部しか居ない。こんな刑場無くした方がいいんじゃないかと思わなくもないが、そうすると自分達の仕事が無くなるので、私を含めこの刑場に居る獄卒は誰も口を出せずに居る。  子供の方もそんな獄卒の態度を察して舐めてかかっているのか、それとも生意気な現実主義と効率主義の成せる業か、子供の方も生意気である。どいつもこいつも真面目に石を積むことをせず、ノロノロと無気力に積むか、そもそも積まずにサボっている。  挙句の果てには先日、今時珍しいガキ大将気質の子供が先頭に立ってデモを起こした。どうせ崩される石を積むことに何の意味があるのだと、刑罰の根本を否定してきやがる。しかしこれもまた、私達が疑問に思っていることでもあるので強く反論出来ない。全く、最近の子供は口が達者である。  加えてこの一団、石積みの代わりとして三途の川での釣りやニンテンドースイッチを要求してきた。この辺りで私の腑も大概煮え繰り返り始める。刑罰の意味を何だと思って嫌がるんだこのガキ。こっちだって安月給で現代の法律と食い違いの起きてる罪状と刑罰の齟齬に苦しんで面倒を見てやっているのになんだその態度は。これだから成果主義者が増えているし映画を全部観るなんて馬鹿らしいからあらすじと結果だけ教えろとかいうフザケたクソ野郎共が幅を利かせ(「刑罰の〜」からのくだりより斜線により削除)  一旦、石積みの石をジェンガに変えることで遊戯性を持たせ、尚且つ獄卒の仕事の負担も軽減させることに成功した。我々が今暇なのはそれが原因の一端でもあるが、閑話休題。  次の上長会議にて、閻魔に刑罰と罪状の緩和案についての改正案を提出する予定である。
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