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高1 秋
高く濃い青になった空と、幾分か柔らかくなった日差し。秋だ。
「ったく、相変わらずあっちいな」
「サンキュ」
少なくとも教室の窓から見る分にはと、机に並べられたペットボトルを開ける。
「5時間目化学とかやってらんねえ、絶対寝るじゃん」
「まだいいじゃん、こちとら生ぬるい古典だぞ」
「いや、そっちの古典は小野ちゃんだろ?うちなんて北山だぜ?」
先生が女か男かだの、板書が綺麗か汚いかだの、当てる順番がまちまちで迷惑しているだの。
冷房の効いた教室の真ん中、呟いた。
「野球してえ」
すぐに横やりが飛んでくる。
「嫌でもこの後するだろ」
「やめてくれ、今日のメニュー忘れようとしてたのに」
「先輩達、気合い入ってるもんな」
「そりゃあ、もうすぐ秋大だし」
「甲子園であんな負け方したらなあ」
「おい」
静まりかえった一同に、「別にいいよ、ほんとのことだし」と告げる。自分の暴投が決勝点になってしまったのは事実なので、庇われたくなかった。スタンドにいた彼らにだって、思うところはあるだろう。
しかしどうにも居づらくなって、ついに立ち上がった。
「おい、どこ行くんだよ」
「便所」とだけ返しておけば、誰も付いてこなかった。
教室を出て、廊下を練り歩く。1年の廊下を歩くと目立ってしまうので、校舎を変えて人気のないところを探す。
「どうしたエース、辛気くさいカオして」
掛けられた声に左を向くと、第5講義室から女子生徒が顔を出していた。髪は肩につくまで長く、肌は雪のように白かった。鼻の辺りに散るそばかすの存在は初めて知ったが、反射的にその名を呼んでいた。
「律」
「おう」
照れくさそうに目元と唇を緩めて、廊下に出てきた。胸元で揺れる赤いリボンも、膝の下まであるグレーと赤のチェック柄スカートも、この学校のものではない。しかし進学校の制服が可愛くなったとクラスの女子が騒いでいたのは、記憶にあった。
「...お前、頭よかったんだな」
「そこ!?」
面白そうに身を乗り出す動きは記憶にある律そのものなのに、知らない人間みたいだ。ユニホームを着ていないせいだろう。
「何でこんなとこにいるんだよ、学校は」
「ひとつずつ訊けよな。学校は行ってる。...たぶん」
「はあ?」
喋りは律だ。1年のブランクがあっても、変わらない。
「学校行ってんなら、何でこんなとこ」
「藍くんよ、私に変わったところはないかい」
「...スカート履いてる」
「おい」
「しゃあねえ」と、右手が差し出された。両手をズボンで拭う。女子を意識したかのような行動に、鼻で笑われた。チクショウ、無意識だっつの。渋々右手を差し出すと、
「!?」
するりと抜けた。もう一度試しても、握れない。
「なんっ、お前、ユーレイ?」
「失礼な、ちゃんと足はあるだろ」
「勝手に殺すな」と仰るので床に目を落とすと、確かに上履きを履いた足がある。
「なるほど」
しかし、足がないのが幽霊という定義は正しいのだろうか。
「じゃあ、お前は何なわけ」
怪しさ満点の女子高生に眉を寄せると、言いづらそうに口を噤んだ。
「亡霊、みたいなのでいいよ。たぶん」
なるほど、さっぱりわからん。
「私自身はぴんぴんしてるし、健康体で女子高生を謳歌してるはずよ?一応、この見てくれだし」
「ウザっ」
腕や脚には昨年なかった曲線がわずかに入っていて、リボンを留めた胸元にもこれまたわずかだが――膨らみがある。そばかすはコンプレックスなのかもしれないが、淡い桃色をした唇の下にある黒子は去年と違って見える。
「たぶん、日高律自身が意識的に切り離した願望なのよ。亡霊、的な」
「煩悩かよ」
と閃くと、
「いいよ、それで」
と肩をすくめた。
いいのか。
「じゃあ、とっとと律のとこに戻るんだな」
「言ったでしょ、アイツが切り離したのよ」
「じゃあ消えろよ。メーワクがられてんじゃねえか」
笑い飛ばしたが、返事がなかった。唇を噛んだまま、黙っている。
泣くのか。
「いや、今のは」
「往生際が悪いのよ、私。知ってるでしょ」
知らない。
とは言えなかった。ねちっこいリードとバッティングは知っていても、その性質は知らない。そもそも「野球を嫌いになりたくないからやめる」というのは、潔くないか。
「私のとこに行ったら、アイツはすぐに私を消そうとするよ。でも私、それは嫌なの」
両腕で自分の肩を抱きしめる様は、まるでヒロインだ。少なくとも、俺が知っている律ではない。捕手ではない。
「おう」
それでも答えてしまったのは、彼女の声が涙で震えていたからかもしれない。たぶん俺も、女の涙に弱ったのだ。
「他のやつに見つかんねえなら好きにしてもいいけどよ、お前、」
律の、「どの煩悩」なわけ?
愚問は、予鈴に遮られた。
「チャイム、鳴ってる」
「やっべ!次移動なんだよ」
「はは、じゃあダッシュだ」
「ウッゼ!」
それでも去り際に、耳はしっかりと拾っていた。「私、たぶん他の人には気付かれてないから安心しなよ」。
そうかよ、そりゃあよかった。けど、俺が聞きたかったのはそこじゃねえ。
いや、心当たりはある。律が切り離したという「煩悩」もとい、願望。
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