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 気付けば、僕は霧の濃い小さな湖の畔に立っていた。ただ、そこに湖があるという情報しか入ってこない。音も気温も感じないとても静かな空間だった。  対岸には銀髪の少年と白い靄に包まれた人が立っていた。銀髪の少年はここ最近鏡でよく見る自分の姿をしていた。 『ユノス?』  問いかければ、ユノスの唇が動く。  音は聞こえないけれど、ありがとう、と言ってるような気がした。  そして、隣の白い靄の人と顔を見合わせて何かを話した後、僕に手を振ると二人は寄り添うように霧の中に消えていった。  ユノスの表情は穏やかで、もう未練はないように見えた。靄の人がユノスを導いたのかもしれない。神の愛し子だから、もしかしたらあれは神様だったのかも。  僕を包む霧は濃くなる一方だったけど、不安はなかった。エリオのところに戻れるってなぜか確信があったんだ。 「周……?」  ほら、エリオの声。  意識が浮上する。すぐにでもエリオの顔が見たくて重い瞼をこじ開けた。霞んでいた視界は何度かまばたきすればクリアになる。そうすれば当然のように僕の瞳を覗き込む顔があった。  手元にあった服を摘まめば、これ以上ないってくらい嬉しそうに目が細められる。その表情はあいつそのもので、折角はっきり見えていた顔が即座にぼやけてしまった。 「周、迎えに来た」 「……うん」 「遅くなって、ごめん」 「……うん」 「早速だけど、抱っこさせて?」 「…………バカ」  エリオはまだ力の入らない僕を抱き起して膝に座らせる。それから思い切り背中から抱きしめた。力加減もあたたかさも何もかも記憶と同じで僕はむせび泣いた。 「ごめん……ごめんな、たくさん寂しい思いさせて……」  嬉しくて嬉しくて、嗚咽が全然止まらなかった。エリオは僕を向かい合わせに抱えなおすと、困惑と喜びが入り混じった表情で僕の顔中にくちづけた。そして、泣き止まない僕をあやしつつ、エリオはぽつぽつと当時のことを語り始めた。  あの日の帰り道に追いはぎに遭ったこと。その時に落馬して、頭を打ったせいで記憶を失っていたこと。 「記憶のないまま世話をしてくれた人と祝言をあげて、記憶が戻った時には周と約束した日から二年も経っていた。周のことだから、もう良い所に貰われているだろうし、二年も経てば約束を反故したとみなされて遊郭には入れない。だけど諦めきれなかった。もし周が楼に残っているなら……許されるなら、もう一度周を身請けしたいって。――でも、周はいなかった」  顔を見せた途端、楼主に罵声を浴びせられ、おまえの楼仲間にはぼこぼこにされたんだと、嘲るように笑いながらエリオは涙を流した。 「あれほど虚しさを味わったことはなかった。周を絶望させるほど苦しませた自分が許せなくて、悔しくて堪らなかった」  すると、周を生き返らせてやってもいい、と怪しい人が家を訪ねてきて、自失していたあいつは藁にも縋る思いで頷いてしまったのだと。対価に『全て』を払って『周』の魂を呼び戻したけれど、相手は悪魔で僕は結局生き返らなかった。  そんなおとぎ話みたいな展開だった。  それから『周』の魂は悪魔の手の中で弄ばれ、あいつはそれをずっと見ているしかなかったって……。 「そんな時、この世界の神が俺に取引を持ち掛けて来た。悪魔の作った輪廻から外してやるって。代わりにユノスの復讐をして欲しいって」 「……復讐? 神様って天罰を下せるんじゃないの?」 「それがさ、この世に送り込んだ命には介入できないらしくて、俺と同じ気持ちを味わってたんだ」  契約した後、神様は僕を悪魔の輪廻から外すために、ユノスの魂が抜けかけた体に僕の魂を捩じ込んだ。今まで一つの体に二つの魂が同時に存在するような状態だったってこと。僕の思考がユノスの記憶と感情に干渉されていたことにも納得がいった。  そして、肉体も名前もすべてを失って、スカスカの魂になっていたあいつは、神様にもりもりに盛ったステータスで『エリオ』としてこの世に送られ、廊下で気を失っていた僕を助けた。ユノスの記憶にエリオがいなかったのは当然だったんだって、なんだかすとんと腑に落ちた。 「皆はエリオのこと知ってたけど、あれはどういう細工をしたの?」 「……んー、俺さ、大抵のことはできるから、ちょっと記憶の改竄を……」 「改竄……? もしかして天罰も……?」 「やったのは俺。請け負った仕事の一つだし。――あ、あれは俺の思い付きじゃなくて、俺より前に来た神使いが作った伝承だからな。それに倣ってやっただけ。誤解するなよ」  心臓だけ変質させるなんて悪趣味だと思ったけど、考えたのがエリオじゃなくてよかった。 「……僕の記憶は弄ってない、よね?」 「『王子と試合した』っていう一つだけな」 「あ、あれ……他は……?」 「それ以外は弄っても意味ないだろ。弄りすぎると齟齬が生まれて、後々困るのは自分。ま、もう使う必要もないし」 「うん……」  エリオがそういうのを嫌うってちゃんとわかってる。だからこそ、僕が抱いていた気持ちが純粋に自分のものだと思い知って、酷く恥ずかしくなった。視線を外せば、エリオがくくって喉で笑う。 「変わってないな。恥ずかしいと目を逸らすの」 「え……」 「俺がどれだけ周を見ていたと思う? あの日も、わかりやすく目を潤ませてるのに口は全く素直じゃなくて……本当にかわいかった」 「っ……」 「ずっと、ずっとこうして抱きしめる日を心待ちにしていたんだ」  そして、僕の手を取って、ゆっくりと手の甲にくちづける。 「周、愛してる……」 「……エリオ……っ」  どれだけ僕を泣かせれば気が済むんだろう。  頬を伝う涙をエリオの親指が拭う。そして、囁くような声で「キスしていい?」って僕の目を覗いてくる。全てを見透かすような真っ直ぐな眼差し。  でも、心待ちにしてたのはエリオだけじゃない。僕だってずっと、ずっと……。素直になれなくてごめんなさいって謝りたかった。それから――それから、僕の全部を愛して欲しかった。 「キスだけじゃ、足りないよ……っ」 「――っ、周っ……」  僕の想いに応えるようにエリオは僕を掻き抱いて、吐息を奪った。そのまま二人してベッドに倒れ込み、お互いのボタンを外していく。  何度も唇を啄まれる。優しくもあり奪うようでもあり。でもそれが嬉しかった。  汗ばむ手のひらが肌を撫で上げ、その度に僕の体は敏感に反応して跳ねた。行為なんて慣れているはずなのに、まるで初めての時みたいに緊張と怖さが入り混じる。でもそれは、もう触れられないと思っていた愛しい人と交われるという期待から。  早く繋がりたくて後ろを解そうと手を伸せば、手首を捕らえられる。エリオはそのままその手をシーツに押し付けて、無言のまま首筋に唇を這わせた。 「エリオっ」 「だめ。俺がするから」  そう言いつつもエリオが手を滑らせて行きついたのは僕の少し立ち上がった中心。手のひらに包み込んで上下に擦られて、直接的な刺激に僕はエリオにしがみ付いた。緩慢な動きなのに、触られているというだけで痺れるような快感が全身を駆け巡る。その上、胸にも吸い付かれて、舌で転がされて。 「あ、ぁッ……」  長い永い間忘れていた甘い官能。体の奥が疼いて、声を抑えられなかった。愛する人にこんな姿を晒すのは初めてで、自分がどう見えているのか急に不安になる。  初めての感覚だった。客を喜ばせるために媚態を見せていたのに、エリオにはそれと同じだと思われたくないなんて。 「周、かわいい」  まるで心を読んだみたいに優しいキスが散らされる。唇が離される度にかわいいかわいいと言われて、恥ずかしくて嬉しくて堪らなかった。顔をぐちゃぐちゃにして泣いてしまえば、エリオは唇を寄せて、また「かわいい」とこぼした。  今までの時間を取り戻すように、隅々まで僕の体に触れて、大切に大切に扱ってくれる。中心にまで舌が這い、先端にキスされる。そのまま咥えられて、同時に後ろを指がなぞった。もどかしいほどにゆっくりとした挿入とは裏腹に、中にあるしこりを執拗に弄ばれる。火が付いたみたいに体が火照って、全身に汗が滲んだ。 「あっ……い、イくっ、イっちゃ――、ぁあっ……」  一瞬で昇りつめて、体がしなる。頭が真っ白になって、エリオの口の中で達したこともわからないくらいだった。長い絶頂に体を震わせていると、額にキスが降ってきて足が抱え上げられる。そして、宛がわれる怒張。期待に内腿がひくついて、甘く喘ぎが漏れた。 「入れるな?」  唇を優しく啄まれて、お互いの吐息が混ざる。「うん」と小さく返せば、体重がかけられて先端がじりじりと埋め込まれていく。ゆっくりと内壁を掻き分けられ、その鈍い動きがより一層エリオの形を鮮明に感じさせた。 「……あ、あぁ……っ」  嬉しい。嬉しい。大好き。  エリオのモノに奥深くまで満たされて、歓びが心の底から溢れ出してくる。  伝え方がわからなくて、僕はエリオに力いっぱい抱きつくしかなくて。エリオはそんな僕の頭を大きな手で支え、僕の気持ちを受け止めるように深い口付けをくれた。 「エリ、オ……すき、好き……」  湧き出る情愛に浮かされるまま呟けば、エリオが息を呑んだ。腰を掴まれ、最奥の壁を荒々しく抉られる。悲鳴に似た嬌声を上げても容赦なく突き上げられて、僕はすべてを曝け出して乱れた。深く繋がったところでエリオの欲望が弾けて熱が広がれば、まるで中から染め上げられるようで。その感覚が嬉しくてまた涙がこぼれた。  愛する人から与えられる、芯まで融かされるような快感。もう決して叶わないと思っていた幸せな瞬間。これがどれだけ贅沢なことなのか僕は知っているから。  ありがとう、エリオ。ずっとずっと僕を見つめていてくれて。 「周」  吐息と共に僕の名前を紡いだ唇を塞ぐ。  今はまだ僕の口は素直になれないけれど、遠くない未来にきっと言うから。その代わりにこのキスで許して欲しい。唇をゆっくりと離して、驚きに見開かれた深海を思わせる青い瞳を見つめる。すると、幸せそうに目が細められた。  その瞬間、胸の中で光が弾けたみたいだった。  あぁ、こんなに、こんなに嬉しいんだ。愛する人の喜ぶ顔は。  あの時、素直になれなかったことの後悔は尽きないけれど、これからは間違えたくない。エリオをもっと喜ばせて、いつも笑顔でいて欲しいと思う。  強く抱擁され、汗で濡れた肌が触れ合う。その体温を逃したくなくて、僕はエリオの背中に腕を回した。
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