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第10話
タイタンの自転周期は約十六日だ。主星の土星の影に入ることもあるので一概には云えないが通常なら夜が約八日、昼が約八日続く。
今は昼のフェイズだったが、太陽から遠いためにかなり暗い。だが屋上はライトが煌々と灯り、却って眩しいくらいだった。
第二宙港行きの定期BELはすぐに見つかり、チェックパネルにリモータリンクで定額のクレジットを支払うと、十五分間だけ機上の人となった。
第二宙港では二階ロビーフロアにエレベーターで降り、まずはミテラ星系第三惑星フィカル行きの旅客艦のチケットを押さえる。十二時三十分発の便でシートをリザーブした。
次はロビーに幾つも並んだ端末のブースでハイファお得意のハッキングだ。別室カスタムメイドリモータから引き出したリードを端末に接続し、コンテンツの管理権限者を装って、ここ数日の宙港利用者リストを覗き見する。
「ヒットした。ニック=ハリスン、一昨日の便で出星してるよ」
「一昨日か。リチャード=ターナーを殺って速攻で逃げ帰ったってことだな」
「グレン警部たちよりこっちが本命みたいだね……あ、もう時間だ」
慌てて通関の機器の森を駆け抜け、リムジンコイルの最終便に飛び乗った。
旅客艦は意外に小さくシートの数も少なかったが客室自体は清潔だった。ここでもCAが配るワープ前の白い錠剤を飲むとアナウンスが入って出航である。
「ワープ何回だってか?」
「四十分ごとに三回のワープ、二時間四十分の旅だよ」
「結構遠いな。まずはメシにしようぜ、腹減った」
「隣に食堂も完備してるんだって。行こ」
食堂はこういった宙艦にありがちな簡素なフードコートではなく、ちゃんとレストランのような造りになっていた。二人は厨房に近いテーブル席に着く。水のグラスを持ってきた係員から電子メニュー表を受け取り、メニューボタンを押してクレジットを移した。
温めるだけらしいセットメニューは、さほど待たずに運ばれてくる。
食事時には仕事の話をなるべくしないのが二人の暗黙のルールだったが、一応は職務中ということで、肉のソテーを咀嚼し飲み込んだシドが訊く。
「ハイファお前、ミテラ星系には行ったことがあるのか?」
「うん。第三惑星フィカルも、在りし日の第四惑星カリクもね」
「何だ、その『在りし日の』って?」
「僕がまだ別室入りする前、テラ標準歴で四年くらい前かな、小惑星がぶつかって死の星になったんだよ。麦畑が金色の海みたいに広がる綺麗な星だったんだけど」
不思議に思いシドは訊く。
「今どき小惑星くらい、撃破できなかったのかよ」
「何処でもテラ本星並みの航空宇宙監視局がある訳じゃないし、小惑星は大きすぎたんだってサ。それにミテラは結構な田舎星系、今でこそフィカルでレアメタルの大鉱床が発見されてから目覚ましい発展を遂げたけど、当時は小惑星を回避する手段がたったひとつしかなかったんだよ」
「ひとつはあったのに、何でそいつをやらなかったんだ?」
「やったからカリクは死の星になった……たまたま第一艦隊の練習艦隊が近くで演習をしてたんだよ。それで小惑星にビーム攻撃。第三惑星フィカルは小惑星激突を免れた。代わりに双子惑星だった第四惑星カリクにドーン!」
「そりゃあ、偶然にしても災難だな」
「偶然、ねえ」
と、シニカルにハイファは笑い、
「双子惑星のどちらかを殺さなきゃいけなくなった。レアメタルか穀物倉庫かのトロッコ問題。そのトロッコ問題を計算して練習艦隊に解決させたのは人間の判断じゃない。全てコンが決めたんだよ、中央情報局の地下深くにおわす特殊戦略コンピュータであるSSCⅡテンダネスが、ね」
言い終えて苦いような顔をしハイファはそれでも上品にスープをすくって飲んだ。
「そのカリクっつー惑星には何人いたんだ?」
「約七億って聞いたよ。今は極寒の氷河期じゃないかな」
「ふうん。住民の避難は……叶わなかったんだな、その顔じゃ」
「ん。でもテンダネスが決めたってことは超機密事項、あくまで練習艦隊が小惑星激突を回避させんとした挙げ句の偶発的事故ってことになってる。練習艦隊の乗組員や艦長でさえテンダネスがトロッコ問題にケリをつけたことは知らない筈だよ」
「なるほどなあ。冷酷ではあっても、人間が決められない何かをコンに委ねるってのは、仕方がないことなのかも知れねぇな」
「仕方がないでは七億の人々はうかばれないだろうけどね」
薄い肩を竦めた相棒にシドは素直な疑問を呈する。
「けど自然に任せたって人は死んだ訳だろ。だったら人智で作り上げたコンピュータを使うってのは、ある意味、人間らしく抵抗したってことになるんじゃねぇか?」
「うん、とっても人間らしいよね。今のテラ連邦では、よその星でも取れる麦よりレアメタルの方が貴重って主張に対して僕は確かに反論できないもん。けれど麦を作る人々よりレアメタルが大事かどうかなら、ひとことくらい言いたい気がするよ」
「そいつは俺も同意見だ。なら何が正解かは……俺より賢いコンが決めたか」
「まあ、そんなトロッコ問題のレール上に自分が立ち尽くすハメに陥らないことを願うばかりだよ」
食事を終えると喫煙コーナーを見つけ、シドは自分に最低限必要な呼吸分の空気以外をも汚す代償に環境税の五十クレジットを支払って、一本の煙草をフィルタぎりぎりまで吸った。
ニコチン・タールが無害なものに置き換えられて久しいが、依存性だけは残した企業戦略に嵌った哀れな中毒患者をハイファは笑って見守る。
客室のシートに戻るとワープラグ、時差ぼけを考えて一枚の毛布を二人で被った。手を握り合ってとろとろと眠り過ごし、到着十五分前のアナウンスで目を覚ます。
寝惚け目を擦りつつ艦内の電波を拾い、惑星フィカルの首都プラトロ時間をテラ標準時と並べてリモータに表示した。
「フィカルの自転周期は二十六時間三十二分七秒か、少し長いな」
「まあ、どうせ滞在も一日くらいだし」
宙賊にも遭わず航行は無事に終了し星系政府首都プラトロの第一宙港に接地する。
旅客艦を降りるとそこは朝だった。宙港面を這う薄もやの中、リムジンコイルでメインビルまで運ばれて通関をクリアする。宙港メインビルは三十階建てくらいと、あまり高くはなかったが、リラクゼーションルームなども完備された新しく綺麗なものだった。
自由を得た二人はそのままビルの屋上にエレベーターで上がる。
メインビル屋上は風よけに高さ三メートルくらいの透明樹脂の壁が巡らされていた。それを通して辺りを二人は見渡す。周囲の様子を知るにはこれが一番手っ取り早いのだ。
首都とはいえここは郊外らしく近くに大きな湖と白い霧のかかった森、遠くには雪を被った山々が望めた。反対方向を眺めれば幾つかの高層ビルが立つ都市がある。
「あの端の山、あれがレアメタル鉱山のひとつだね」
言われてみれば、山肌が赤茶色で土が剥き出しになっていた。
「急成長でもまだ途中段階ってとこかな。前に来たときはあんなビルもなかったよ」
「へえ。……現在時、六時半か。どうせニック=ハリスンの身柄を取ったら速攻で後戻りだ。今日は下調べだけしておこうぜ」
「そうだね。連行してから一泊は面倒だし」
一日分のワープをこなしてしまったので、今日は何処かホテルにでも投宿せねばならない。エレベーターで再び降りると一階のロビーフロアで観光案内端末に向かう。ここでもハイファの裏技、宙港利用者リストのハックに取り掛かった。
「ニック=ハリスン、一昨日に帰星してるよ。そのあとは何処にも出星してない」
「社長様は寄り道もせずご帰還か」
「じゃあ、あとは市内のニックの家と会社だね」
「まだ時間も早いし、確認だけな」
地図をリモータにダウンロードし、ビルのエントランスから外に出る。
出た所はちょっとした公園になっていた。シドは何となく緑滴る木々に囲まれた小さな丘を登ってみる。そこには石碑が建っていた。
「なになに、『我らが生は其の尊き犠牲の上に在り 永遠に忘れじと我らは繁栄を以て報いん』か。これってもしかして例の『ドーン!』か?」
「みたいだね。第四惑星カリクへの鎮魂碑かあ」
「七億人分の魂の象徴がこの石板一枚か……」
丘を降りると宙港メインビルの脇に何台も停まっている無人コイルタクシーの一台に乗り込んだ。市街地のニック=ハリスンが構える会社を座標指定する。
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