第16話

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第16話

「あのう……ローター=カルナップ食品衛生学博士の部屋ですよね、ここって」  口火を切ったハイファの勇気をシドは心の中で賞賛した。 「博士? 食品衛生学? ああん? ここはムスタファ=ランダウ艦長の愛猫、ローター=カルナップの特別室だが。ああ、舌は肥えてるから傷んだモノは絶対食わねぇネコだ。このユキカゼ内で一番の食品衛生学の権威かも知れねぇな。わっはっは」  男は三毛猫の食べ残しを持って去っていった。静けさの中、三毛猫は部屋の隅のネコ砂まで歩いていってザリザリと砂を掻いて座った。用を足すと砂を掻いてザリザリ埋める。 「躾けの行き届いた博士だな、おい」 「絶対おかしい! 別室戦術コン、壊れてるよ!」 「だからイカレポンチだって……もういい。無事に帰れれば、な」  再び膝に居座った三色の毛並みを撫でつつ、シドは酷く疲れを感じて肩を落とした。ハイファはリモータでダイレクトワープ通信を試みている。 「あ、艦の持つレピータで繋がった!」 「別室長の野郎に首洗って待ってろって伝えとけよ」  実際には現状況とコンの不調を伝えただけでハイファは通信を切った。 「腹、減らねぇか?」 「そういや、お昼食べてなかったっけ。食堂まだやってればいいけど」 「きっとメニューはカルナップ博士が昨日決めたヤツなんだろうな」  丸くなった三毛猫をそっとベッドに移動させて、シドはハイファと一緒に狭い通路に出た。案内図通りに食堂に向かう。艦の規模にしては小さめの食堂にはまだ人がいた。  一斉に押し寄せないよう交代制なのか、他にも食堂が何ヶ所かあるのかも知れないとシドは思う。それとも士官専用食堂が別にあるというパターンかも知れない。  別に士官と言ってもそれこそ似非士官なので場所にはこだわらない。ただ食えればいいのでトレイを手にすると、カウンターの中から手渡されるプレートを歩きながら次々と受け取ってゆく。パンかライスかは選べるようになっていた。  テーブルに着いた二人は横並びで食べ始める。 「舌の肥えた博士が決めた料理だけあってオートクッカーにしてはまともな味かも」 「けどさ、ネコのおさがりみたいで複雑だよな」 「不味くなければいいじゃない。過去の貴方より余程マシな食事……っと、失礼」  あとからきて隣席に腰掛けたマッチョな男と肘がぶつかったのだ。ハイファはさらりと流したが悪意を感じずにはいられなかった。狭くても席はまだまだ空いている。  ちょっとした緊張感の中で二人は食事を終えた。そして立ち上がりかけたときだった、隣のマッチョがいきなりハイファの金髪のしっぽを掴んだのは。 「中央情報局派遣のお綺麗な新入り二人、まずはお嬢さんにご挨拶だ」  更に掴まれた腕を引かれて接触寸前となった唇同士はニアミスする。ポーカーフェイスのままガチギレしたシドがマッチョの後頭部に蹴りを入れたのだ。マッチョは自分のトレイ上のプレートに顔面を突っ込むようにぶつける。 「きっ、貴様ーっ!」  付け合わせのスパゲッティの切れ端を顔に付けたマッチョが吠え、椅子を蹴って掴みかかってきた。いち早く避けたハイファが止める間もなくシドはマッチョの懐に飛び込む。  制服の胸ぐらと右腕とを取って身を返し、腰に相手の体重を載せると背負い投げて床に叩きつけた。ついでとばかりに仰向けのマッチョの胸をゲシゲシ蹴る。  そこまでやってもシドは自分の制服にケチャップの染み一滴付けず綺麗なままだ。 「ふん、この程度かよ」  当然食堂内はざわつきだし、黒いタイの人々は焦げ茶のタイを締めた二人を遠巻きかつ冷ややかに眺めている。闖入者とはいえ起こしたくて起こした訳でもない騒ぎ、長居は無用とばかりにトレイを返却してオートドアから出ようとした時、ハイファが叫んだ。 「シドっ!」  起き上がったマッチョはタフネス、その構えた銃から発射された硬化プラ弾がシドの右頬を擦過する。だがコンマ数秒遅れて振り向きざまシドとハイファが放ったフレシェット弾と九ミリパラベラムはマッチョの銃機関部を撃ち抜いて粉砕していた。 「チクショウ、案外いい腕してやがるぜ」  血の流れ出した頬の傷よりも至近距離で発射され、衝撃波による脳震盪のダメージが大きい。眩暈に頭を振ったシドの肩をハイファが支える。 「血が止まんない……医務室、何処だろ?」  ハイファは焦り、シドの頬に口をつけると舐めた。ざわめきが更に大きくなる。  そこにマッチョが歩み寄ってきて緊張したのも束の間、白い歯を見せて二人の背をバシバシと叩いた。笑顔にはもう敵意も嫌味なからかいも混じってはいない。 「いやあ、やられたぜ。俺はイリアス、三等宙尉だ。宜しくな。医務室はこっちだ」 「あ、どうも……ハイファスと、こっちがシド。二等宙尉です」  階段を降りて艦橋(ブリッジ)に近い医務室に案内される。入ってみるとそこは軍艦という性質上かなり設備が充実していた。  通常のデフコン時の当番らしき医務官の前で丸椅子に座らされたシドは痕が残らないよう再生液で傷を洗い流され、滅菌ジェルをかけられ合成蛋白スプレーを吹きつけられ、人工皮膚テープを貼り付けられる。  その間、イリアスはハイファを相手に喋りまくっていた。 「こう見えても俺はこのユキカゼの中枢、ブリッジ勤務なんだぜ。火器担当オフィサの補佐だけどな。俺が撃てばレーザーもビームも百発百中よ――」  本気で狙っておいて調子のいい野郎だ、単なるトリガーハッピーじゃないのかと、聞いていたシドは思ったがそれには触れず、イリアスの巨体を見上げる。 「あんたも俺たちも発砲で何かペナルティがあるんじゃねぇのか?」  宙艦の外殻は意外に薄い。金属を透過する際に宇宙線が変容して人体に影響を与えるのをなるべく抑えるためだ。そんな環境で発砲など通常なら言語道断なのである。 「そいつは艦長のご機嫌次第だな。終わったなら案内するぜ」  今晩のワープを控え、キッチリ人工皮膚を貼られた右頬を僅かに歪めながら、シドは医務官に礼を言って立ち上がった。どんな裁断が下されるにしろ、ついでにブリッジ見学もできる、そのくらいの気分だった。始末書程度なら慣れている。  ブリッジのリモータチェッカも別室カスタムメイドリモータでフリーパスだった。  入ってすぐの左右にスロープがあり左側を三人並んで降りる。まず目についたのは前面の大スクリーンが三つだ。その下には普通サイズのモニタが並び、様々な表示が瞬き輝くグラスコクピットとなったコンソールに人員がそれぞれ就いていた。  あとはチェアに囲まれ3Dタクティカルボードがブリッジ中央に据えられている。  そのチェアのひとつに中年を少し過ぎた男が座っていた。紙コップのコーヒーと葉巻とを交互に口に運んでいるこの男が艦長らしい。誰よりも偉そうな金の飾緒を肩から下げ、制帽にも金ピカの飾りが張り付いているので判る。  その艦長の前にイリアスが巨体を正対させた。シドとハイファも倣う。数秒がそのまま経過した。誰も何も言わないので仕方なく階級的先任者のハイファが口を開く。 「本日着任致しました、ハイファス=ファサルート二尉とシド=ワカミヤ二尉です。先程食堂でイリアス三尉を含めた三名全員が発砲したことをご報告致します」  艦長はシドとハイファの顔を見つめ、焦げ茶のタイを眺めた。 「ふうむ。わたしはムスタファ=ランダウ一等宙佐だ。エア洩れや減圧の報告もコーションも感知していない。そちらのワカミヤ二尉は代償も払ったようだ。彼の負傷に免じて中央情報局員を罰する栄誉は今後の誰かに譲るとしよう。――以上だ」  呆気ないほど簡単に無罪放免となり、やることもないのでシドとハイファは艦長の了解を貰って、イリアスを案内人にブリッジ見学をすることにした。  ブリッジには十五名くらいの人員が詰めていた。指示を下す情報担当幕僚幹部や実際に機器の操作及びモニタをする情報担当オフィサ、火器担当幕僚幹部と火器担当オフィサの他、航法担当幹部らの仕事を邪魔にならぬよう、端から順に見てゆく。  それぞれの椅子の背から覗き込むように仕事ぶりを眺めたが、通常航行の現在は誰もがシステムをモニタしているだけで、静かなものだった。  だがブリッジの壁にはヘルメットと生命維持装置付き船外服がいつでも着られるように掛けられていて、なるほど戦艦という雰囲気を醸し出している。  それらを見てしまうとヒマ、シドも納得して狭い通路を辿り自室に戻った。  テラ標準時を基準に動いている艦内は二十二時過ぎ、昼食と思ったのは夕食だったようだ。フォボス基地に着くのは明後日の夜の予定である。  夜半に一回のワープがあるので忘れないうちに二人は錠剤を飲む。そのあと狭い通路に設置された飲料ディスペンサーから、紙コップのコーヒーをハイファが手に入れてきた。シドはカルナップ博士の部屋から灰皿を盗ってきて一服だ。  一本を灰にし、空の紙コップを捻ってダストボックスに放り込んだシドは執銃を解く。ダブルの上着のボタンに手を掛けた。 「先、リフレッシャ使うぞ」
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