第2話(プロローグ2)

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第2話(プロローグ2)

 男とドクは男の部屋で飲んでいた。  何の変哲もないマンションのリビングだが、生活空間にはそぐわない大型の3Dホロディスプレイが中空に浮かんでいる。  文字や記号の羅列を映し出しているこれはドクが持ち込んだもので、ライトグリーンに輝く文字や記号の意味など男には殆ど分からない。  分からないが感慨深く眺めながら、男はドクのグラスに琥珀色の液体を注ぎ足した。 「四年も待った甲斐があった。ドク、あんたのお蔭だ」 「ご両親と妹さんの仇討ちはこれで上手くいくよ」 「俺の家族だけじゃない、死んでいった七億もの人々への手向けだ」 「うん。これを見ても分かるまいがプログラムは予定通り機能している。彼女は明日の正午には密かに第二プログラムを起動してカリクの弔いを始めるからね」  ホロディスプレイ前の椅子に腰掛け、ロックグラスを揺らすドクも満足げだ。 「きみと出会って話を持ちかけられたときは、とんでもないと思ったものだが……思い切って始めてみたら、これほど面白いチャレンジはなかったよ。誰にも悟られないよう少しずつプログラムに手を入れていく快感ったら、なかったね」  ソファで男もグラスを傾ける。中身はこの時のために買った上物ウィスキーだ。 「ドク、カリクを殺したのがSSCⅡというのもあんたから聞けた。そのあんたがSSCⅡに近づき弄れる立場と知った時は、神とは何とシニカルな奴なんだと驚いた。あの時、俺は確かにその存在を感じたよ。あんたに出会えたのは天の配剤だった」 「そういや初めて会ったのは合法ドラッグ屋だったかな」  テラ連邦の最高機密に関わっているドクには常に護衛がついている。その護衛の目を眩ませ興味本位で入った合法ドラッグ店でドクはバッドトリップし、仕事でテラ本星にやってきていた男に介抱されたのだ。それが二人の運命的出会いだった。  あれから四年、男はテラ本星に部屋まで借りていた。そして今日もこうしてドクは護衛を撒いて男の部屋で飲んでいる。記念すべき日は共に過ごそうとドクの提案でもあった。 「彼女はテラ連邦加盟星系の、どんな小さなコンピュータにも繋がっている。貪欲に情報を飲み込み続けている。何もかも全ては『巨大テラ連邦の利のために』ね」 「お蔭で俺の故郷の星は滅亡した。『巨大テラ連邦の利のために』な。ドク、あんたの言う通りにテラは穀物倉庫よりもレアメタルを取ったんだ。今度はその彼女にテラ連邦を裏切らせる。どんな結果が出るのか本当に愉しみでならないよ」  言われてふいにドクは微笑みを消し、ロックグラスをコンソールの端に置いた。 「そう、どんなに小さなコンにも繋がっている。それこそリンクにリンクを重ねてスーパーマーケットのレジ端末から水道局の監視システムまでね。複数星系に渡って同時にそれがバグったらどうなるか予想もつかない。ジェノサイドが起こるかもな」 「それをこそ俺は望んだ。あんたもそうだったんじゃないのか、ドク?」 「もしかしたら犠牲者は七億どころではない、数千億かも知れない」 「だからってもう仕込みは済んでしまったんだ。あとは第二起動を待つだけだ」 「いや……これを見てくれ」  ドクは左手首に嵌めたリモータを操作した。  リモータは現代の高度文明圏に暮らす者ならば必要不可欠の機器だ。携帯コンでありマルチコミュニケータである。現金を持たない現代人の財布でもあった。上流階級者はこれに装飾を施したり、護身用麻痺(スタン)レーザーを搭載していたりする。  選ばれた人間であるドクのリモータもスタンレーザー搭載型だった。  リモータの外部メモリセクタからドクは小さな記憶媒体のMB――メディアブロック――を取り出すと、その五ミリ角のキューブを端末に入れて起動した。  ホロディスプレイに浮かんだのは文字列がふたつ。男は目を瞠った。 「ドク……これは何なんだ?」 「これは第二プログラムの起動を解除するためのプログラム、その始動キィだよ。いわばパッチプログラムのようなものだ。これをSSCⅡテンダネスのOSに組み込んでやると現在進行中の破滅へのプロローグである第一プログラムが停止する」 「そんなことをしたら第二プログラムも起動しないんじゃ……?」 「ああ、その通りだね」  思ってもみなかったドクの言葉に男は気持ちの整理もつかないまま訊いた。 「ドク。何故、こんなものを作った?」  語尾を震わせた男に対し、ドクは宥めるような笑顔を作る。 「言っただろう、犠牲者は計り知れないって。きみと出会って計画を練り実行してゆくのは非常に愉しかった。第一プログラムを走らせる瞬間なんて、エクスタシーすら感じたよ。でもね、密かに愉しむだけで済ませるのと愉快犯として天文学的数字の犠牲者を出すこととは分けて考えなきゃ。実際にRUNさせるのは第一だけで充分だろう? 愉しかったよ」 「愉しかったって、あんたはもう終わった気でいるのか?」  まだ信じられない、信じたくない男はドクの答えを聞きたくなくなど、なかった。だがドクは穏やかに宥める口調で残酷極まりない科白を口にする。 「まあ、そういうことかな。僕は充分愉しんだし、きみだって亡くなったご家族の復讐を果たしたんだよ、第一プログラムを僕に起動させることで。違うかい? いつだってテラに復讐できると分かった、首筋にナイフの刃を突き付けた。それでいいじゃないか」  宥めるドクに対して男は呆然とその滑らかに動く唇を見ていた。 「……復讐は、まだ、終わっていない」 「終わらせるんだよ、いい加減に。分別ある大人だろう? 僕は彼女の恐ろしさを知り尽くしている。きみの復讐の道具に使うにはちょっとばかり重すぎるんだ。僕にとっても同じさ。たかが遊びでジェノサイダーになりたくないんでね。きみが何と言おうと僕は明日の正午前にこのキィコードを彼女に入力するつもりだ」 「『たかが遊び』だと? 今更裏切る気か、ドク!?」  詰め寄られてもドクは落ち着いていた。目的を同じくした同志というよりも、ドクにとって男は数少ない大切な友人だったからだ。 「裏切っちゃいないよ。僕はきみの気が晴れるよう最大限の協力をした。愉しませて貰いながらね。お互い様だ。だがこれ以上は『愉しいお遊び』じゃなくなる。僕は犯罪者になりたくないし、きみだって人間たる自身を裏切りたくはないだろう?」 「そんなことは訊いてない! 遊び……そうか、あんたには遊びだったのか……」 「何も言わずにこれをテンダネスに入力することもできたんだよ、僕は」  一人で抱いたまま実行しなかったのはドラッグでバッドトリップした自分を介抱してくれた男との友情が、この先も続くと思っていたドクの甘さだったのだろうか。  それともドラッグの酔いに任せて一般人に最高機密を洩らしてしまった、ドクのテラ連邦関係者としての良心だったのか。  何れにせよ『面白おかしく、そして愉しく』ドクが細工したSSCⅡテンダネスのプログラムは本格的に狂ったアクションを起こすための秒読み段階に入っている。  それなのにドク自身が明日の正午前に『遊びの時間は終わり』とばかりに、最初から何事もなかったことにするためのプログラム補正プログラムの始動キィを流すという。  怒りを見せた男だったが見せているより男は激怒していた。やっとここまできたのだ。なのにドクの裏切りは四年前からの男の悲願をこなごなに打ち砕くものだった。  あくまで穏やかに宥めようとするドクと激昂した男の言い争いは続いた。  そしてとうとう男が衝動的に立ち上がり、手にしたままだった上物ウィスキーが僅かに残っていた分厚いロックグラスを振りかぶった時も、ドクは平然と椅子に腰掛けていた。  四年間で培われた友情がドクに回避行動をとらせなかったのだ。  ロックグラスはドクの側頭部に叩きつけられて砕け散った。グラスを頭蓋に半ばめり込ませたドクは反射的にリモータ搭載のスタンレーザーを男に向けて射つ。  そう広くもない部屋で向かい合い飲んでいたのだ。男はまともにスタンを食らって頽れた。全身が痺れて動けない。ドクの割れた頭蓋にめり込んだグラス。どれも真っ赤に染まっているのに血は溢れて止まらなかった。目を逸らそうにも眼球すら動かせない。  それから三時間も経っただろうか。男は痺れの残った躰で這い寄りドクを揺さぶった。こんなことまでするつもりはなかった。もっと話し合えば分かって貰えたかも知れないのだ。  痺れが治まるにつれて砕けたグラスで傷つけた自らの右手も痛み始めていた。その右手で端末の外部メモリセクタに入ったMBを取り出して自分のリモータに収める。絶対に誰にも洩らせないキィコードだ。処遇はあとで考える。今の問題はドクだ。  まさかここで自分が殺人を犯してしまうとは思いも寄らなかった。どうする……逃げるしかないだろう。捕まってドクとの関係を追求されれば、計画が洩れないとも限らない。  マンションの部屋を出る間際にドクを振り返った。 「人間たる自分を裏切る? 俺は人間じゃない、四年前から鬼になったんだ」  胸にあいた空洞を、流れる涙を、男は振り切るようにマンションをあとにした。 ◇◇◇◇  翌日の正午、テラ連邦軍中央情報局の地下十階で、特殊戦略コンピュータ・SSCⅡテンダネスは一瞬だけそれをメインディスプレイに瞬かせた。 【program CARIC: activate】  誰もそれに気付かぬまま、表示は消えた。
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