第5話

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第5話

 やや厭世的になっていると、ハイファがシドを覗き込んだ。 「ここがゴールじゃないよね?」 「久しぶりに住宅街でも回るか」  煙草を吸い終え灰皿に捨てると再始動だ。ファイバの小径を戻り、噴水の脇を通って公園の裏に出る。そこはコイルの駐車場で、その向こうがマンション地区になっていた。  コイルを縫って歩き、マンション群のふもとに出た。せいぜい二、三十階建てのマンションにはそれぞれ一階に店舗がテナントとして入っている。  スーパーマーケットやブティックに雑貨屋、小規模な医院などと多彩で、マンションの住人は近所で必要なものを全て揃えられるという寸法だ。  小都市の如き高層住宅街を歩いているうちに、主夫ハイファはスーパーマーケットの軒先で野菜を検分し始める。料理を知らないシドは欠伸をしながら様子を眺めた。 「おい、署に持って帰れる訳じゃねぇんだからさ」 「うーん、惜しいなあ。こんなに新鮮で安いのに」 「晩メシ、野菜より肉、食いたい」 「貴方はいっつもそればっかり。大きくなれないよ」 「二十三ともなれば成長期は過ぎた。大きくなるのは一ヶ所だけだ」  まだ未練がましい目をしているハイファを引き剥がして先に進む。この辺りに住んでいるのは殆どここセントラルエリアに職を持つ者で所帯持ちが多い。学齢前の子供たちが遊んでいるのを避けて迂回し、一棟一棟のマンションの間を歩いてゆく。  この分だったら幾らイヴェントストライカであれど、事件には遭遇しないだろうというハイファの予想は、シドの鼻先十五センチを掠めて上空から降ってきたサボテンの植木鉢と共に一瞬でこなごなに打ち砕かれた。 「うわっ、殺す気かよ、馬鹿野郎!」  喚いた途端、マンションの遥か上階から声が降ってくる。 「すみませーん、大丈夫でしたかー?」  何とも暢気だったが声は張りがあって若い。遠目に見えるのは髪の長い女性だ。  シドが瞬時に訪問を決めたのがハイファにも分かった。 「現金なんだから、もう!」 「ちっ、違うって。普通に説諭するだけだってばよ」 「違うって何がどう違うのサ? 何にも言ってないのに」 「共有ドライヴに流れ込んでくるんだよ、面白くねぇって」 「面白い訳ないでしょ、とっくに公認されてる僕との仲をあんなに否定して!」  シドは職場でハイファとの仲を否定するに留まらず、オートスロープでミニスカートのご婦人の下方に位置すると挙動不審になり、白いブラウスの女性を透視する勢いでガン見し、肩紐を直す仕草が大好きという健全(?)な成人男子で、それがハイファには当然ながら気に食わない。  刑事なのだから、おそらくその他一般人も不満に思うだろう。  二十階の植木鉢女の部屋で一度は固辞した紅茶を頂きながら、ハイファは女性のTシャツを大胆に持ち上げる胸ばかりに目が吸い寄せられているシドの腕を密かにつねった。だが表面上ハイファは微笑み仮面、シドはポーカーフェイスである。  熱い紅茶を一気飲みしてしまうと用はナシ、形ばかりの説諭を十秒で終えたシドを蹴飛ばさんばかりにハイファは急き立てた。女性は迷惑防止条例違反で後日出頭だ。  オートドアを出るとムッとしたハイファは先に立って階段を降り始めた。 「ンなに、怒るなよ」 「怒ってません」 「お前だけだって、いつも言ってるだろ」 「行動が伴わない人の言い訳なんか聞きたくありません」 「いいから聞けって……ちょっとこっちにこい!」  夕食が肉どころか苦手な野菜サラダのみになりかねない危機を察し、シドは階段の踊り場から人影のない通路へとソフトスーツの腕を引っ張ってゆく。  歩を止めると辺りに人影がないのを確認してハイファの細い腰に腕を回した。明るい金髪の後頭部に手をやり引き寄せて唇を塞ぐ。 「あっ、こんな所で……ン、んんっ……ぅんん!」  熱い舌で歯列を割りハイファの口内を舐め回した。激しく舌を絡ませ吸い上げる。 「んん、ぅうんっ……ちょ、あっ! わあ~っ!」  一歩、二歩と後退したハイファは一枚のオートドアに背を押し付けられたかと思うと、そのまま仰向けに倒れかかった。キィロックも掛かっていなかったそれがサッと開いたのだ。二人してその部屋の玄関にもつれ合いながら転がり込むハメになる。 「すみません!」 「失礼しました!」  見えない住人に謝りながらハイファはシドの手を借りて慌てて立ち上がり、当然ながら部屋を出ようとする。それをふいにシドが止めた。黙ったままハンドサインで意思を伝えるシドの雰囲気に気付いたハイファも瞬時に心を引き締める。  そっとシドがオートドアの端を指差した。茶色いそれは血痕だった。血のついた手で触ったらしく、乾いたそれは指紋もくっきりとしている。  荒らす訳にはいかない、二人は靴を脱いで静かに上がった。  廊下の右側のドアは開けず、取り敢えず先に進む。左側はドアのないリビングとキッチンだった。リビング側には大きな3Dホロディスプレイが宙に浮いている。ディスプレイは文字や記号を羅列して輝いており、天井のライトパネルも煌々と点いたままだった。  窓の遮光ブラインドが閉められた室内は空調も効いている。  椅子から転げ落ちて息絶えている小柄な男の死体の保存状態も悪くなかった。 「わあ、やっちゃった、とうとう殺しにストライク……」 「五月蠅い、ハイファ。リモータ発振」 「アイ・サー」  その間にシドはキッチンや廊下の右側ドアの内部にあった寝室、バスルームまで見て回ったが、これといって見ものはなかった。マル被も隠れておらず、他にマル害もいないのを確認して戻り、頭蓋の陥没した死体に触れず検分する。  死体の男は伸びた金髪を無造作に後ろで縛っていた。見開かれた水色の目は混濁している。凶器は分厚い作りのロックグラスで頭に叩きつけられて割れていた。 「ホシも怪我してる可能性大だな」 「ドアノブも、この破片にも血がべっとり……故殺っぽいね」  故殺とは計画的でない衝動殺人のことである。  そこらを触る訳にいかない。もう一度シドはハイファと共に室内を一巡りした以外は何もせず、玄関でポケットに手を突っ込み、緊急機が着くのを待った。  まもなく十八階の部屋には本日の在署番の長であるケヴィン警部を始め、広域惑星警察大学校・通称ポリスアカデミーでのシドの先輩であるマイヤー警部補や、後輩のヤマサキたち六名の機捜課員が現着した。  あとから鑑識班が押し寄せ、更にあとから殺しや強盗(タタキ)の専門課である捜査一課の人間も加わって狭い室内は大変な騒ぎとなる。  鑑識班が配る白手袋をし白い不織布の袋を靴の上から履いてシドとハイファも捜査に加わった。どうやってここを探り当てたのかは勿論、内緒だ。  紺の上下に帽子を被った馴染みの女性鑑識員にシドが訊いた。 「手口その他、どうだ?」 「一撃で致命傷。でも発見が早ければ脳にメカ入れて再生可能だったかも知れない」 「死亡推定時刻は?」 「解剖しないと分からないけれど硬直のとけ具合・角膜の混濁から一日半から二日」  他の鑑識員は床を這いずり回って遺留品探しだ。  寝室を覗いていたマイヤー警部補がリビングに戻ってくる。 「クローゼットに衣服が揃ったままですが、マル害のものにしては大きすぎますね」 「ならここはマル被の部屋ですかね?」 「その可能性は高いでしょう。マル害が客として訪問したのならフリーの訪問販売などではなく顔見知りの犯行の線が濃厚、ウィスキーを酌み交わすほどですから。今、管理会社と連絡をとってますから何れにせよじきに分かると思います」  鑑識の了解を取りシドがマル害のリモータを弄る。IDはすぐに知れた。 「テラ本星人、リチャード=ターナーか。テラ標準歴で三十四歳」  住所は何とシドたちの自室のある単身者用官舎ビルだった。職業は未だ不明だが、身分は公務員か、それに準じたものであることには間違いない。 「マル害のヤサ、ガサ入れるぞ。機捜はどうする?」  捜一の人員にシドとハイファが応えた。捜一だけに情報を独占させる訳にはいかない。エレベーターを降り、捜一四名と共に緊急機に乗り込んだ。  テイクオフするなり捜一の主任であるグレン警部が愚痴る。 「こっちはあんたが先々週持ってきた銃撃戦と街金強盗の裏取りでお手上げ。トドメが殺しで帳場まで立ててくれるとはさすがはイヴェントストライカ、やってくれる」  帳場とは重大案件が起こり犯人が捕まっていない時に立てられる捜査本部のことだった。現場を管轄する署に通常は立てられる。ひとたびこれが立つと組み込まれた捜査員は文字通り寝食を忘れさせられて、昼夜関係なくホシを追うハメになるのだ。  だがボヤかれてもシドにはどうしようもない。与り知らぬ体質を呪うのみだ。
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