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 プリンがいくら美味しかったとしても想像するだけでは腹は膨れない。まずはリアルで食べ物をゲットしないと。 「なにか持ってたっけ? カバンカバン……」  キョロキョロと見回してみるが、見つからない。ベッドから降りてカバンを探そうとしてそのままベッドからずり落ちてしまった。立ち上がろうとしても立ち上がれない、なぜか足に力が入らなかったのだ。生まれたての仔鹿のように足が小刻みに震えている。確認のように自身を見下ろして、自分のものではない服を着ていることに初めて気がついた。いつもはパーカーにジーンズとラフな格好だが、今はもこもこふわふわの部屋着のようなものを着ていた。 「あれ? こんな服持ってたっけ? 足もこんなになってるのなんで?」  とりあえずなんでも口に出してしまうのは、咲が特別と言うよりひとり暮らしのあるある(・・・・)ではないだろうか。口に出してみたものの答えを期待しているわけではなく、言ってみただけなのだ。要するに普段通り、こういう普通じゃない状況においても咲はマイペースなのだ。 「あ! そう言えばアニキ(・・・)からお煎餅もらったのそのまま入れっぱなしだった気がする……? やた! お煎餅ならお腹膨らむはず!」  もらった煎餅が自分のカバンに入れたままになっていたことを思い出し、しょうゆの香ばしい味を思い出すと共に口の中にじゅわっと唾液が広がった。頭の中が煎餅のことでいっぱいになった咲は、さっきのことを忘れて立ちあがろうとして再びぺたんと床に座った。だがそのくらいでへこたれる咲ではない。立てないのなら這えばいい。とにかく煎餅の確保だ!  咲が四つん這いになったところで、ドアがノックもなしに開かれた。一瞬なにか食べ物を持ってきてくれたのかと期待したが、無言で入ってきた男が持つお盆には、薬らしきものと水の入ったコップが載せられていただけだった。 「──あ、こんにちは」  がっかりはしたものの男と目が合い咲は思わず挨拶をしたが、男の方は応えずにただ眉間に皺を寄せるだけだった。 「あの、僕お腹空いちゃって──」  ダメ元でなにか食べる物が欲しいと言おうとして、途中でギロリと睨まれ咲は黙った。男からお盆の上の水と薬を押し付けられ、これじゃお腹は膨れないなぁと思いつつ後でお煎餅食べればいいや、とそれを素直に受け取りごくりと飲み下した。 「飲んだよ」  証明とばかりにべーっと舌を出して見せる。 「──お前、自分の今置かれてる状況が分かってないのか?」  呆れを含んだ男の声に、キョトンとなった。飲めと言ったのは男で、咲は言われた通りにしただけだった。それなのに非難されるのはおかしな話だと思った。  それに、男の言う置かれてる状況というのが『普通じゃない』ということを指すのなら答えは『分かっている』になるが、置かれている状況の内容は分からない。そもそも目が覚めたらここにいたわけだから知るはずもなかった。  咲の様子に男は盛大にため息を吐き、「今飲んだのはただの解熱剤だ」と吐き捨てるように言った。そう言えば少し熱っぽいかも、と言われなければ気づかないレベルのものだった。薬をくれたことは素直に感謝したいが、咲は少しだけ唇を尖らせた。男の態度が咲をバカにしてるように見えたからだ。とは言え文句を言ってみても意味がないことを知っていたし、これまでも大抵のことは笑ってすませてきた。だから咲は条件反射のようにへらりと笑った。
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