1話 結婚して1年目

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1話 結婚して1年目

(なんて、キレイな人だろう――まるで異国のお人形さんみたいだ)  9歳のテオドールが、ぽっと頬を染めて見つめる先には、さらさらと流れる音がしそうな、美しい黒髪の少女が頭を下げていた。  薄紫色の清楚なワンピースが、ほっそりとした体形によく似合っている。 「初めまして、スミレ・三条と申します。どうぞよろしくお願いします」    異国情緒を感じたのが、あながち間違いではなかったと分かる。  この国の言葉を話しているが、どこか柔らかい訛りがあった。   「テオ、ちゃんと挨拶をしろ。これから、お前の義姉になるのだぞ」  金髪の頭をぐしゃりと撫でられ、テオドールは年の離れた兄ジークフリートから注意を受ける。  いつまでもスミレに見惚れて、棒立ちのまま固まってしまっていた。  テオドールは慌てて頭を下げる。 「ご、ごめんなさい、お義姉さんって、どういうこと?」 「スミレはもうすぐ、俺の妻になる」 「え!? 結婚できる歳なの!?」  スミレの顔を二度見して、目を大きく開いたテオドールに、あはは、とジークフリートが声をあげて笑った。  ジークフリートは、引退した父親に代わって、商会長に就任したばかりの25歳だ。  瞳の色はテオドールと同じ青だが、髪色が濃い茶色で、細面の美青年である。  これまでに数名の恋人がいたのは知っていたが、婚約を飛ばしていきなり結婚、しかも年端もいかぬ少女が相手とあっては、テオドールが驚くのも仕方がない。 「幼く見えるだろうが、これでもスミレは21歳なんだ」  ジークフリートが、スミレの腰をぐいと抱き寄せる。  幼いテオドールには分からなかったが、それはふたりが、男女の関係にあるとほのめかしていた。  兄の強引なしぐさに嫌な顔もせず、微笑みを浮かべているスミレ。  それを見て、テオドールの胸がツキンと痛んだ。   (僕、どうしたんだろう? ふたりが仲良くするのは、いいことなのに)  自分の気持ちに説明がつかず、それでもテオドールは手を差し出した。 「僕はテオドール・カスターです。スミレさん、どうぞよろしく」 「来月から、こちらのお屋敷でお世話になります。テオドールさん、仲良くしてください」    握り返されたスミレの手の小ささに、やはりテオドールは驚く。  21歳には、とても見えない。 (こんなに小さいのに、本当に兄さんと結婚するの?)  もやもやした感情が、スミレへの淡い恋心のせいだと、テオドールは気づかない。  気づかないから、テオドールはふたりを心から祝福した。 「僕、嬉しいな。家族が増えて」 「まあ、私も嬉しいです。家族と思ってもらえて」 「スミレが俺の子を生めば、さらに家族は増える。カスナー商会も安泰だ」 「赤ちゃんが生まれたら、僕、お世話をするよ。だって、お兄さんになるんだもんね」  そう言って、瞳を輝かせるテオドールの姿に、スミレは嬉しくて涙をにじませた。  こうして温かく受け入れてもらうのは、初めてだったからだ。  ◇◆◇  ジークフリートは、貴族とも取り引きのある、大きなカスナー商会の若き商会長だ。  御曹司の頃から将来を有望視されていて、名家の令嬢たちから婚約の申し込みが、ひっきりなしに届いていたという。  それに比べてスミレは、この国に出店したばかりの、異国の小さな商会の娘である。  カスナー商会とは縁もゆかりもなく、取り引き先にすらなれないような規模だった。  そんなふたりの身分は、明らかに吊りあっていない。  その証拠に、別邸に住まうジークフリートの両親との顔合わせの場では、さんざん嫌味のこもった溜め息をつかれた。 「カスナー家の嫁には、もっと裕福な家の令嬢が相応しい」  言外に、そう伝えられたのだ。  早々にそれを理解したスミレは恐縮してしまい、俯かせた面をあげることができなかった。  ジークフリートだけが、そんなスミレの手をぎゅっと握って、勇気を与えてくれた。 「俺の妻は、スミレ以外にはいません」  きっぱりと断言して、ジークフリートの両親の反対を、押し切る形で結婚が決まったのだ。  そんな階級違いのスミレとジークフリートとの出会いは、偶然だった。  異国の品物を仕入れようと、たまたまジークフリートが視察した先に、商会の手伝いをしていたスミレも仕入れに来ていた。  この国では珍しい黒髪と黒目にジークフリートが目を留め、スミレを見初めたのだ。  上流らしい尊大な態度は少々あったが、スミレへ丁寧にアプローチをするジークフリートに、いつしかスミレも警戒を解き、心を開いていく。  周囲からは、シンデレラストーリーだと持て囃され、スミレも多少は浮ついた気分になったことを否定できない。  しかし、初めてジークフリートの屋敷を訪れた際、ひそひそと交わされた使用人たちの言葉が、スミレを我に返らせた。 「みすぼらしいお嬢さまね。この前の、化粧品会社の社長令嬢のほうが、若旦那さまにはお似合いだったわ」 「私たちにまで試供品を配ってくれて、気前が良かったわよね。どうせなら、ああいう方にお仕えしたいわ」    スミレは自分の存在が、ジークフリート以外からは、まるで歓迎されていないのを肌で感じた。  それ以降、ジークフリートの屋敷へ招かれるたび、スミレは多めの土産を持参したが、それでも使用人たちの態度は変わらない。  社長令嬢の件は、身の丈に合わぬ幸せを掴んだスミレを責めるための、単なる手段だったのだ。  肩身の狭い思いをするスミレにとって、ジークフリートの弟テオドールの歓迎ぶりは、なによりも喜ばしいものだった。  最初の味方になってくれたテオドールを、スミレは実の弟のように可愛がる。  齢が離れている兄や、仕事ばかりで疎遠な父母からの愛情に飢えていたテオドールは、新しい家族となったスミレに懐いた。  結婚後も続く使用人たちのやっかみに対して、テオドールは小さな防波堤となって、知らぬ内にスミレを護った。 「お義姉さんの名前、綺麗な響きだね。異国の言葉なの?」 「花の名前なんですよ。私の国ではよく、女の子に花の名前をつけるんです」 「どんな花なのか、見てみたいなあ」 「道端に咲く、紫色をした野花です。小さな幸せという花言葉で――」  花言葉の通りに、スミレが得たのが小さな幸せだったなら、妬みや嫉みの対象になることもなかっただろう。  しかしジークフリートは、既婚者となった今も、年頃の令嬢たちの注目の的だ。  そんな夫にエスコートをされて夜会に参加するスミレは、取り囲まれては嫌味を言われ、ひどいときにはドレスを汚された。  こうした場面に不慣れで、うまく立ち回れないスミレを、ジークフリートが気遣ってくれるのが、せめてもの救いだった。 「申し訳ありません、ジークフリートさま」 「その内に慣れる。今夜は商談相手とも話せたし、もう帰るぞ」  スミレは、ジークフリートの足手まといになりたくなくて、必死で夜会での振る舞いを覚えた。  そうして、結婚してから一年が過ぎる頃には、絡んでくる令嬢たちを上手くあしらえるようになったし、ジークフリートの商談相手との会話にもついていけるようになった。    しかし、そんなスミレへ別の問題が浮上する。 「いつになったら、孫の顔が拝めるのかしらねえ」 「もうそろそろ、一年が経っただろう」  たまに別邸から本邸にやってきては、カスナー夫妻が嫌味を言う。  早く後継者を産めと、スミレに圧力をかけてくるのだ。  赤子は授かりもの、本人たちが希望したからといって、すんなりできるものではない。  年の離れた兄弟を息子に持つカスナー夫妻に、それが分からないはずがないのに。 「まだ一年目じゃないですか。今までは新婚生活を楽しんでいたんです。後継者はこれからどんどん出来ますよ」  ジークフリートに庇われて、スミレもなんとか頷き返した。  しかし、これまでに避妊はしたことがなく、あえて二人きりの生活を楽しんでいたわけではない。  自分の体に問題があるのかもしれないと、スミレは悩み、病院へ通い始めた。  その結果、何の問題も異常もないと言われ、安心して二年目を迎えるのだった。
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