本編

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 深水駅は、私鉄としてはそれなりに有名だ。時にはイベントで古い列車が走る事もある。  その為、写真の撮影に訪れる観光客が珍しくはない。それも繰り返し訪れる人間が、少なからず存在する。 「そうか。俺は今回、二年半ぶりに来たんだ」  彫りの深い顔立ちをした青年は、薄い唇の両端を持ち上げると、瞳を輝かせた。服装こそ身軽ではあるが、身につけている小物は値の張りそうな品ばかりだ。落とし物をしないと良いなと、内心で槙永は祈った。 「少し駅の撮影をしても良いか?」 「どうぞ」  簡潔に許可を出してから、槙永は駅員室へと戻った。そして少し温くなってしまった缶コーヒーをテーブルに置く。溜息を零しそうになったが、コーヒーと共にそれを飲み込んだ。人付き合いをしたくないというのは、駅員にとっては致命的かもしれないと、槙永は思い悩む事がある。だが正直、他者が怖い。特に自分の事を知られたくない。  片手で黒髪を梳き、槙永は同色の目を、じっと缶に向ける。  それから改めて駅構内へと続く窓口から待合室を見れば、ポツリポツリと始発を待つ客達が姿を現し始めた。その多くは、深水町の人間だ。高齢者が多い。 「すみません、遅くなりました!」  勢いよく扉が開いたのは、槙永が丁度コーヒーを飲み終えた時の事だった。首だけで振り返れば、駅員専用の出入口から、本日の日勤の澤木が顔を出していた。今年で二十四歳の駅員で、槙永が眞山鉄道に就職して出来た初めての後輩だ。  時計を見れば、日勤の始業時間である五時半の一分前だった。遅刻ではないが、多くの場合、早めに出勤するのが日勤の常だ。 「おはようございます!」 「おはよう」  澤木とはもう一年ほど一緒に働いている。だいぶ会話にも慣れた。  無表情が多く、淡々としていてどこか冷たい印象を与える槙永に対しても、澤木は明るく接してくれる。少し幼く思える部分もあるが、元気な澤木との会話は、槙永にとって貴重な日常風景の一つだ。  その後は二人で仕事を分担し、無事に始発の発車時刻を迎えた。  去っていく電車をホームで見送り、細く長く吐息をし、槙永は空を見上げる。これで本日の勤務は終わりだ。  槙永が駅員室へ戻ると、澤木がテーブルに体を預けて、大きく溜息をついていた。 「朝は本当に忙しないっていうか」 「……そうだな」
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