本編

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 答えながらも、満員電車の対応に追われていた過去を思い出し、槙永は複雑な気持ちになる。本日の乗車客の数は六人しかいなかったが、それでも今日は多い方だ。 「あーあー。俺も早く、眞山の営業所に移動したいです。もうやだ、この田舎。慢性的な人手不足だし!」  澤木が疲れたような目をしてぼやいた。 「都会に行きたいです、俺!」  黙々と澤木の言葉に耳を傾けながら、槙永は泊まり勤の引き継ぎ用の資料を見る。既に起床後に作成していたので、後はサインをするだけだった。 「槙永さんは、都会から来たんですよね? 田舎過ぎて嫌になりませんか?」 「別に」  淡々と返しながら、槙永は印刷した資料にペンを走らせる。  多くの場合、深水駅の駅員は、新人の内に派遣されてきて数年業務を行った後、別の任地に移動になる。駅長の田辺をはじめ、希望してこの地に配属してもらった場合だけが例外となる。槙永は、希望して深水へとやってきた、そんな例外の一人だ。  都会から来た――と、澤木は表現したが、槙永自身は、『来た』のではなく『逃げてきた』のだと考えている。この深水が、現在の安住の地だ。もう、都会に戻る予定は無い。 「俺はずっとここにいるつもりだよ」 「それが本当に信じられません。俺なんて、実家が深水町だって伝えたら、数年働けって言われて強制的にこの駅に配属されましたよ? もう、嫌だ……俺の夢は、格好良い車掌になる事だったのに!」  駅員として勤務した後、乗務員になる事は多い。実際、澤木の夢は叶うのではないかと、槙永は考えている。項垂れている澤木を見る槙永の瞳が、心無しか優しくなった。自分と澤木は、『違うな』と思わせられる。澤木には夢がある。  退勤後、槙永は静かに帰路を歩いた。  眞山鉄道では、駅員住宅が用意されているのだが、槙永に与えられたのは一軒家だった。当初こそ驚いたが、暮らす内に、空き家が多い町なのだと知った。買い物が可能なのも、個人商店が三つきりだ。他にはインターネット等で通信販売を利用するか、休日に車で隣の町や少し遠い眞山市に出かけて買い物をするほかなく、そうしている住民が多い。飲食店は二店舗あって、一つは役場前の定食屋、もう一つは都会からセミリタイアしてきたシェフが完全予約制で経営しているという北欧料理店だ。  夏は暑く、冬は雪が深い。秋と春は一瞬で、大半が夏か冬だ。
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