本編

4/44
82人が本棚に入れています
本棚に追加
/44ページ
 細い歩道のすぐ隣には、野生の草花が生えている。右を見ても左を見ても、風景には山が入り込む。木々が色づく季節までもう少しだが、今はまだ残暑が厳しい。心地の良い朝の風が、槙永の艶やかな髪を揺らす。  駅から十五分ほど歩いて帰宅し、槙永は鍵を開けた。長閑な土地で、ほぼ全ての人が顔見知りらしい。町の人々は、別の土地から来た槙永に良くしてくれる。だが――決して深くは踏み込んでこない。ヨソモノという概念もまだ根付いているようだ。その距離感が、逆に槙永にとっては心地好かった。  靴を脱いで中へと入り、まっすぐにキッチンへと向かう。オーブントースターに食パンを放り込んでから、スクランブルエッグを作り、簡単な朝食とする。それらをリビングへと運び、行儀は悪いが、ノートパソコンを起動しながら口に運んでいく。  パソコンの画面に表示されているのは、写真サイトだ。四季折々の深水町周辺の風景や、眞山鉄道関連の写真が掲載されている。青辻泰孝という写真家の個人サイトだ。他にSNS等でも写真は閲覧出来る。有名な写真家で、国内外の風景写真を専門としている人物だと、プロフィールに書いてある。  槙永は、チラリと背後を見た。壁の前にある本棚には、青辻の写真集が全て揃っている。元々槙永は、青辻の写真に惹かれて、眞山鉄道に入社し、深水駅の勤務を希望した。 (この写真達に出会わなかったら、今の俺は無いだろうな)  内心でそんな風に考えながら、味気ないチーズトーストを噛む。  大学卒業後入社した、都会の鉄道会社にいた頃は、駅といえば最先端の設備があるという印象しかなく、同じ日本というこの国に、深水のような駅があるとは、想像すらしていなかった。自分は一生、都会で暮らしていくのだと思っていた。だが職場に性癖が露見して、生活が一変した。  槙永は、物心ついた頃から、女性に恋愛的な好意を抱いた事が一度も無かった。当初はそれをおかしいと感じていなかった。まだ恋する相手と出会っていないだけなのだろうと、漠然と考えていたからだ。しかし、高校から大学へと進学し、社会人になった頃には、自分の性的な指向を理解し、同性しか愛する事が出来ないのだと気が付いてしまった。
/44ページ

最初のコメントを投稿しよう!