本編

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 この二年の間、青辻の写真サイトに深水駅周辺の新規の写真は掲載されていないが、槙永は己の目で実際の風景を見ている。そんな日々は、槙永にとっては非常に優しい。それでもいまだ、他者に対する恐怖は癒えず、槙永の表情筋は上手く仕事をしないが、長閑な田舎の町では、あまり困る事も無い。  同僚の澤木と人間の駅長の田辺、猫の駅長のフキは、槙永が不愛想でも気にしない。少ない客達も、あまり深入りはして来ない。だから、最低限の対応でも許される。  こんな穏やかな日々が続けば良いと祈りながらシャワーを浴びた後、槙永はベッドに入った。  一日の休みを挟んで、次のシフトは日勤だった。朝五時半から夕方五時半までの勤務となる。朝焼けを見ながら駅に向かい、裏の専用出入口から駅員室へと入る。この日の宿泊勤務だった澤木は、眠そうに欠伸をしながら槙永を出迎えた。 「あ、フキに餌をあげないと!」  澤木が思い出したように声を上げた。槙永は小さく頷く。  実家で猫を飼っていた事もあり、槙永は何かと猫の駅長の世話をする事が多い。フキも駅員の中では一番、槙永に懐いている節がある。駅員室から外へと出て、槙永はフキの姿を探した。するとシャッターを切る音がした。  驚いて視線を向けると、カメラを構えている青年の姿があった。一昨日話しかけてきた青年で、自動販売機の隣に座っているフキを撮影している。 「あ、おはよう。新顔さん」 「……おはようございます」 「もう一人も随分と若い新顔さんになっていたな」  そう述べて快活に笑った青年を見ていると、フキが槙永の足元へとやってきた。 「ええと――槙永くんか」  制服の胸元の名札を確認し、青年が言った。槙永はフキを抱き上げて、その視線から逃れるように、顔を背ける。居心地が悪く感じる。自分を『個』として認識されると、他者への恐怖が甦るからだ。 「一枚撮らせてもらっても良いか?」 「フキの事なら、撮影して頂いて構いません」 「いいや。槙永くんを。俺は、男前は写真に収めておく主義なんだ」  からかわれているのだと感じ、槙永は思わず目を眇めた。だが同意するその前に、フキを抱いたままの姿を一枚撮影された。 「うん。笑うともっと魅力的になりそうだな。折角元の素材が美人さんなんだから」
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