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殿下、その態度はツンデレではありません
「ジェイド様、そろそろ休憩にしては如何ですか?」
控えめな声で少女が声をかけたのは、この国の第二王子ジェイド。
少し長い黒髪を首の後ろで束ね、理的な眼差しは手元の書類を見つめている。
「……」
少女の言葉にジェイドが反応する様子はなく、書類をめくる音が静かな部屋に大きく響く。
「あの……」
もしかしたら書類に集中していて、声が聞こえていないのかもしれない。そう思い少女はもう一度声を掛けようとした。
少女が言葉を続ける前に、はぁっと大きく溜め息を吐き、ジェイドが書類から目を上げる。
「今は忙しいんだ。見てわからない?自分のキリが良い所で休憩するから」
少女を見つめる黒い瞳は、ひんやりと冷たい。
明らかに邪魔されたことを怒っているジェイドの様子に、少女が小さく体を震わせた。
「す、すみません。もう何時間も執務室に篭っていると聞いて……」
少女は、開国祭前でジェイドが多忙なのは知っていたが、根を詰め過ぎては体を壊してしまうのではないか、そう心配したのだ。
「余計な気は使わなくていいから」
「……はい」
きっぱりと拒絶された少女は悲しそうに瞼を伏せると、「失礼いたしました」と静かに部屋から出て行った。
少女が出て行った部屋の中で、再び書類をめくる音が静かに響いていたが、しばらくすると「あ~~~っ」とジェイドが書類の上にうつ伏せになり、よく分からない声を発した。
その様子に、ずっと部屋の中に控え一部始終を見ていた側近が口を開く。
「ねぇ、いい加減にしないと、愛想尽かれるんじゃないの?」
一国の王子に対して何とも不敬な物言いだが、側近のランツには二人の時は気軽な言葉使いで良いと伝えているので問題はない。
問題はランツの発言の内容だった。
「は?愛想尽かされる!?」
「せっかく心配して訪ねて来てくれたのに、あんな態度されたら傷つくじゃない?」
先ほど意気消沈して出て行った少女はジェイドの婚約者フローラだ。
「そんな……確かに態度が固かったかもしれないが」
「いや、固かったっていうかさ……」
「だってあんな可愛い姿を直視できないだろ。目を合わせて話す時は、力を入れていないとだらしない表情になってしまいそうになるし」
ジェイドが、フローラから話しかけられてもなかなか書類から顔を上げなかったのは、まあ、そういう理由だ。
そして顔を上げる前のため息は、「よしっ、今から顔を上げるぞ!」と心を落ち着かせるための深呼吸だった。
また、表情が崩れないように力を入れた結果、冷たい眼差しになっていることに、ジェイドは気がついていない。
「あんなに可愛い子が婚約者だなんて、いまだに信じられない。本当は妖精か何かじゃないのか?って本気で思うんだけど」
伯爵令嬢のフローラ・アリソンは、淡い金髪に薄い桃色の瞳を持つ可憐な少女だ。
年頃の令息令嬢を集めて行われた王宮主催のパーティーで、はじめてフローラの姿を見たジェイドは、一目で恋に落ちてしまった。それまで婚約者は「放っておいても気にしない女なら誰でもいい」と割と最低なことを思っていたジェイドだったが、その気持ちは一瞬で消えていた。
フローラはアリソン夫妻にとても可愛がられていた。夫妻は彼女が望む相手と結婚させたいと思っていたようで、ジェイドは渋る伯爵に何度も「大切にするから」と懇願して、何とか婚約に取り付けた。
王族の婚約者として伯爵家は爵位が低いと気にする声は聞かれなかった。
王位を継ぐのは兄で、ジェイドはその補佐をすることが決まっている。そのため、婚約者の爵位にそこまで拘る必要はなかったのだ。
それに、アリソン伯爵家は分家も含め学問に通じており、王都にある王立学園の教師にもアリソン一族が排出した優秀な人材が多数いる。
『知識は国を、民を豊かにする』と、国王は学問を重きに捉え、平民の子供にも学ぶ機会が与えられるようにと、アリソン伯爵と政策を整えている最中でもある。
つまり、アリソン伯爵家は伯爵位といっても、国王から一目置かれている家紋というわけで、ジェイドとフローラの婚約が反対される理由はなかったのだ。
そういう経緯で婚約したジェイドとフローラだったが、女慣れというか恋愛慣れしていなかったジェイドの性格が災いしてしまった。
フローラを直視すれば動悸に襲われる。
頑張って直視すると、その可愛さに表情が崩れてしまいそうになるので、表情筋を引き締める結果、怒っているようなキツい表情になる。
優しい言葉をかけたいのに、想いとは反比例してぶっきらぼうな言葉が出てきてしまう。
──誰がどう見ても、婚約者に冷たく当たる最低男にしかみえなかった。
「で、でも、「冷たい男が、時々見せる甘い態度に胸がトキメクの」って侍女たちが話してるのを聞いたことがあるぞ。なんだっけ、そうだ、ツンレで属性っていうんだろう?」
だから、きっとフローラにも効果があるはずだと、そんな前向きなジェイドにランツは残念な者をみるような視線を投げてきた。
「いや……ジェイドのはツンデレじゃない。だって、デレてるのはオレの前で、フローラ嬢に対してはツンだけじゃん。嫌ってるようにしか見えないって」
ランツの言葉に、ジェイドはガーンッと頭を殴られたかの衝撃を受けた。
「そ、そんな……」
「え、気がついてなかったの?」
呆れるランツの言葉は、もはやジェイドの耳に届いていないようだった。
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