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「初めまして、ローラ女王陛下。僕はエドガーの長男で、クリスと申します」
私がクリスに初めて会ったのは、敵国の王、エドガーが、私との会談に息子のクリスを伴ってきたからだった。
エドガーが彫刻のように美しく、近づき難い雰囲気を纏っているのに対し、母親似なのかクリスは、顔立ちは整っているが柔らかな雰囲気と、魅力的な澄んだ緑の瞳を持っていた。
私は当時、亡くなった父の跡を継ぎ、女王になって一年の十九歳だった。
私には十二歳年下の弟トマスがいて、父が亡くなった後、家来たちは、トマスを王にしようとする者と、私を女王にしようとする者とに分かれた。私は望まずとも弟と争うことになったのだった。
王女だった時は従っていた者たちが、私の命を狙った。トマスはまだ幼くて何も分からない。彼らはトマスを傀儡にしたいだけだった。トマスをいいようにされてはならない。トマスを取り戻すためにも、私は自分を支持する者たちと一緒に戦うしかなかった。結果、私は勝利し、女王となった。トマスについた家来は皆殺しにされ、トマスだけは私の命令で死を免れた。まだ小さくて可愛い弟。権力とは無縁の静かな生活を送って欲しかった。けれど、そのトマスは二ヶ月後何者かによって毒殺された。
誰も信じられない。信じてはならない。
自国の混乱と、それに乗じて我が国を狙う隣国の王エドガーの存在、二つが私を悩ませていた。
なんとしても国を守らなければならない。私には過ぎた役目を担ったことで、私はいつも多忙だった。父と弟を亡くした悲しみと、女王でいる孤独には気付かぬふりをする。隙を見せないように振る舞っていたけれど、心の中は恐怖と猜疑心でいっぱいだった。でも、そんなこと誰にも悟られるわけにはいかない。もちろんエドガーの存在は疎ましい。けれど、家来が誰ひとり信じられないことの方が苦痛だった。私に心を許せる味方はいなかった。
クリスがエドガーに連れて来られたのはそんな時だった。
「陛下は趣味はあられますか? 僕は楽器を演奏するのが好きなのです」
クリスは邪気のない笑顔で話しかけてきた。エドガーが、
「そういえば、陛下はハープが得意とか。このクリスはフルートの名手でしてね。ぜひ一緒に演奏するのを聴いてみたいものですな」
と続けた。白々しいことをと思ったものの、友好関係を築くきっかけになるかもしれないと考えた私は、
「そうですね。演奏会を開くのはいかがかしら?」
と答えた。
「いいですな。秋など気候もよろしいし最適でしょう。それまでこのクリスを貴国に通わせましょう」
エドガーはその言葉の通りクリスを何度か我が国へと派遣した。クリスに我が国を探らせるためだったのかもしれない。
楽器の練習をする時だけ、私はクリスと二人きりになった。もちろん側近たちは反対したけれど、私は頑として受け入れなかった。互いの家来をだれ一人入れないほうが、より安全だと考えたからだった。
私は始めクリスを警戒した。あのエドガーの息子だ。何か企んでいるかもしれない。
「陛下、音が硬くなっておりますよ」
くすくすと笑いながらクリスに言われて、私ははっとした。
私の緊張や疑念は音に乗っていたのだ。
「音楽に罪はありません。演奏中は音楽を楽しまれてはいかがですか?」
クリスは私の目を翡翠の瞳で見つめて言った。
「僕は陛下にとっては敵国の王子。警戒するのも無理ないことです。でも僕は年の近しい陛下と仲良くなりたい、そう思っています」
クリスの笑顔には嘘がなく、その人柄が表れていた。フルートの音色にも濁りがない。伸びやかで美しい音は、クリスの心そのもので、私の警戒心を溶かしていった。
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