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「陛下のハープは繊細で美しい。けれど寂しい音がします。……僕に陛下の寂しさが癒せたらいいのに」
クリスは三度目に城に来た時、そう言った。
寂しさ。
誰にも気付かせないようにしていたのに。自分でも封印していたのに。それゆえ、冷酷な女王だと思われていた。でも、この無垢な緑の瞳は見抜いてしまったのだ。
私は父が亡くなってから初めて涙を流した。泣けなかった。父を亡くした自分。トマスと戦わなくてはならない自分。トマスを失った自分。誰も味方のいない自分。弱みを周りに見せるなんてできなかった。けれど、どんなに仮面を被ってみせても、本当は強くなんかない。悲しみを抑えて強がっていただけなのだ。
「弟君のこと、お辛かったですね、陛下。きっと僕が貴女だったら耐えられないでしょう。僕と二人の時は無理しないで。大丈夫。二人だけの秘密です」
クリスは澄んだ瞳に悲しみを宿して、私の肩をやさしく抱きしめ、涙を拭った。
私の強がりの仮面はクリスにいとも簡単に剥がされてしまった。エドガーの計略だとしたなら、それは成功したと言えるだろう。それでも私は心を開ける誰かを必要としていた。孤独に耐えられなかったのだ。
クリスは練習に来る度に美しい花を、楽しい話を私の部屋に持ち込んだ。
「陛下。陛下は鳥はお好きですか? きれいな声で鳴く鳥がいたのです。その鳥のさえずりを真似てみたんだけれどうまくいかないんです。難しいですね」
と懸命にフルートを響かせたり、
「踊り子たちがこの前城下町にやってきたんです。陛下はダンスはお好きですか? 僕はワルツは苦手だけれど、音楽に合わせて踊るのは好きなんです」
と言って軽やかに踊って見せたり。
「私も鳥は好きだわ。翼があれば、どこか知らない場所に行ってみたい」
「それは素敵ですね」
「クリス殿下は身軽ですこと。私も体を動かすことは好きです。でも、ダンスより、剣術が好きなの。内緒ですよ」
「剣術ですか。すごいですね。僕は苦手です。陛下のほうが僕より強そうだ」
クリスはおおらかで、私を笑わせる才能に長けていた。そして、クリス自身がいつも楽し気に笑っていた。クリスが来た時だけ、部屋が春の麗らかな日のように暖かくなる。
私はクリスが来るのを心待ちにするようになった。
クリスとの練習時間は毎回二時間ほど。それでもその時間はかけがえのない、濃密な時間になった。
私たちは心を通わせ、いつしか二人でいる時は互いを「ローラ」「クリス」と呼ぶの仲になった。
「ローラ。もうすぐ演奏会の日だね。もうこうして二人で会うことができなくなるのかと思うと、僕は胸が潰れそうだ」
「お父上に頼んで、またついて来たらいいのよ」
「それでは二人で会えないよ」
「それは、そう、だけれど……」
私も悲しく寂しく思っていた。けれど、私は女王でクリスは敵国の王子なのだ。
クリスとの時間はとても楽しい。クリスのことを私は誰より愛しく思っている。けれど、こんな想いは抱いてはいけない、と自分の恋心を抑えこんでいた。
「ローラ。君は僕が好き? 僕はね、ローラ。君を愛してしまった。君以外との結婚なんて考えられないんだ。僕と一緒になってくれない? 必ず幸せにする。君と一緒になれるなら、僕は自分の国を捨ててもいい」
クリスの言葉は甘い痺れとなって私の全身を貫いた。
クリスはそこまで私のことを。
愛する人からの告白はこんなにも心を震わすものなのだ。これまで生きてきた中で最も幸せな瞬間だった。
けれど。
私はクリスのように、国を捨てられるだろうか。
捨てられるならどんなにいいだろう。
でも。私にはできない。
弟を死に追いやってまでして得たこの椅子を捨てるなんて。してはいけないことだ。
「クリス。残念だけれど私たちは結ばれないわ。分かって」
私は本当の自分想いを伝えることはできなかった。
私の言葉にクリスは絶望を瞳に宿して私を見た。ズキリと心が痛む。
「クリス……」
私が戸惑い、声をかけようとした瞬間、クリスは私の唇を唇で塞いだ。
人生で初めてで最後の口づけだった。
「ローラ。それでも僕は君が好きなんだ。どうしようもなく君が好きなんだ。君以外を愛することはない。忘れないで。僕はいつだって君の味方だ。いつまでも君を愛しているよ」
私の目からは涙がこぼれた。それでも、クリスの想いに答えることはできなかった。
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