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「渚! ちょっと目、ヤバいよ!」
愛花が教室に入った私を見るなり言った。
「……うん。花粉症、かな」
「いやいや、それはどう見ても……」
滅多に動じない莉奈も顔色を変えている。
「ちょ、言うのやめなって」
愛花が莉奈の脇腹を肘でつついた。
「ごめん、心配かけて。大丈夫だから」
「渚が言うなら……」
二人は渋々引き下がった。
全てを思い出した日の夜、私は涙が枯れるまで泣いたのだ。
私の罪はどうすれば償えるだろう。
分からない。せめて木山君には幸せになってほしい。今更遅いかもしれないけれど、そう願わずにはいられない。
木山君は私の顔と名前を覚えていて、廊下ですれ違う際に挨拶をしてくれるようになった。ただ、前世の記憶は相変わらず思い出さないようで、木山君はごく普通の高校一年生のように見えた。
私はどこかでほっとしていた。
もし、私がローラであることが木山君に分かったら。木山君がクリスで、私に前世で殺されたことを思い出されたら。私は木山君と挨拶なんてとても交わせない。
ただひっそりと木山君を見守ることができるならそれでいい。木山君が普通に幸せならばそれでいい。他に多くは望まない。望むことなど許されない。
***
「ねえ、渚さ、一年生に好きな人いる?」
愛花の言葉に私はびくりと身を凍らせた。
「……え? なんで?」
「最近、目で追ってない? 一年男子」
「私もそれ思った。恋したか?」
「そんなんじゃ……」
私は言いかけて、口をつぐんだ。説明しても分からない想いだ。前世のことなんて話しても信じてもらえないだろう。
それならば普通の恋ということにしてしまおう。
「実は、半分当たりかな。ちょっといいなと思う男子ができたんだ。でもね、告る気はないから、私の心に気が付かれたくない。だからそっとしといて」
私は後半の真実だけは伝わるように言った。
「そっか。渚がそう思ってるなら、私は何も言わない」
「でも渚が幸せになればいいと思ってるよ、うちら」
「ありがとう」
私は二人に心から感謝した。
でも。
私が幸せになれれば、か……。
私が幸せになることなんて許されるんだろうか。
いや、許されない。私はクリスを殺して、国も放棄した。
きっと神は私を許されなかったのだ。だから前世の記憶を戻したのに違いない。現世で思い苦しむことが、私に与えられた罰なのだ。
私は前世の罪意識に苛まれながらも、木山君をそっと見つめる日々を過ごした。
木山君はクリスと違って音楽ではなくサッカーに熱心だった。チームメイトと一緒にボールを懸命に追う姿は、かっこいいのにどこか可愛くもあった。味方チームがゴールを決めた時に見せるくしゃくしゃな笑顔は、クリスよりさらに幼く見えた。どこにでもいる高校生らしい、楽し気な木山君の姿に私の心は温かくなり、彼を見ているときだけ心の痛みが和らいだ。
見ていられるだけでいい。十分だ。
「あ、高崎先輩! こんにちは!」
だからこうして声をかけられた時は、勿体無いくらいの幸せをもらえる。
「こんにちは、木山君」
嬉しさを隠しながら挨拶を返すと、木山君の両側にいた男子たちが木山君の脇腹をつついた。
「誰よ? 先輩って」
「俺、相模っていいま〜す。よろしくお願いします~!」
「や、やめろよ! 失礼します」
私は頭を下げた木山君に手を振る。
これだけで一日が薔薇色になる。
思えばクリスと一緒に練習した日は、両手で数えられるほどの数だった。二時間二人きりだったから親密な関係になれたけれど。
挨拶を交わすだけの今でも、それがずっと続くなら何にも変え難い幸福だ。
でも、神はそれさえも許してはくれなかった。
***
試験期間の学校からの帰り道。
友人たちと別れて一人になった木山君を見かけて、私は彼の後ろを歩いていた。声をかけたらきっと一緒に帰ってくれるとは思うけれど、それはあえてしなかった。この距離が私にはちょうどいい。学校から電車の駅までの短い時間。至福の時間になるはずだった。
何かが視界を横切り、それがボールだと気づいた時には、それを追うように子供が車道に飛び出してきたのが目に入った。
大きなクラクションの音に驚いて左を向くと、トラックが来ていた。
危ない! と思った時には、木山君がその子供に向かって走り出していた。
優しいところは前世からちっとも変わっていない。
木山君であり、クリスであるあなた。あなたの魂はやっぱりあなたのままなのね。
それを目にした私にも迷いはなかった。
目前にトラック。
辺りに響き渡るブレーキ音。
駆け寄った私は、木山君と子供を思い切り突き飛ばした。
コマ送りのように、木山君と子供が倒れていくのが見えた。
次の瞬間、激しい衝撃と痛みが全身を襲った。
これで良かったのだと思う。
今度は私が先に死ねる。あなたを救えて。こんな嬉しいことはない。
私の心はいつになく晴れ晴れとしていた。
意識が薄れいく中で、
「高崎先輩!」
と何度も私の名を呼ぶあなたの声がした。
「良かった、あなたが、無事、で……」
私は痛みを堪えて笑顔を作る。
「喋らないで! 今、救急車を呼びますから!」
あなたの泣きそうな声を聞きながら、私は漠然と自分は助からないと感じていた。
「高崎先輩! すぐに救急車来ますからね! あの、運転手さん! 心臓マッサージ手伝ってください!」
「私は……もう、いいの。あなたは、私の分まで、長生き、して、ね。かなら、ず……幸せ、に」
「?! え……? あ……ああ……!」
急にあなたは頭を左右に振り、何かを思い出すような素振りを見せた。そして私の目を見た。その瞳はクリスの瞳に酷似していた。
「ローラ? 高崎先輩は、ローラなの? ローラ、なんだね?!」
懐かしい響きを聞いて私は頷く。あなたが思い出してくれた。それだけでもう十分だと思えた。
私は泣き笑いを浮かべた。
「クリス。私は、前世で、あなたをとらず、国を、とって、しまった。ごめん、なさい」
声に力が入らない。けれど、伝えないと。
「ローラ……! いいんだよ、そんなこと。僕は君といられただけで幸せだったんだ。君の重荷にはなりたくなかった。ローラは何も悔やむことはない。謝ることもないんだ」
目が霞む。私は愛しい人の顔に手を伸ばす。指があなたの頬に触れた。温かい。あなたが生きていることがこんなにも嬉しい。
「クリス。私も、あなたを本当は、愛していた、の。あなたが、好きよ。思い出して、くれて、あり、がと……う」
もう目が見えない。あなたはどんな顔をしているのかな。
意識が遠のく。
私は今度こそ幸せな永遠の眠りへと落ちていく。
「ローラ!!」
あなたの声が遠くで聞こえる。最後に耳にするのがあなたの声だなんて幸せね。
クリス。愛してる。永遠にあなたを、あなただけを愛しているわ。何度だってあなたを見つけ出す。そして愛すわ。あなたが私を愛してくれた以上に。
だから次は。来世こそは一緒に幸せになりましょうね。クリス。
了
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