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 長野県東部の高校を卒業して東京にある陸上の名門、東陵大学に進学した琉太は、一年次から主力として活躍する。入学後二か月で出場した関東インカレでは苦汁をなめたものの、その後は順調に力をつけチームのエースに成長した。箱根駅伝にもすでに三回出走し、三年次にはスピードランナーの集う往路三区で区間賞を獲得している。闘志を前面に出す走りでチームを鼓舞し、最上級生となった今年は副主将として大所帯の部員のまとめ役も任されている。  一方の周は、同じく長野県南部の高校を卒業し、こちらも箱根の常連校である神奈川県の西湘大学に進学した。「駅伝は走らない」という彼の希望から勧誘に二の足を踏む大学もある中、中距離専門のコーチが在籍しているという理由で選択した進路だった。ところがチームは駅伝での結果が振るわず、周が入学してわずか数か月のタイミングで当時のコーチングスタッフ全員が解任されてしまう。新体制は駅伝に特化した方針を打ち出したため、中距離専門として入部したはずの周は、完全に蚊帳の外に置かれてしまった。  一度、その境遇を心配した琉太は、周にメールを送っている。 「放っておかれている(笑)。」  という答えが返ってきた。  二年次、三年次と琉太は様々な大会や記録会に出場しタイムを伸ばしていくが、その都度、スタートリストに七澤周の名前が無いかどうかを調べた。  あるレースで知り合いになった西湘大学の選手に、周のことを尋ねたことがある。 「故障でずっと走っていない。三年になってからはチームを離れて中距離専門のコーチについたって聞いているけど、寮も出てしまったし、あいつのことはほとんど分からないんだよね…。」  部に在籍してはいるが実質別行動をとっており、大学の監督やコーチもあまりフォローしていない様子だと、少々ばつが悪そうな様子で答えてくれた。  レースにも出ていないし、個人のSNSの更新も止まったまま。専門のコーチが誰であるのかも知らなければ、あとは本人に連絡を取ってみるしかない。  だがメールを送ろうとしても、結局は送信を止めてしまう。この状況下で連絡を取ることがプライドの高いあいつを傷つけてしまわないか、恵まれた環境で競技を続けられている自分が苦境にあるライバルに手を差し伸べるのは、いうなれば偽善ではないか…。  周のことを考えるのはやめよう…そう考えて、何度も意識の外にはじき出そうとした。だが、いつの間にか高校時代からのライバルの姿を脳裏に浮かべている自分がいる。そしてその度に思う。  知り合ってしまった以上は、仕方がない…。  たとえ今のあいつがどんな状況にあったとしても、自分はあいつと戦っていかなければならないのだ。一度も勝ったことの無いあいつの走りを超えたくて、自分はここまで走り続けてきた。 「面倒な奴だな…。」  部員全員が引き上げた後、琉太はフィールドに残り、ひとり走り始める。自分はあいつと勝負がしたいのだと呟き、誰もいないトラックで照明を浴びながら、タータンを蹴って前に進む。  三年次の箱根駅伝を走り終え、琉太が最高学年になる頃になっても、周に関する情報は全く無いままだった。もうあいつはこのまま消えてしまうのかな…。そう思って過ごしていた春先、夕方の練習が終わった時に見たスマホの画面に、思いがけないメールの着信通知があった。 「今年は走る。よろしく。」  それだけの文章だった。 「どのレースで?」  琉太の短い返信に、だが回答は無かった。
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