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03
シエルが子どものネコの盾になるように立ち、身なりの良い男に向かって叫ぶと、男はおや? とでも言いたそうな顔で眉をひそめる。
「なんだ? まだこの町に人間の姿をした者がいたのか」
男は自分の髭を触りながら、不機嫌そうにそう言った。
シエルは男の言葉を聞いて、すべてを理解した。
この町の井戸に妙な薬を入れて、住民たちをネコの姿に変えたのは、この錬金術師だということを。
シエルは竪琴を構え、男と対峙する。
すると、男は不機嫌そうだった表情を緩め、その口角を上げた。
「小娘。見たところ吟遊詩人だな、貴様は」
「そういうあんたは話に聞いていた錬金術師みたいね」
錬金術師の男は、フンッと鼻を鳴らすと着ていた長いローブの襟を正し、シエルを見下すように言う。
「私を誰だと心得る? ただの錬金術師ではない。不可能を可能にし、人類の夢を叶えた至高の錬金術師……ビゴート様だぞ。どこぞの馬の骨ともわからぬ詩人風情が、軽々しく口を聞いていい相手ではない」
それからビゴートと名乗った錬金術師は、シエルが訊ねてもいないのに話を始めた。
町の井戸に薬を入れ、住民たちをネコに変えたのは自分だと。
「これは実験にすぎない。そして、私は見事に成功させた。そのうちこの国すべての生き物をネコに変えてやる」
「なんでそんなことするんだよ!? みんなをネコに変えて、あんたはどうしようっての!?」
訊ねられたビゴートは、再び鼻を鳴らした。
それは先ほどのような不快感を覚えてというより、まるでシエルのことを嘲笑うかのような態度だった。
「そんなの決まっているだろう? ネコは可愛いからだ」
「はぁ?」
呆れているシエルを無視して、ビゴートは続けた。
ネコは可愛い。
だから世界中の生き物をネコに変えれば、醜いものは消え、すべてを愛でることができると。
まるで物語に出てくる、世界の滅亡を語る魔王のように言い放った。
「あんた……本気でそんなことしようとしてんの? 正気じゃないね……。どうせ誰にも相手にしてもらえないもんだから、そんなこと考えたんだろうけどさ……」
「うるさい! おまえなどに何がわかる!? ともかく私は世界をネコで埋め尽くすのだ! おまえもすぐに可愛いネコに変えてやる!」
ビゴートは怒りを露わにすると、赤い液体の入った容器を飲み干した。
すると、その体がみるみる変わり、まるで巨大なトラのような姿へと変わっていく。
「どうだこの姿は! 可愛さと強さを兼ね備えた最高傑作! 私はこの姿をもって、世界中のネコの王となるのだ!」
「錬金術師がこじらせるとろくなことしないな……。どうせならその知識をもっと人のために使えばいいのに……」
「私が苦労して培ってきた知識を他人のためになど使うものか!」
獣へと変身し、巨大化したビゴートはその丸太のような腕を振り上げた。
その一撃でシエルと子どものネコは、壁を突き破り、館の外まで吹き飛ばされてしまう。
どうやらただ大きなネコになっただけでなく、その巨大化した分の力があるようだ。
シエルがクッションになっていたが、子どものネコは壁を突き破った衝撃で意識を失ってしまった。
このまま子どものネコを庇いながら戦うのは難しい。
シエルが万事休すだと顔を歪めていると――。
「おい、シエル! 大丈夫か!? って、どうなってんだよ!? あのデカいネコはなんだ!?」
館の外に吹き飛ばされた彼女のもとに、グラントが駆け付けた。
シエルはグラントに短く説明すると、彼は懐に隠していたナイフを両手に握り、ビゴートの前に立つ。
「なんだ、貴様もその小娘の仲間か?」
「ああ、そうだよ!」
グラントがビゴートへと飛びかかる。
巨大な敵に怯まず、振り落とされる腕を避けながら、自分に注意を向けていた。
さすが大道芸人というだけあって、その体格からは考えられないほど身軽な動きをみせている。
ネコの姿だからだと思われるかもしれないが、これは彼の身体能力に他ならない。
さらにはグラント得意のファイアーパフォーマンス――火を吹き、ビゴートを激しく後退させた。
「そろそろ終わらせるか。頼むぜ、シエル!」
「任せなさい! 一曲ブチかますよ!」
シエルは子どものネコを地面に寝かせると、竪琴を構え歌い始めた。
すると、グラントの体を光が包み出していく。
これはシエルの能力。
彼女の歌や弾く楽器の音色は、魔法のような力があるのだ。
今歌っている曲――英雄の賛歌は、シエルが指定した者の力を上昇させる効果がある。
「よし、じゃあ、トドメといくか」
「やっちゃえ、グラント!」
グラントはナイフを懐に戻し、拳を構えた。
そして、ビゴートの巨体目掛けて、その拳を放つ。
「バ、バカなッ!? たかが大道芸人と吟遊詩人ごときに、これほどの力があるなど……ぐわぁぁぁッ!?」
グラントの拳を喰らったビゴートは、その一撃で吹き飛び、そのまま意識を失った。
――その後、ビゴートは捕らえられた。
幸いなことに、人間に戻す薬に必要な貴重な材料――錬金鳥の羽は彼の館にあった。
町医者の老ネコは、すぐにそれを使って薬を作り、家に閉じこもっていた住民たちを集め、皆を人間へと戻した。
だが、錬金鳥の羽の量が少なかったので、町の住民たちを全員戻したら、残り一人分になってしまう。
「でもまあ、あとはオレだけだろ? ギリギリだったけど、足りてよかったよ」
「ちょっと待ってよ、グラント! まだいる! あの子もまだネコのままだよ!」
安心していたグラントに、シエルが言った。
彼女が助けた子どものネコは、気を失っていたため、ずっとベットで眠っていたのだ。
だから、どちらかがネコの姿のままでいることになる。
これはどうすればよいのか……。
シエルも人間に戻った町医者も何も言えずにいると、グラントが笑みを浮かべながら口を開いた。
「なら、譲るよ。子どもがネコの姿のままじゃなにかと不便だろ」
「おぬし……本当に良いのか?」
町医者は孫が人間に戻れるのは嬉しいが、町を救った恩人であるグラントがネコのままというのも罰が悪かった。
だからなのか。
改めて錬金鳥の羽が貴重であることを話し、よく考えてから決めたほうがいいと、歯切れの悪い言い方でグラントに伝えた。
だが、グラントはそれでも子どもに譲ると言った。
錬金鳥の羽が貴重ならなおさらだと。
町医者の老人は、まだ眠っている孫に代わり彼に感謝し、泣きながら礼を言った。
それからシエルとグラントは名もなき町を出て、一座の仲間がいる王都を目指すことに。
「ねえ、本当によかったの?」
「ああ、別に一生ネコの姿のままってわけじゃねぇしな。それにこの姿のほうが、芸をやるには客ウケがいいかもしれねぇし」
シエルは、先を歩く黒ネコのグラントの姿を見ながら思う。
一座の皆と合流したら、アリス団長にお願いして、錬金鳥のいる南の大陸へ行こうと。
〈了〉
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