2. 儀式

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2. 儀式

 俺がナルの訃報を受けたのは今から二日前のこと。ツーリング中の単独事故だったらしい。電話口の向こうで俺の母親が醸し出した重苦しい雰囲気は、ナルの家族の憔悴した様子を目の当たりにしたせいだろう。自分の半分ほどの年月しか生きられなかった息子を悼む親の姿に感情移入しない方が難しいと思う。  母は俺にその事実とともに、遺族から預かったものを送ると言った。それが今日書留で届いた、ナルと俺が二人で写っている写真と、絵しりとりに使った紙だ。それには「啓一と仲良くしてくれてありがとう。あの子が大切にしていた物を、どうか受け取ってください」という手紙が添えられていた。  この写真を撮ったのは去年の夏、この場所で。ナルと行った最後の旅行は、都心から車で三時間ほどのスキーリゾートだった。洋風コテージの独特なデザインが気になると言って、あいつが選んだ所だ。せっかくの連休だからと二泊もしたものの、トランプにもオセロにも飽きて、ふざけて始めた絵しりとりで笑い疲れて、すっかりやることも尽きた深夜二時、肝試しに行こうと言い出したのはたぶんナルの方だった。 「夜の湖って不気味だよな。ここ水難事故とか多いんだって。特に夏は。だから出るらしいよ」  昼間は家族客や若者たちで賑わう湖。あの日も確か、煌々と月が輝いていた。コテージに備え付けられた懐中電灯もいらないくらい、明るく晴れた夜だった。 「それに、さっき話した伝説もあるし。……いや、別に信じてるわけじゃないって。怖くないし。呪われた土地っていうけど、むしろロマンチックじゃない? 大切なものを壊して捧げれば、死んだ人が生き返るとか」  ナルの声が、記憶の彼方から鮮明に蘇る。 「なぁ、(りつ)。もし俺が先に死んだら……その儀式、やってみてよ」  振り返ったナルは、青白い光を受けて嬉しそうに笑っていた。月明かりに伸びる影が、ゆっくりと首の後ろを掻く。 「だって、そしたらずっと一緒にいられるから。俺、もし帰って来られるなら律のとこがいい。律の部屋で、もうどこにも行かないで、ずっと二人きりで――……」  今日もあの日と同じ。満月に照らされた湖は、まるで底のない穴のようだった。さざ波一つ立っていないのに、ひたひたと水の音だけが聞こえてくる。  俺はそこに膝をついて屈みこむと、柔らかく湿った土に丸めた指先を突き立てた。ほのかに冷たいのはここが避暑地だからなのか。あの日握ったナルの手の温かさと対照的な現実になぜか焦りと苛立ちを覚えてがむしゃらに掘り進めていると、手の甲に鋭い痛みが走る。埋まっていた石で切ったらしい。指を動かすたび、引き攣れた皮膚の裂け目から血が滴る。  かすり傷さえ憎くて堪らない。こんなもの、ナルの受けた痛みに比べれば――。  あの時、引き止めればよかった。地元へ帰らずとも、二人で一緒にできることを考えようと言えばよかった。デザイナーになる夢を諦める必要なんてなかったはずだ。あの日の俺にもう一歩踏み出す勇気があれば、ナルは今でも俺の隣で笑っていたはず。ずっと一緒にいたいと、俺だってそう願っていたのに。  できるだけ深く穴を掘る。月の光を背に、湖を見て、大切な思い出を、粉々にして。  笑い声が聞こえる。これは夢だろうか。忘れられないナルの声。首の後ろを掻く癖と、へたくそな絵が、記憶から掘り起こされては埋まっていく。  風のない夜。ひらひらと、千切れた破片がひとつひとつ、愛しい笑顔が土に吸い込まれ。  最後に、落ちていた小枝をそこに突き立てると、ナルとの約束を果たした俺は家へ帰るべく車へ戻った。とても清々しい気分だった。
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