10人が本棚に入れています
本棚に追加
〈過去④〉
服部は最後まで口を挟まずに静かに海里の話を聞いてくれた。
要約した経緯を話しおえた海里は、「どうしたら犯人を見つけられると思う?」と隣でアイスコーヒーをすする服部に尋ねた。
「わからん」服部は恥じる様子もなく即答した。
「えぇ……」大人だし警察官だし、と少しは期待していたのにこの返答は残念でならない。
「だが」と彼は続ける。「犬を取り返すだけならできるかもしれない」
撞着語法の一種だろうか、話の風向きが前言と矛盾する方向に変わったようで、「どういうことよ」と困惑する。もったいぶったややこしい言い方をしないで小学校低学年でも二秒でわかるようにシンプルかつ平易に話してほしいものだ。
「ペット泥棒の目的って何だと思う?」海里の質問には答えずに服部はこう尋ねてきた。
「それはあれでしょ、ほかに売るんじゃないの?」
漠然としたイメージしかないが、悪徳ペット業者が人知れず盗まれたペットを買い取っている、と海里は思っているし、聞き込み捜査もその想定を前提にして行った。
「ああ、もちろんそれもある」服部は言外に、解答としては不十分である、と告げていた。
「ほかにもあるの?」買ってもらったフライドポテトをつまみながら頭を働かせる──あ、わかった。「自分で飼うんだ。よそ様のペットを見てひとめぼれしちゃって、つい魔が差して連れ去るパターンだ」
ふふん、あたしだって推理できるもん、とドヤ顔でフライドポテトをむしゃむしゃする。
「それも正解だ」服部の口ぶりからいって、まだほかのパターンもあるらしかった。
「えー、あとは何だろ? 飼い主に対する嫌がらせとか?」
ああ、それもあったな、と服部は言い、「まだもう一つあるんだ」──わかるか? と目で問うてきた。
「まだあるの?」しばし黙考するも、それらしい答えにはたどり着けなかった。「わかんないや。正解は何?」
「謝礼金だよ」服部はアイスコーヒーで口を湿らせてから続ける。「『迷子の犬、捜しています。情報をお持ちの方はご連絡お願いいたします。』。こんなふうに書かれたポスターを見たことはないか? こういうのは迷子の犬を保護した人に謝礼金が渡されることがよくあるんだ。中には十万円以上の高額に及ぶ場合もある」
「十万円!?」驚きのあまり声を上げてしまった。そんだけあればフライドポテトもスイーツもめちゃくちゃいっぱい食べれるじゃん!
「一応言っておくが、相場は数千円程度だからな? あくまでそういう高額な場合もあるってだけで」
「──そりゃあそうか」肩の力が抜けた。ただ、それでも衝撃の事実であることに違いはない。
「話を戻すぞ」と置き、服部は言う。「海里ちゃんが見たっていうペット泥棒が出てきたうちは、かなり裕福そうだったんだろ? その泥棒の男も、もしかしたら高額な謝礼金を期待して犯行に及んだんじゃないかなって思うわけよ、俺は」
な、なるほど……! と瞠目。
自分でさらっておきながら善意の協力者の顔をしてちゃっかりお金を頂く──すなわち、自作自演のマッチポンプ。たしかに言われてみればありうる話に思える。
そして、このパターンだったならばムギちゃんを返してもらうこと自体は簡単にできる。また、裁判所の判断次第だが、逮捕状発付──逮捕の可能性もなくはないだろう。
ロリコン疑惑のある非モテオヤジのくせになかなかやるじゃないか──海里は服部のことを少しだけ見直した。うだつの上がらない万年巡査部長だと思って内心バカにしていたが、反省したほうがいいかもしれない。
「何か失礼なこと考えてないか? 具体的には俺のことバカにしたりしてない?」
現役警察官から疑惑の目を向けられ、
「え、何で? そんなわけないじゃん。目から鱗って感じで感心してるだけだよ?」
すかさずすっとぼける。取り繕いスキル全開である。
うっわ、と顔をしかめた服部は、「中学生といってもやっぱり女なんだな……」とやたらと影のある表情でつぶやくように言った。
仕返しとばかりに海里も、うっわ、と大げさに引き、「中学生に女を感じるおっさんとかヤバいって。普通に怖いんだけど」
服部は海里の胸部にあからさまな視線をやってから、「ふっ」と鼻で笑った。「安心していいぞ。海里ちゃんはボール三個分は外れてる」
「クッソうぜぇ」
自宅に帰り、晩ごはんをペロリと完食した海里は、リビングの片隅でパソコンをいじっていた。
服部はペット泥棒の目的として、他人物売買、自ら飼うこと、嫌がらせ、謝礼金の四つを挙げたが、晩ごはんの豚カツに醤油を掛けた瞬間、海里の脳裏にある推理が浮かんだのだ──謝礼金目的ってことならこのパターンもあるかも、と。
今はそれを確かめるために真剣な面持ちでパソコンの画面を見つめている。その大きな瞳には、〈埼玉〉〈探偵〉〈ペット〉のワードで検索されたウェブサイトが映っている。
思いついたことというのは、探偵の自作自演の可能性だ。ペット捜しを売りにする、いわゆるペット探偵が服部の言う謝礼金のためのマッチポンプを行うと、ただ単に謝礼金を得られるだけでなくペット探偵としての評価も上げられる。ペット探偵からすればまさしく一石二鳥。考慮する価値はあるだろう、とキャベツをおかわりしながら判断したのだ。
埼玉県で活動しているらしき探偵のホームページを次々に閲覧していく──運が良ければ探偵の顔写真が掲載されているかもしれない。更に幸運ならばその探偵はコーギー犬のムギちゃんを連れ去ったあの男かもしれない。
それを発見することができれば──と思い、チカチカと目に悪そうな画面に集中する。
そろそろお風呂入ってしまいなさい、と母に言われ、はいよー、とおざなりに返した時、『探偵紹介』と題されたウェブページに掲載されている画像の中にとうとうそれを見つけた。
「!」──この人だ!
その画像の中で懐中電灯を持って何かを捜すようなポーズを取っているパーマのミディアムヘアの男性は、冷静に見ると海里の描いた似顔絵と幾つかの相違点はあるが、確かにこの男こそがあの日に見た男だと直感した。細部の造形というよりも全体の雰囲気がそうなのだ。理屈ではなくフィーリングで生きる海里にとっては疑う余地はなかった。
しめしめ、と口の端が吊り上がる。
この男は上手いことやったつもりになっているんだろうけど、そうはいかない。あたしに目撃されたのが運の尽きだ。
海里には作戦があった。それが成功すれば──。
その探偵事務所は〈明智探偵事務所〉と言った。ペット捜しだけでなく浮気調査や人捜しなど、およそ探偵業として想像されるすべての依頼に対応しているようだった。
海里が目撃した男──明智浩一はそこの所長であった。
海里の作戦はこうだ。
まず服部にお願いし、今回の連続愛犬盗難事件を担当している警察官に話を通してもらい、明智を見張ってもらう。
次に、ムギちゃんの飼い主であるあの丸い女性──福重久美子にも事情を話して協力をお願いする。その内容は、「ムギちゃんを捜している旨を迷子のペットの情報を専門に扱うウェブサイトに掲載してほしい」というものだ。そして、「それには必ず『十万円以上の謝礼金を支払う』と記してください」とも注文をつける。
後は、特に捜したりしていないにもかかわらず明智が自宅等からムギちゃんを連れ出すという、あらかじめ盗んで隠していたと推認される行動をするところを確認し、この行動及び状況(間接証拠、いわゆる状況証拠)並びに海里の目撃証言(直接証拠)を逮捕の理由にして逮捕状を請求。そして、逮捕という流れだ。
このやり方ならば逮捕状発付のための証拠は十分だろう。犯人の目星もなく闇雲に迷子犬の情報を公開するよりは逮捕の可能性がずっと高くなるはずだ。
作戦名は〈謝礼金で釣り出し作戦〉。
この作戦を聞いた服部は、「俺のこと子分か何かだと勘違いしてない? してるよね?」と言っていたが、まぁたいしたことではない。
迷子犬の情報を公開してから四日後、明智はムギちゃんを連れて福重の自宅を訪れた。「ネットを見てムギちゃんのことを知り、捜してみたところ運よく保護できた」などと語っていたそうだが、服部曰く真っ赤な嘘らしい。
「明智を張ってた刑事が言うには、彼は迷子犬を捜すような素振りは一切見せず、それなのに埼玉市の自宅からムギちゃんを運び出していたんだと」
服部の言葉を換言すると、明智は福重が迷子犬の情報を掲載する前からムギちゃんを自宅に軟禁していた、となる。つまり、海里の推理どおり謝礼金と評価アップ(実績)狙いのマッチポンプを行った可能性が高いということだ。
明智が福重宅を訪れた日の翌日、逮捕状は無事発付され、彼はあっけなく逮捕された。
これにて一件落着! ここからあたしの名探偵伝説が始まるのだ! と海里はテンションを爆上げしたのだが──、
「え!? ムギちゃん以外の愛犬盗難事件については否認してる?!」
例の公園で服部から取り調べでの明智の様子を聞いた海里は、予想外の展開にそう声を上げた。
「ああ」服部は苦々しい表情でうなずいた。「福重さんのとこのワンコしか盗んでないと主張してるらしい」
どういうこと? 明智は連続愛犬盗難事件の犯人じゃなかった? そんなバカな……。
そう思った海里であったが、一連の愛犬盗難事件に便乗して評価と小金を稼ごうとしただけというパターンもありうるとすぐに気づいた。「じゃあ明智は単なる便乗犯ってこと?」
「明智の言ってることが真実ならな」
裏取りの最中ということだろうか。
「明智の自宅には、ほかに軟禁されてる犬はいなかったの?」例えば柴犬とか。
「いなかったそうだ」
「じゃあ、ほかの隠し場所があるとか共犯者がいるとか」
「それも調べてるらしいが」服部は頭を掻き、「どうやらあまり期待はできそうにないみたいだ」
ということは明智は嘘をついていなくて──便乗犯で、連続愛犬盗難事件の真犯人は別にいるということだ。
「マジかぁ」海里は嘆くように洩らした。
「残念ながらマジだ」
せっかく刑事事件を鮮やかに解決できたと思ったのになんてこったい──はぁ、と太い溜め息。そして、海里は再度尋ねた。「ちなみに真犯人の目星がついてたりは……?」
服部は首を横に振った。「まったくわかっていないし、手がかりもないそうだ」
「そっかぁ……」
これはどうしたものか。一度関わった以上はしっかり解決まで持っていきたいし、コテツ君を助けられないままでは御影にも申し訳ない。しかし、手がかりがないとなると……。
ううむ、と海里は眉を曇らせた。
木曜日の昼休み、海里、美咲、御影の三人は体育館裏に集まっていた。
六月ながら今日の日差しは鋭く、海里の肌はじりじりとした熱を感じ、汗をにじませている。
海里は服部から聞いた連続愛犬盗難事件の話を二人に語った。真犯人は別にいるんだってさ、と。
「あらら、それは残念ね」美咲は体育館の裏口へと続く幅の広い階段に座り、膝に肘を突くようにして頬杖を突き、アンニュイな雰囲気を漂わせている。「海里の食い意地のおかげで事件を解決できたと思ったのにね」
たしかに、あの日、海里がティラミスとフライドチキンを買いに走らなければ明智が捕まることはなかっただろう。が、そうはっきりと言われるとあまりいい気はしない。「太ってるわけじゃないんだから別にいいでしょ」
「非難はしてないわよ。ただ事実を言っただけ」美咲の口調は平らかだ。
釈然としないものがあるが、まぁええわ、と流してやることにした。美咲との戯れ言合戦よりも優先しなければいけないことがあるからだ。
「御影」海里が名を呼ぶと、彼は目をこちらに向けた。彼の瞳を見つつ、言う。「コテツ君のこと、ごめんね。せっかく手伝ってくれたのに、結局、何の手がかりも見つけられなかった」
一瞬、虚を突かれたような顔を見せた御影だったが、すぐに言葉を紡いだ。「古川さんが謝るようなことじゃないよ。コテツのためにいろいろしてくれて、むしろ感謝してるくらいだよ」それから、気恥ずかしさを覚えたのか声を落として、「ありがと」と続けた。
即座に美咲が嘴を容れてきた。「そんなきれいなもんじゃないよ。この子、あなたのうちの柴犬のことなんか探偵ごっこをするためのちょうどいい口実ぐらいにしか思ってないんだから」
ひどい言いがかりである。
「あたしはサイコパスかよ?!」
「さぁ?」美咲は癪に障る顔で肩をすくめた。「精神医学のことはわからないからわたしには何とも言えないわね」
「はちゃめちゃにムカつくんだけど」海里はむくれた。
「それは悪かったわね」美咲はいけしゃあしゃあと言った。
腹立つ~~!!
という感情に逆らわずに口撃しようと口を開きかけた時、
「あの、ちょっと思ったんだけどさ」御影が軽く片手を挙げて言った。「連続愛犬盗難事件の真犯人の動機は、服部さんの言う一般的なペット泥棒のものとは違うんじゃないかな──とか思ったり思わなかったり」
何よ、はっきりしなさいよ、と思わなくもないが、それはそれとしてその言葉の意味が気になる。「売買目的とかじゃないってこと?」
海里が尋ねると、
「うん」御影は控えめに顎を引いた。
へー、と興味深そうに美咲が御影を見ている。
御影がその推測の根拠を口にする。「警察だって無能じゃないんだから一般的な動機を想定した捜査はしてるはずだよね? それなのに何の手がかりも見つけられないっていうのは、そもそもの前提──想定した動機が間違ってるんじゃないのかなって」
「……なるほど」たしかに否定できないかもしれない。
でも、それなら本当の動機は何なの? という問いを発するのは美咲のほうが早かった。
聞かれた御影はめいっぱい眉をひそめて、
「動物虐待とか」
と声にも不愉快さを含ませて答えた。
「動物虐待……」海里と美咲が同時につぶやいた。
「うん」と御影は肯定し、「野良猫に石をぶつけるとか真冬の川に落とすとかゴルフクラブで殴るとか、そういうの」
具体例を言葉にされたことでその光景が生々しさを伴って目に浮かんだ。たまらず顔をしかめる。「御影の言うとおりならコテツ君は──」
「そう、だね」御影は言いづらそうにそう口にした。「もう無事ではないかもしれない」
すでに死んでいるかもしれない。あるいは生きていても五体満足ではないかもしれない。御影はそう言っているのだ。
「……」「……」諦めたように悲痛な表情を浮かべている御影に対して掛けるべき言葉が見つからなかった。美咲もそうなのだろう。彼女も口をつぐんでいる。
「……ごめん」御影は、おそらくは口癖になっているのであろう感動詞を発した。「僕が変なこと言ったせいで空気悪くなったよね。ごめん。ただの憶測だから忘れて」
「いやいや、そういうわけにはいかないよ」探偵ならばあらゆる可能性を検証しなければならない、と海里は思っている。「憶測といっても可能性はゼロじゃない。御影がちゃんと言葉にしてくれて助かったよ。見落としてた」
「ううん、僕は全然……」御影はそれだけ言い、黙ってしまった。
御影に引きずられるように海里と美咲も沈黙し、体育館裏に沈鬱な空気が流れる。
数秒か数十秒が経った後、美咲がおもむろに口を開いた。「少し疑問なんだけど、虐待が目的なら今までさらった飼い犬の死体はどこにあるのかな」
「それは……」反射的に口を動かしてしまったものの、答えは持ち合わせていなかった。しかし、「どこだろ?」と首をかしげたその瞬間、海里の脳裏に閃光が走った。もしかしてあれってそういうことだったの? とあることに気づいたのだ。真相に近づけたかもしれないという事実に、にわかに心臓が騒ぎ出す。
表情に出ていたからだろう、美咲が怪訝そうに、「何? どうしたの?」と尋ねてきた。言葉は発せずとも御影も海里の説明を求めているようだった。
「うん」ちょっと待って、と言って少しだけ間を取り、心を落ち着かせる──当たってるかもしれないけど普通に外れてるかもしれないし、ここは冷静に、と。そして、海里は口を開いた。「あのさ、西の地区に精神病院の廃墟があるじゃん? あそこを通り過ぎると企業の私有地の山林があるのわかる?」
「あるね」と美咲は相づちを打った。御影も肯首している。
よろしい、と海里もうなずき、続ける。「最近、あそこの山林、カラスが増えてるみたいなんだよね。それに気づいた時は何でだかわかんなかったけど、御影の話を聞いてひらめいた。もしかしてカラスが増えたのは餌が捨てられるようになったからなんじゃないか、って」
「!」「!」美咲と御影は目に仰天の色を浮かべた。
「あの山林って長いこと放置されてるじゃない? しかも周りには山と廃墟しかないし、連続愛犬盗難事件の真犯人にとってはちょうどいい投棄場所だった。で、カラスは腐肉食動物で──まぁ言うて実質的には雑食なんだけど、とにかく彼らは動物の死体も食べる。死体がどのくらいのペースで捨てられているかはわからないけど、定期的かつ安全に食料が手に入って、しかも木がたくさんあって巣も作り放題で人もほとんど近寄らない。カラスさんたちには超優良物件に見えたんじゃないかな」
ごくり、と御影は男の子らしいごつごつとした喉仏を上下させた。
「それで、あんたはどうしたいの?」美咲は、海里のやりたいことなどすでに察しているだろうに質問の形で言葉を投げかけた。
「そんなの決まってるでしょ?」海里は気合十分で宣言する。「山林を調べる! 絶対真犯人を見つけてやるんだから!」
思い立ったが吉日、海里はその日の放課後に山林に向かうことにした。美咲は部活を理由に同行を──海里が何かを言う前に──断ってきたが、御影は、「今日は部活がないから大丈夫」らしく、「僕も山林の調査に行きたい」と言ってきた。
「嫌なものを見ることになるかもよ」そう言ってやんわりと翻意を促してみたものの、御影の意志は固いようだった。
帰りの会やら清掃やらを終えた海里は、校門で御影を待っていた。時刻は午後の四時を回ったところだ。六月の空はまだまだ明るいが、あと三時間も経てば日の入りだ。しかし、問題はない。常在戦場──というより常在捜査の気概で懐中電灯はスクールバッグに常備しているからだ。名探偵(予定)・古川海里に抜かりはない。
校門を通過する生徒たちを眺めること数分、御影が到着した。
「待たせちゃったみたいだね。ごめんね」御影は眉間にしわを寄せて言った。
「彼氏っぽい台詞言うじゃん」海里は口角を上げてからかうように言った。
御影は慌てふためき、「ち、ちが、そういうつもりじゃ──」
「いよっし! じゃあ行こうか、彼氏のワトスン君!」しかし、海里に悪ふざけをやめる気はない。
「わかったけど──」彼氏はやめて、という御影の言葉は聞き流して歩を進めはじめた。
御影も海里の横に並んで歩き出した。
道中、猟奇殺人鬼やデスゲームの案内人に遭遇することもなくすんなりと目的地の山林に行き着くことができた。携帯電話で時刻を確認すると十六時五十分であった。移動だけで四十五分ほど掛かってしまったようだ。
海里たちが歩いてきたセンターラインのない一車線道路と山林の境目には、『私有地につき侵入禁止』と書かれた看板があるが、長年雨風にさらされてきたせいか文字の塗料がところどころ剥がれてしまっている。木々は背の高いものからそこまででもないものまでごちゃごちゃと好き勝手に生えている。一応獣道らしきものはあるものの鬱蒼としていて道の先への見通しはあまり利かない。かなり歩きにくそうだ。
しかし、海里が、しんどそうだからやっぱりやーめた! となるはずもなく、「男は度胸! 女も度胸! というわけでレッツゴー!」という愛嬌を蔑ろにした発言と共に山林に足を踏み入れた。
辺りを警戒しながら進んでいると前方に開けた空間が見えてきた。森の中にぽっかりと空いた休憩スペースのように海里には思えた。
が、そんな緩い感想はすぐに打ち砕かれた。その空間には夥しい動物の──犬や猫と見られる死体があったのだ。中には肉の付いた死体もあるが、そのほとんどが白骨化している。カラスが腐肉を貪ったのならばこうなるのは必然だろう。
ふと横を向くと、御影が茫然と立ち尽くしていた。
「大丈夫?」心配になった海里は、優しい声音で問いかけた。
「……コテツが」と虚ろな表情で御影が指差した先には、薄い茶色と暗い赤の塊があった。内臓や肉は中途半端に食い荒らされているが、体毛は口に合わなかったのか皮膚は残されていて、ぐちゃぐちゃになっているにもかかわらず生前の面影を残していた。そして、首だったであろう部分には首輪があり、それには役目を果たせなかった迷子札──名前などが記されたタグ──が付けられている。
近づいて迷子札を見ると、『コテツ』とあった。
想定内ではあったが、実際に直面するとつらいものがある。痛ましい気持ちが海里の胸を圧迫する。
次いで、何でこんなことするかなぁ? という、あきれを含んだ怒りが湧いてきた。犬猫をいじめて何が楽しいのだろうか? まるで共感できない。
はぁ、と御影に聞こえないように溜め息をついた海里は、彼のほうを振り返っ──、
「!?」
まったく予想していなかった光景に目を見開いた。突然、木の陰から飛び出してきた学生服の少年が、御影の襟を乱暴に掴んで押し倒す──まさにその瞬間が目に飛び込んできたのだ。
「え? え?」
激しく動揺していると、やにわに視界が回転した。次の瞬間には背中に強い衝撃。後頭部を打ったのか、視界がチカチカとして状況を視認できない。一拍遅れて痛みと腹部への重みを感じた。地面に倒れている海里の上に誰かが乗っている。
連続愛犬盗難事件の真犯人? まさかつけられてた?──と思考したと同時に今度は首にじっとりと湿った熱を感じた。呼吸ができなくなる。首を絞められているようだった。
マウントポジションを取られていて圧倒的に不利な状態だが、このまま抵抗しないでいたらろくなことにならないのは間違いないだろう。
海里は抵抗を試みる──が、
「──!」
声を出そうとしても上手くいかず、手足を動かして全力で暴れてみても状況は覆せない。
ヤ、ヤバい、殺されるっ。
死の恐怖が急速に肥大していく。しかし、どうすることもできない。
苦しい……御影……。
数秒後、息のできない苦しみと死の恐怖の中、海里は意識を失った。
最初のコメントを投稿しよう!